『不死身の特攻兵』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

今朝は7時に起き、植物に水遣りした。

朝食は昨夜スーパーで半額やった炭火焼き鶏丼。デザートは熊本産甘夏。

洗濯し、台所シンクの掃除した。

牛乳飲みながら「王女未央-BIOU-」第21話をギャオで見た。

昼食に「ブラカリ」へ行ったらメンテナンスとかで休みの貼り紙。それで裏浅草「とんかつ やまと」へ行き、注文したのはロースかつ定食定食。ご飯、味噌汁にワテが食えん漬物が付いて800円也。

満足して店を出て、台東区を散歩し、スーパーで食料買うて帰宅。

「知っ得 後宮のすべて」の続き読んだ。

ディディブリッジウォーターのアルバム「ジャスト・ファミリー」をレコードで聴いた。

 

 

野球には犠打ちゅうもんがあって、日本ではよう使われるセコい攻撃や。そうは云うても、ワテもよう「なぜそこで犠打で送らんのや」「そやさかいダブルプレーでチェンジやないかい」とか呟きながら贔屓チームを応援しとるんやが。

犠打とは似て非なるもんやが、“特攻”の話を読んだがな。
『不死身の特攻兵』ちゅう烏賊にも蛸にも版元好みなタイトルに惹き付けられてまんまと手に取った。副題が、軍神はなぜ上官に反抗したか、ですわ。

特攻兵ちゅうたら死に寄って行く存在。ほんまかいな?特攻攻撃で9回も生還を果たすのは神業や、と。でも特攻兵が生還するの許した上官も居ったんか、と。

読んだら、9回の出撃には敵艦が居らんかったり出撃中止やったり飛行機が故障して戻った分も含んどるやないかい。おい、講談社、盛っとるやないかい。傍観者やさかいそないに思うが、ドアホな上官のドアホな命令に屈せず特攻兵なのによう生き延びて終戦を迎えられたもんや。大したもんやでえ。

著者は演出家の鴻上尚史で、戦前から変わらず我が国を覆うとる空気感を書いとるんや。

先の大戦末期、旧日本軍に神風特攻隊とか美化されて“特別攻撃”をした兵隊さん達が居る。それ知らぬ若人も少なくない時代になっとるんやないのか。知らぬ人は、理性的に考えればアホらしゅうてせん攻撃やさかい、そんな事ありえんと思うやろし。

“特攻”ちゅうたら=死ぬと同義の爆弾を抱えた飛行機での敵艦船体当たりの自爆攻撃や。帰る時は遺体か骨さえ見つからぬ儘現地に置き去り。一度限りの使い捨てや。不条理で不毛な攻撃としか云いようがない。

しかしなかがら、聖戦の名のもと自爆テロちゅうのが少なくなくなっとる世界で、そうした愚劣極まりなく痛ましい攻撃も日本の専売特許と云えなくなっとる現実がある。遣る瀬ない世界や。

“特別攻撃”の発想が生まれたのは、戦況芳しからず追い込まれたからや。そないな時は安易な思い付きにすがるもんや。己の保身の為もあるやろ。

では、どないな輩が特別攻撃隊つくり“特別攻撃”を推進したんか?

つらつら考える迄もなく、無能で恥知らずな輩や。それしか思い当たらんやろ。

しかし、“神風特攻”をつくったと云われる海軍中将大西瀧治郎は敗戦年8月16日自決しとるし、恥知らずではなさそうや。“特別攻撃”の戦果を確信しとったところは大いに甘いが、部下に云うとる「こんなことをせねばならぬというのは、日本の作戦指導がいかに拙いか、ということを示しているんだよ。なあ、こりゃあね、統率の外道だよ」ちゅう認識はまともや。

何とも酷いのは推し進めた海軍大佐猪口力平、海軍中佐中島正、陸軍中将冨永恭次、陸軍大佐猿渡篤孝などなど。

戦後ベストセラーになった「神風特別攻撃隊」を書いた猪口力平、中島正なんか、実際は強制なのに志願やったと美化し神風特攻を正当化して己等上官のした事を責任回避、責任転嫁しとるんや。戦意発揚効果が大きかったとされる海軍最初の“神風特攻”隊長の関行男の場合も志願とされとったものの、ほんまは強制やった事が生還した特攻兵による証言で明らかにされとる。

盆暗東條英機にゴマすり出世した陸軍第四航空軍司令官の冨永恭次には更に呆れかえるがな。訓示を垂れるしか能が無いんや。「決して諸君ばかりを死なせはしない。いずれこの冨永も後から行く」と、必ず特攻隊員を前にして云うとったのに、敗色濃厚となると突然部下を置き去りにしてフィリピンから台湾に逃亡しとんねん。唖然やろ。

最初は旧日本海軍がやった“特攻”。戦果を盛って、それで空気づくりして、陸軍もまたやんねん。止められずに敗戦迄続いたちゅうのが恐ろしい。そやから無駄死に近い若人が相次ぐ事となった。なぜなら“特攻”は敵戦力削ぐ効果薄かった。“特攻”で飛行機が艦船の甲板に体当たりしたからって艦内で爆発させんと大きな損害を与えられないからや。結果、標的とした空母、戦艦の撃沈は無かった。これが起死回生の作戦云うんやからドアホや。ワテはその辺りは高校時代からの友M夫ちゃんから詳しく説明されとる。

飛行士や飛行機を無駄にせず、幾度も出撃して敵に損害与え続けた方がええに決まっとるんやさかい、“特攻”は作戦に値せぬ破れかぶれとしか云いようがないでえ。作戦参謀がそないな事も分からんちゅうんやから勝ちようがないわな。

特攻させた軍上層部が戦果乏しい責任をとらんのも腹立たしい。命令した者はその結果を見極め次の判断に役立てろちゅうねん。責任とらん輩を許してまう組織は既に機能不全や。

そない無能で責任とらん輩を指揮官に据え続け機能不全となっとる組織は変えなならんが、戦争の最高指導者はそれせんかった。ちゅうか戦争指導者も鈍感で管理能力に欠ける盆暗なんや。

では、どないな人達が特攻出撃したんか?絶対服従を疑わぬ人達や。疑っても従った人達や。愚劣極まりないと分かっていても批判する事せず受け入れた人達や。大勢の若人。

でも本書にあるように、海軍兵学校や陸軍士官学校を出ていない古参下士官達は、「俺を特攻隊に選んだら許さんぞ」と云い放ち牽制した者も居ったんや。異国人には狂信的な人々と思われるのも尤もな命令に従うしか能のない部下にならぬようせなならん。

“祖国を守る為に命を捧げた”ちゅう言葉がある。祖国の為にちゅうのは尊いが、“特攻”の如く意に染まぬ儘出撃し散った命が仰山ある。

また、当時の国民が“特攻”をどない思うとったかの記述を見落としてはならん。熱狂したんや。それに係わったのが新聞社などマスコミや。戦争は新聞の部数を伸ばすんや。戦争は儲かるんや。

傍観者には傍観者としての責任がある。戦時でも平時でも踊らされぬようしっかり考えなならんちゅうこっちゃ。

いつの時代にも美辞麗句によって支配しよとする輩が居る。それに惑わされてはあかんねん。

さて、ワテが畏敬の念抱いた人達を記そう。旧日本軍、勿論ドアホ揃いではなかった。上官に対して異議唱える漢気ある者も居った。

“特攻”の戦死報告、それも二度の報告で“軍神”として祭り上げられたが実際は生きとったのがこの本で著者にインタビュー受けとるこのノンフィクションの主人公佐々木友次。挫けぬ陸軍伍長。幼い頃から飛行機が大好きやった。生還するのは上官の命令に背く事。「必ず死んで来い」と云われても生還し続けとるんやから、背き続けとった。鉾田飛行師団で編成された万朶隊隊員として九九双軽に乗り“特別攻撃”繰り返しても強固な意志で生還した佐々木友次。操縦が上手な者としてのプライドが無駄死にを許さなかったし、「死ぬと思うな」と繰り返して云うとった父の教えを守った。

ルソン島の山中をさまよいながら敗戦を迎え、捕虜収容所を経て翌年帰国した佐々木友次は、市ヶ谷の第一復員局で第四飛行師団参謀長やった眼帯した猿渡篤孝に遇うたんや。猿渡は幾度罵詈雑言浴びせても生還しよる友次に業を煮やし、ついには銃殺命令をも出した輩や。その前に日本が降伏したさかい命拾いしたんや。湧き上がった激しい怒りはそのみすぼらしい姿に萎んでくのを感じたそうや。

戦後は郷里北海道で92歳まで生きた人やが、インタビューの受け答えに生きて帰って来た事を素直に喜べない辛さが滲む。故郷は還って来た“軍神”に冷たかった。そして「死んだ奴らに対して申し訳ないって思いが一番」と云うねん。

岩本益臣。陸軍大尉で跳飛爆撃の第一人者。跳飛の普及に尽力したんや。彼が万朶隊の隊長やったのも佐々木友次が何回も生還した要因の一つなんや。鉾田飛行師団の岩本大尉と福島大尉は、効果的な爆弾、つまり海軍のような徹甲爆弾をつくるように再三、陸軍の航空本部と三航研に求め続けたんやけど・・・陸軍最初の“特別攻撃”隊長に指名されますんや。“特攻”つまり体当たりせよちゅう命令に激怒した岩本大尉は、上官に内緒で爆弾が投下出来なくなっとった九九双軽を出来るよう整備に頼み込んで爆弾落とせるようしたんや。まともやろ。けど、明らかに命令違反であり、抗命の重罪やった。

その岩本益臣は、富永恭次司令官にマニラにある料亭での宴会に呼ばれて向かう途中でグラマンの機銃掃射受け撃墜され亡くなっとる。陸軍第一回目の“特別攻撃”の前にや。

美濃部正。海軍少佐。“特別攻撃”に反旗を翻し拒否し、夜戦航空部隊を創設し、終戦まで戦い続けたた人や。M夫ちゃんから聞いたんやったか、彼は知っとった。

戦争は惨いもんやけど、無駄死になんか愚の骨頂ですわ。特攻押し付ける無能な指揮官と奴等に唯々諾々と従う部下。

無能な指揮官がはびこると組織は瓦解する。そんな指揮官は責任を回避したり転嫁して逃げ去るもんや。精神論を横行させたりする指揮官がそれや。指揮官はリアリストでなくてはならんねん。

M夫ちゃんはワテに「貴様、精神が弛んどる」と云う事あるんやが、「精神を語るのは、リーダーとして一番安易な道です」と、鴻上尚史は書いとりまっせ。その言噛み締めてもらいたいもんや。

しかしながら、理不尽な命令を出したリーダーだけに責任がある訳やない。大きく責任問われるのはリーダーであるのは当然やけれど、小さいながら許した責任は組織の一般成員にもある。また、傍観者も無責任な態度は危うい事を認識しとかなならん。

ワテ等日本人は同調圧力に弱いと云われとるし、実際その通りやろ。メンタリティが変わっとらんとしたら、また同じ事繰り返すがな。ワテ等に突きつけとるのはそれや。

兎に角、人間はあない愚劣極まりなく痛ましい事をすんねん。それ忘れてはならんねん。

脈々と続いとるものにも悪しきもんがある。それも忘れてはならんねん。