『義経』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

一旦4時に目覚め、またすぐ眠れて今朝は8時ちょっち前に起きた。

朝食は昨夜スーパーで半額やったさつま芋の天麩羅。デザートは熊本産トマト2個。

彩菜→菅原花月→橋爪あみ→小山郁美→林実里→寝占友梨絵→Wakasaと歌をユーチューブで聴いとったが、昼食に出遅れた。

昼食に行ったのは東上野「ブラッスリー ルディック」で、頼んだんは鴨のハンバーグ。ライスが付き、スープとサラダがセルフの食べ放題で1200円也。追加でプリン300円を注文。13時以降入店したらコーヒーが付いた。

満足して店を出て、郵便局で金下ろし、スーパーに寄って食料買うて帰宅。

風呂に小一時間入って考えとった。能登半島地震での支援の為の派遣が遅れとるのを道路問題言い訳しとるが、それではあかんやろ。72時間過ぎると死んでまう人多くなんねんでえ。我が国は大地震国で、いつどこで大被害あっても不思議やないのにもかかわらず、備えが疎かちゅうこっちゃ。やはり迅速に対応する為の災害対策省が必要や。

グレープフルーツジュース飲みながら野呂一生→安藤正容→角松敏生→和田アキラ→渡辺香津美と、これ迄ライブで聴いとるギタリストをユーチューブで聴いた。

夕食に土鍋出した。入れて煮たんはカナダ産豚肉、岩手産ねぎ、茨城産ほうれん草、豆腐。デザートはフィリピン産バナナ2本。

 

 

日本には判官贔屓ちゅう言葉がありまんな。判官云うたら源義経を思い浮かべる。昔も今も義経は根強い人気がある。

司馬遼太郎の『義経』、強い印象が残っとるのはなぜやろと読み返してみたわ。そして分かったがな。

初めて読んだんは三十代半ば。司馬ファンの友人EI君から借りて読み面白かったんで、自分でも単行本買うたんや。けど、積んだ儘になっとった。

初めて読んだ時の感想を改めて列記しますわ。

<無垢な人柄である義経が軍才これ程凄いとは吃驚やった。ところが義経、世知に疎く、世の中が利害で動いとるの分からんのや。義経は軍人としてはめちゃ優秀やけど、政治家としては暗愚や。義経の致命的な誤りは、武士の棟梁としての姿勢が無かった事や。源氏とか平氏に拘ってはあかんかってん。彼等東国武士の一所懸命意識を理解した頼朝には、ええ相談相手政子も居り、名補佐役として大江広元も居り、彼の天下になるのが必然に思える。平清盛は時代の流れを見誤り平氏を貴族化させて一門を衰退させたが、義経は奥州藤原氏の所に居続ければよかったんや>

<高飛車な義経>

<タイトルは「義経」になっとるけど、土地公有が原則の律令体制とそれ揺さ振る開墾地主たる武士、殊に“一所懸命”の坂東武士とその棟梁頼朝の物語と云うた方がええんやない。平清盛は武家政権つくったけど、中途半端やった。貴族化してもうたからな。娘を天皇に嫁がせるのは当然やし、一門の者を高位高官にすべく運動するのももっともやが、武士として朝廷との距離をきっちり置いとくべきやった。

義経は、清盛が惚れる程母ちゃん常盤が抜群に美しかったから殺されずに済んだ面があるんやなあ。類稀な勇将である義経やが、奥州藤原氏の本拠地へ行く前は山賊の手下なんかになっとって、そこで強奪や奇襲の仕方も学んで、後にそれが伊勢平氏との戦いにごっつ役だったんやろ。>

<頼朝は裁判権を己等のもんにしたんが大きいわ。日本一の大天狗後白河法皇でも頼朝の狙いを読めなかったんやろ。>

<やはり平清盛はもっと早く摂津福原を都市整備して遷都せなあかんかった。福原が都として機能しとれば伊勢平氏はあないに早く滅ばなかったはずや。清盛系平氏は貴族化せず、後白河に誑かされず、しっかりした武家政権を福原でつくる必要あったんや。>

<後白河法皇は見抜いとるように、甘ったれな義経は政治に疎いだけやなく、時勢が読めぬし、人情の機微が読めぬ。子供なのである。無邪気やが、また尊大、そして行動的。無知で無教養。また、ごっつ好色である。頼朝もごっつ好色やから、この義兄弟のそれは祖父為義、父義朝の血なんやね。容貌は猿眼で反っ歯。>

これ迄テレビドラマなんかで出て来る人間離れした源義経と司馬遼太郎が描いとる義経はかなりちゃう。

この物語で大事なんは、開墾地主たる武士、殊に“一所懸命”の坂東武士や。

公地公民制の有名無実化が進んどった。新田開発が盛んになり、荘園として寺社などに寄進した形にして所有した土地を懸命に守ろうとする者達の存在ですわ。

義経はそこの重要性を理解しとらんかったし、ゆくゆくは彼等が公家政治を打倒するやろとも予測出来んかった。

戦に強い木曾義仲も義経も政治には痴呆なんや。

頼朝はちゃうねん。東国武士の不平の在り処と求めるもんを理解し、この儘やと土地公有制は崩れ去るやろと理知的に考えとった。それはつまり、天皇中心の政治が揺らぐちゅうこっちゃ。源氏の嫡流である頼朝は武士中心の政治にしよとすんねん。そやから流人が武士の棟梁になれましたんや。

義経は軍事の天才として描かれとる。戦術で味方を動かし、敵を突き崩した。

天才とはワテ等凡人には理解し難い者や。そやから坂東武士には義経の戦功を理解出来やせん。名乗りを上げての一騎討ちが基本の坂東武士に対し、騎兵集団での奇襲作戦や海戦では敵操船者を射殺する義経。

義経と坂東武士、合戦観がちゃうねん。

その義経は戦の天才ではあったものの、兄頼朝が何を成し遂げようとしとるかや東国武士が強く求めるもんが分からんかった。

そやから朝廷に対すべき態度が甘々で取り込まれてまう。何ちゅうてもその頭が大天狗後白河法皇である。判官の官位をくれてやり操ろうとしよる。

主従関係がごっつ大事なのにもかかわらず、義経は頼朝の許可無く官位を受けてまう。兄弟であっても主従の関係であるちゅう事の重要性を真剣に分かろうとせぬ限り、源兄弟は対立するわな。悲劇となるわな。

ところで、権謀術数に長けた欲深い策士の新宮十郎源行家がこの物語のええスパイスですわ。

初読の際はごっつ意外に思うたが、義経が賊となり頼朝に追われ自死したところは書かれとるが、後白河法皇の「義経こそは賊である。追討せよ」ちゅう院宣が出されからの描写はあっさりしたもんや。

司馬遼太郎は、義経はそこ迄の男やったと云いたいんやろ。

この物語はこう締め括られる。

[義経は、諸国の山河にかくれ、隠れては奔り、転々としつつ、朝廷と鎌倉から追跡され、ついに奥州の平泉まで逃げ、追いつめられ、最後の衣川の持仏堂に逃げ入り、自害した。

その首が酒漬けにされて鎌倉へはこばれてきたとき、頼朝は、
「悪は、ほろんだ」

といった。なるほど、国家の機能をあげての弾劾と追跡をうけた義経は、悪といえば類のない悪であるかもしれなかった。が、「悪」ということばを頼朝の口からきいたひとびとも、それを洩れきいた世間の者も、また京の廷臣たちも、

――悪とは、なんだろう。

ということを一様に考えこまざるをえなかった。後世にいたるまで、この天才のみじかい生涯は、ひとびとにその課題を考えさせつづけた。]

源頼朝は東国武士の神輿に乗って新たな時代つくった。革命をやり遂げたんである。初読した時、そこが強い印象やったんや。