未来につなげる発表の場として | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

昨夜、また赤坂のJAZZ屋でNっぺ、IK君とワイン3本飲んだんで眠り浅く訳わからん長い夢見とったが、今朝7時ちょっち前ベランダに陣取る雀共に起こされた。ピーチクパーチク五月蠅さかったんや。

ぬるい風呂に一時間浸り、香港のデモで撤回された逃亡犯条例考えとった。中国共産党は、今回はこれだけで幕引きとしたいんやろが、香港自治権の拡大は今日以降の香港民衆の運動継続次第。継続こそ力なり。見守って行かなならん。

朝食は北海道産ななつぼしでご飯炊いて、くめ納豆、海苔で二膳。デザートは茨城産梨。

「Heaven?〜ご苦楽レストラン〜」 の第9話をギャオで見た。石原さとみ演ずるオーナー、dancyoちゅう雑誌読んどった。断腸の思いに・・

メール送付を2通事務処理的にテキパキ片付けた。

牛乳1ℓ飲みながらケニー・カークランド→ライル・メイズとピアノ演奏をユーチューブで聴いた。

昼食を兼ね御徒町迄散歩。「山家」で並び待つ事20分でロースかつツ定食を食えた。750円也。

満足して店出て、スーパーで食料買うて帰宅。

筋トレ30分しとったら、明日の祝儀金が足りぬかもと郵便局へ急ぎ金下ろして帰って来た。

冷えとる牛乳パック開けごくごく飲んだ。
 


週刊誌ちゅうもんは物議を醸すよなタイトルを付けるもんや。煽った特集で売ろうとするもんや。発行部数が一番の週刊文春かてそやろ。そんなの読者かて分かっとるんやさかい、週刊誌に書いとる人は当然承知しとるはずやろ。

小学館が出しとる週刊ポスト9月13日号で、見出しが「厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らない」ちゅう記事を掲載したらしい。と云うのも、ネット記事にそうあったの見ただけで9月13日号手にしとらんからな。

その記事が人傷つけるもんや煽るようなもんやとして反発し、「連載を休止します」「今後小学館の仕事をしない」と表明する作家が一人ならず居るんやて。

ワテは読んどらんから、編集部が一方的に悪いとか云えんし、その記事内容についても何とも云えん。

けど、首傾げた。表明した作家の方々は感情的過ぎるんとちゃう。それより何を今更ちゅう感じすんねん。

そりゃあ、日韓関係にも色々な主張、立場があるやろ。ワテは国際条約を平気の平左で何度も反故にする韓国政府は断じて許せんから日本政府は厳しく抗議続けよ、けど、民の交流はしっかりやっとこ、ちゅうもんですわ。

なほ、「連載を休止します」「今後小学館の仕事をしない」云う人達の 韓国に対する考え、立場はどんなん?知りたいわ。なのに、同誌に連載しとる者でさえ喧嘩腰にもう執筆せんちゅうのどういう事?

差別を増長するような記事を載せるのはあかんちゅうなら、その旨きっちり書けばええやないか。客観的なもんや無いちゅうなら、それ示す資料文献示し書けばええやないか。そう書いて偏屈な編集部に拒否された云うならもう書かん云うの分かるでえ。そやないのなら、感情を抑制するの下手で場当たり的やないの。誌面の多様性無くしたいの?異論反論無くし単純スッキリな雑誌にしたいの?

我が国の本屋にいつの間にやら嫌韓本が結構広い場所占めとる理由はなぜと知りたい。

ワテの考えは、韓国政府が反日し続けとるからやろ、ですわ。例えば、臆面もなく反日に歪曲した歴史教科書出しとる。それだけやなく、我が国民の大人しさが韓国の反日・恨日を振りかざす集団に都合よく扱われてまうからと考えとる。その問いを「連載を休止します」「今後小学館の仕事をしない」云う人にどない考えとるんか聞いてみたいんやけど、もうその方々の意見は週刊ポストでは読めぬ、小学館の多くある刊行物どれも読めぬちゅう事になる。己の考えに染まぬ雑誌は要らないちゅうんか。    

それが理解出来んのや。それやと読みたないもんは目障り、読みたいもんだけしか読まないちゅう態度を強める事になる。

それでなくともほとんどの雑誌が販売部数減らし存続の危機にあるのに、作家が書く場を更に無くそうちゅうんやから、理解出来ひん。作家がそないに書く場を狭めてどないすんねん。

紙媒体が無くなっても、その代わりSNSがあるから十分やないか思うとるの?それこそSNSは人傷つけるもんや対立煽るようなもんに満ちとる。無責任なリツイート拡散が溢れとる。また、己が好むもんや己に都合ええもんの検索に偏りがちなのがネットやろ。

幾らSNSがある時代やから云うて、マスコミ発表の場を減らそう云うのは腑に落ちぬのや。

そやから、異論反論に出会う場を編集部も作家も軽視しとるように思えてならぬのや。異国とは対立もあって当たり前のように、日本人の間でも異論反論あって当然や。それに触れ合わさぬようにしてまう事こそごっつ不健全や。

ワテ、紙媒体が苦境に立つ今、未来につなげる為に紙マスコミには偏狭にならず頑張ってもらいたいねん。なぜなら言論の幅を狭める事こそ表現の自由を危うくするもんはないと考えるからや。表現の自由が危うくなると、遠くない間に民主主義が崩れ去るからや。