大鰐温泉「ヤマニ仙遊館」 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

一旦3時に目覚め、今朝は7時半に起きた。やはり花粉症状がきっつい。昨日は中国からの汚染物質含んだ黄砂飛来のせいもあるんか目はショボショボ鼻水ズルズルくしゃみ幾発も、買いもんに行った後は頭痛したがな。

朝食は昨夜スーパーで4割引きやった天丼。デザートは愛媛産八朔。

マリーナ・ショーのアルバム「ライブ・アット・モントルー」をレコードで聴いた。

友人達にメール送付した。

本川悠平→マーク・トゥリアン→吉田豊→上村信→中村健吾とこれ迄ライブ聴いとるベーシストをユーチューブで聴いた。

外食するかどうかちょっち迷うたが、昼食に浅草「しま正」に行った。頼んだの鯵フライ定食で、味噌汁、ご飯、おぼろ豆腐、ほうれん草の煮浸し、香の物が付き1000円也。

満足して店出て、スーパーで飲み物買うて帰宅。

筋トレ20分した。

風呂に小一時間浸り考えとった。先般のフランス大統領マクロンの中国訪問は、ドイツがプーチンロシアのウクライナ侵略と米中対立の煽り食うてそのビジネスモデルあかんようになった間隙を突いて、ドイツに取って代わって中国で自国の利を得ようとするもんなんやと気づいた。やはり米国は圧掛けるやろが。

風呂から上がって、牛乳飲みながらジョン・スコフィールドのウネウネギター演奏をユーチューブで聴いた。

夕食はタイ産鶏肉、青森産ごぼう、愛知産ブロッコリー、茨城産さつま芋をタジン鍋で蒸して食うた。デザートは茨城産とちおとめ。

ラジオ「テイスト・オブ・ジャズ」を聴きつつ、佐々木朗希と山本由伸の投げ合いをネット観戦。

ほな、行った温泉のメモ書きが出て来たんで写しますわ。

 

 

津軽の奥座敷の大鰐温泉「ヤマニ仙遊館」に泊まったんは三十代半ばの秋や。忙しい出張した行き掛けの駄賃にな。

JR大鰐温泉駅からタクシーに乗ったが、すぐ宿に着いた。多忙やったんで最寄りの駅からの所要時間を調べとかんかっんたが裏目。きっちり調べておくべきやった。反省。

「大鰐町は色々施設つくっとるそうで、景気ええんやないですか」云うたら、タクシー運転手の小父さんが云うには、昔の大鰐温泉は浴客や宴会客で大賑わいしとったそうな。芸妓も仰山居ったそうな。その小父さんのちっこい頃を懐かしんで云うんや。

川に面した「ヤマニ仙遊館」の創業は明治5年。大鰐温泉で最も古い由緒ある宿で風格が漂うとる。

尊敬する後藤新平が泊まった宿やと弘前の人に聞いて泊まる気になったんやけど、太宰治も母親と静養に泊まっとったわ。

広くは無いが落ち着く純和室に案内されたが、すぐに館内散策する気になった程レトロええ雰囲気の宿や。

まず、ロビーが趣きあってええ。廊下もまた。階段もや。土蔵も庭園も気品あり。眼福なり。

風呂へ行くと、浴室にはきっつい目付きした肩幅広い爺さんが孫らしき子供を連れとって、風呂名主の如き雰囲気醸しとったがな。元気な孫らしき子供は他の浴客の迷惑にならん範囲を動き回っとった。

源泉掛け流しの無色の湯は適温やった。

湯口には白い析出物がこびり付いとった。肌によさげな湯ですわ。

泉質は含石膏弱食塩泉。

部屋に戻り、タオル置きに濡れたタオル掛けて、胡坐かいて津軽塗りのええ座卓やなあと見ながらゆっくり茶啜ってたら夕食の時刻となり移動。

夕食は豪華やないが地場の食材使うた料理で旨かった。ワテには量が足らんかったが。

りんごジュース飲んだ後、トイレに寄ってから部屋に戻った。

座卓にEI君から借りた司馬遼太郎の文庫本「義経」上巻とメモ帳を出して、メモとりつつ続き読み出した。タイトルは「義経」になっとるけど、土地公有が原則の律令体制とそれ揺さ振る開墾地主たる武士、殊に“一所懸命”の坂東武士とその棟梁頼朝の物語と云うた方がええんやない。平清盛は武家政権つくったけど、中途半端やった。貴族化してもうたからな。娘を天皇に嫁がせるのは当然やし、一門の者を高位高官にすべく運動するのももっともやが、武士として朝廷との距離をきっちり置いとくべきやった。

本をさぞかし高価な座卓に置き、またタオル手に風呂入りに行った。

誰も居らん湯船に浸って考え事してたら、人懐こそうな小柄で毛深い小父さんがやって来て二人となった。津軽弁で話し掛けられたら手話で応対しよかと思うたが、小父さんは黙々と体磨き湯船に浸かっとったわ。

戻った部屋で「義経」をまた読んだが、面白い。義経は、清盛が惚れる程母ちゃん常盤が抜群に美しかったから殺されずに済んだ面があるんやなあ。類稀な勇将である義経やが、奥州藤原氏の本拠地へ行く前は山賊の手下なんかになっとって、そこで強奪や奇襲の仕方も学んで、後にそれが伊勢平氏との戦いにごっつ役だったんやろ。

眠気がやって来たと思うたらうつらうつらしとった。床に入ったら、いつの間にか眠ってもうたがな。

朝日に目が覚めて、朝湯に行ったが、小父さんが二人洗い場に居って津軽弁で何やら喋っとったわ。さっぱり理解出来んかったが。

昨日より湯温高かったんで、ザブンと入って60数えて出た。

郷土色ある朝食、シンプルやが旨かった。温泉モヤシが大鰐温泉の名物と知った。

出張の疲れとれたと思いながら帳場で会計済ませ宿を出、帰りは宿の方の云う通りに歩いたら10分ちょっちで大鰐温泉駅に着いたがな・・・。