稀勢の里が現役引退 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

山鴫に尻突かれるとかM夫ちゃんに鞭打たれるとか長~くけったいな夢を見て起きたのは8時。

朝食は卵、おかめ納豆、栃木椎茸、新潟産エノキ茸入れた蕎麦。デザートは佐賀産苺さがほのか。

永武幹子→三輪洋子とピアノ演奏をユーチューブで聴いた。

風呂に小一時間浸り考えとった。日本企業があかんようになったんは、挑戦の無さ、ネットワークづくりの下手さ、長期的視点を持って投資せんようになったからや。

昼食に西浅草「鍋茶屋」へ行って、いつものランチうな丼を食うた。1080円也。やはり旨いなあ。

郵便局で金下ろし、スーパーで食料買うて帰宅。

筋トレ30分し、マッコイ・タイナーのアルバム「アサンテ」をレコードで聴いた。

北風冷たかったが赤坂「Bflat」へ歩き、TKさん、I岡夫妻、S田夫妻にワテの6名で、鈴木良雄(b), 井上信平(fl), 野力奏一(p), 岡部洋一(perc).の演奏聴いた。今年聴いた初ライブ、よかったわ。

電車で戻って来て、ヨーグルト食うた。

 

 

第72代横綱稀勢の里が進退を懸けて臨んだ初場所、初日から三連敗を喫して引退を表明した。32歳や。

ワテ、テレビ持ってないんで三日間ラジオで対戦をハラハラしながら聞いとったが、連敗したところで引退やなと思うた。

大相撲好きの知人の中には、貴乃花でさえ引退前の休場7場所やったんやから、稀勢の里は先場所で引退すべきや云う方が一人ならず居った。

しかしながら、ワテはその考えには全く反対やった。

しとうて負うた怪我やないねん。大怪我やったんやから、二年間休んでどこが悪いねん。横綱は大関のように平幕に下がってやり直すちゅう事出来ひんのやから。中途半端な治りで出て悪化させてまた休場の愚繰り返さず、万全の状態で土俵に立てる迄養生すべきや。日本相撲協会の思惑で出るべきやない。そう主張した。

稀勢の里が引退に追い込まれたのは、新横綱場所で負った大怪我、それに治り切らぬ段階で本場所に出た事や。それで横綱在位中に15日土俵上がったの二場所のみの短命横綱になったんや。

確かに17年春場所千秋楽、13日目に日馬富士戦で負った痛みを押して強行出場した稀勢の里が照ノ富士を本割と優勝決定戦で二連勝して逆転優勝を飾った時は多くの人に感動もたらしたやろ。新横綱の優勝は貴乃花以来でもあったしな。しかしだがでも、その代償は大きかった。その後、万全な状態での復帰が叶わず、金星を配給係になってもうた。

引退会見で、「横綱として皆様の期待に添えられないということは非常に悔いは残りますが、わたしの土俵人生に一片の悔いもございません」と話した稀勢の里や。

敢えてワテは云う。そんな事あるかい、土俵人生を振り返れば大きな悔い残っとるやろ、と。無念やったやろ、と。

貴乃花に次ぐ史上二番目に若い18歳3カ月で新入幕した稀勢の里。突き押し相撲見事やった。ワテ含めて多くの大相撲好きが近い将来に横綱やと期待した。ところが壁にぶち当たる。大関となる迄遠い道のりやった。大関昇進は史上五位の遅い記録や。そして若乃花以来19年振りの日本出身横綱として17年初場所で初優勝後、横綱に昇進した。

日本出身横綱として期待を背負った事が重圧やったか問われて、「いい環境でした。あの声援の中で相撲を取れることは本当に力士として幸せなことで、本当にいい思い出です」

敢えてワテは云う。そんな事あるかい、大きなプレッシャーやったやろ、と。素直な心境とは思われん。

「応援してくれる方の為に相撲は続けようと判断してやってきたが、このような結果になって申し訳ない」

誰からも期待されぬちゅうのもごっつ悲しいが、多くの人から過度な期待されるちゅうのもごっつ辛いもんがある。

ワテ等フツーな大人が期待に沿うのでもなかなか大変やし。

もしかして、19年振りの日本出身横綱は日本相撲協会の事情でここ迄辞められずに来たんかも。

昔ながらの真っ向勝負な稀勢の里、ごっつ好きやった。これからは親方として現在の大相撲に相応しいように改革に取り組んで欲しい。