『剣客商売 芸者変転』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

昨夜は10時半には眠っとったんで、一旦2時前に目覚め、今朝は6時に目覚めたが布団の中でグズグズしとって6時半に起きた。

赤木りえ→太田朱美と、これ迄ライブ聴いとるフルーティストをユーチューブで聴いた。

朝食は新潟産こしひかりを炊き、おかめ納豆、葉唐辛子で二膳食うた。デザートは愛媛産伊予柑。

池波正太郎の「剣客商売」の第一巻の第三話と第四話読んだ。

上野散歩に出掛け、久し振りに昼食は下谷神社傍の「ア ラ キ エチュード」で。注文したんはAランチで、前菜がしらすのマリネと熊本野菜のサラダ、メインはチキンの香草パン粉焼き 赤ワインソース、バターライス、デザートにアイスクリーム、コーヒーが付き1870円也と値上げしとった。

満足して店出て、スーパーで食料買うて帰宅した。

風呂に一時間浸り考えとった。気象庁によれば、今夏も全国的に気温高く猛暑となり、あの去年のとろけてまうような暑さよりも酷なるかもしれんのやて。そうなったら台風も多なるでえ。大阪万博2025、どないすんねん。はよ中止せいちゅうねん。

小林沙桜里→清水くるみ→小野塚晃とピアノ演奏をユーチューブで聴いた。

夕食はカナダ産豚肉、千葉産人参、佐賀産新玉ねぎを炒めて、ご飯と食うた。デザートはチーズケーキ。

 

 

池波正太郎の「剣客商売」の第一巻の第三話である『芸者変転』を読んだ。

昼下がり、橋場の料亭不二楼の奥座敷で座敷女中のおもとと料理人長次が抱き合うとると、二人の客が座敷女中に案内され、慌てておもとと長次が奥座敷専用の雪隠へ飛び込んだところ、御側衆石川甲斐守を強請ろうちゅう密談を二人の客無頼御家人山田勘介とその連れがしとったんや。

その耳にした話を、おもとが黙っておられんと秋山小兵衛にするところから物語が始まる。

石川甲斐守貞正は、八千石の大身旗本で、老中田沼意次の引き立てにより去年春に書院番頭から御側衆に昇進しとった。そやから山田勘介如き無頼御家人に強請られたりした事が公に広まったら取り返しのつかぬ事になるのは必定なんや。

それから八日程後、小兵衛の鐘ヶ淵の隠宅を、嘗て四谷で道場構えてた頃の門人で今は羽州松山二万石の大名酒井家の御留守居役しとる岸井甚平が尋ねて来て、両手付いた。

その用件は、従兄にあたる入江金右衛門にまつわる事での相談ですわ。その従兄、入江金右衛門は御側衆石川甲斐守の奥御用人務めとるんや。

翌日の午後、小兵衛は岸井甚平と入江金右衛門に会うて話を聞いた。石川甲斐守の息子の不始末を処理出来んで困っとるちゅう事やった。

小兵衛は四谷の御用聞き弥七の手借りるんや。弥七は岸井甚平とは同門やし。

鼻つまみ御家人の身辺探っとった弥七によれば、山田勘介は本所の家の他に田原町に別宅を構え、そこで踊り子の置屋始めとって、自分の娘お里と他五名を芸者に抱え商売させとんねん。しかも、いずれも若くて美しいから商売繫盛しとるんや。

強請りの一件とは、自分の十九歳の娘お里が石川甲斐守の二十一歳になる息子源太郎の子を孕んだ。ついてはその始末どないつけてくれるんやちゅうもん。勘介の要求を主家に取り次いだのが浜町の石川家別邸に詰めてる家来の堀米吉太郎。源太郎に芸者初糸こと、勘介の娘お里を会わせたのも堀米吉太郎なんですわ。その実、吉太郎はお里と懇ろな間柄なんやけど。

堀米吉太郎は、源太郎が芸者初糸を孕ませたと入江金右衛門の耳に入れた。そしたら入江老人は愕然となり狼狽の極ですわ。それもそのはず、源太郎坊っちゃんの縁談が、今を時めく老中田沼意次の口添えで整えられつつあったからな。
それから奥御用人金右衛門が真っ先に耳に入れたのは奥方である真佐子なんや。

奥方が息子を問い詰めると、身に覚えあるんで一言も無かったわ。

奥方は金五十両を金右衛門に渡し、それで済ませろと命じたんやが、勘介が要求した額はその二十倍。金右衛門が交渉しても勘介は頑として応じぬのや。

事が外部に洩れぬ内に殿なり家老の耳に入れた方がええと金右衛門が進言したものの、奥方は厳然と許さんのですわ。

けど、千両の金をつくれる訳も無く、奥方真佐子は糸の如く細ってしもた。

思い余った入江金右衛門、岸井甚平を通じ小兵衛と会うたちゅう訳なんや。

勘介が現れたなら、すぐ知らせろと不二楼の長次に頼んでおいた小兵衛、長次が駆けつけると不二楼へ。

小兵衛は雪隠に隠れ、勘介と実はお里を孕ませとった堀米吉太郎の密談に聞き耳を立てた。

それから勘介と吉太郎、老剣客小兵衛に痛い目に遭わされますんや。

その後、おはるの漕ぐ舟で現れた石川甲斐守の家来に手渡された入江用人の急ぎの手紙読んだ小兵衛は、一陣の風の如く不二楼から駆けて行った。

入江用人の急ぎの手紙には、奥方真佐子が女芸者と勘介に談合しに行くちゅうのを押しとどめたものの聞く耳持たず出て行ってもた、と書かれとったんですわ。

女の悲鳴や男達の怒気が聞こえる田原町の勘介別宅に駆けつけた小兵衛、勘介の手下の無頼共を叩きのめす。

そして、小兵衛に懲らしめられ詫状書かされた山田勘介は別宅を引き払い娘と本所の家でジッと息潜め、堀米吉太郎はまだ石川家で奉公しとるがビクビクしとるらしい。

七日後、小兵衛は働いてくれた弥七を招いた。石川家から礼金をたっぷり頂いたからや。

小兵衛はこないな困り事の解決を図り礼金を得とるんですわ。その金は自分の生活費にもなるが、手助けしてくれる者達にも分け与えとるんや。

ところで、佐々木三冬は小兵衛へ対しての思慕が濃く深くなり、三日に一度は隠宅を訪れ二時間程過ごしてくようになっとる。

そやから、おはるは気が気ではないがな。おはるは怒ったり拗ねたり、実家へ帰ったりしとんねん。

おはるが朝に夕に夫婦になってくれと迫るのに、小兵衛は大和の国へ行った大治郎が帰って来たら祝言しようと云う。

第三話でもやはり、この著者らしく旨そうな食べ物が出て来まっせ。鯨骨と針生姜の吸い物って如何にも旨そうや。食うてみたいなあ。

そうそう、タイトルの訳は物語最後の会話から知れる。

[「それにしても、よ。こんな事件にかかわり合ってみると、男たるもの剣術の一手二手はやっておくべきだと、つくづくおもうな、ばか若殿もそうだが、用人の入江金右衛門な。いかにも老人とはいえ、れっきとしたさむらいだ。それがよ。勘介の手下のごろつきどもになぐられ蹴られて、瘤だらけだ。いやもう、見られたものではなかった」

「は、はは。そうでございましたか・・・」

「もっとも弥七。武芸者の呼び名が女について、とんでもない芸を売るようになった世の中ゆえ、こいつ、もう、わしのような老いぼれが何をいうところもないが・・・」]

そう小兵衛が呆れるところから来とるんですわ。

でも、それは田沼意次の時代やからこそとも云えよう。

平賀源内や山東京伝や蔦屋重三郎が活躍しとった田沼時代は、田沼失脚させた松平定信が老中の時の如く風紀取り締まり厳しくし大衆娯楽に冷たい時代では無いからな。定信の“寛政の改悪”は寛政異学の禁に出版統制令でっせ。山東京伝を手鎖五十日の刑。蔦屋重三郎を身上半減の処分にしとる。朱子学に毒された松平定信は文化が分からんのですわ。