『坊っちゃん』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

正月、お袋様の所で筋トレもせず散歩もせず食うてはテレビ食うてはテレビと炬燵でゴロゴロしとったんで、帰宅後体重量ってみたら68.9㎏になっとったがな。贅肉が付いたんや。

頑張って筋トレ小一時間した。こころええ疲労感。

風呂に小一時間浸り考えとった。ポリティカル・コレクトネスちゅう流行り言葉があるが、それを追い求め過ぎるとユーモアが失われる社会になるなあ。美風が無くなるちゅうこっちゃ。

グレープフルーツジュース飲みながら寺久保エレナのサックス演奏をユーチューブで聴いた。

 

 

そう云えば、脱藩素浪人になると決めた際、雨の降る日はじっくり夏目漱石の未読の名作何編か読んでみよと思うたよな。ふと、その事思い出してん。すっかり忘れてたわ。

それで、「吾輩は猫である」から読み出そうと思うたが、これが意外にも分厚い長編や。そやった、前にもそれで読むの止めたんやったと思い出して、まずは『坊っちゃん』を読む事に切り替えましたわ。

読んで吃驚や。

ワテ、『坊っちゃん』でさえも中学生の時に簡略版しか読んでなかったんやが、それとは読後感大分違ったからや。

テレビドラマは2つ見とるが、それらはマドンナの扱いとか内容も異なっとったの、そんなもんやろ思うたが、簡略版を読んだ印象と違うのはどうしてやろと考えたがな。

ワテが読み見した簡略版小説もテレビドラマも登場人物のキャラクターは原作と変わりなかった。

主人公は親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしとり、江戸っ子なのを誇りにしとるせっかちな正義漢なんや。食いしん坊でもある。両親からは疎まれ兄とは仲がようない。

主人公を坊っちゃんと呼ぶ下女の清だけが可愛がってくれとった。けど、身分のある家の出である清は、坊っちゃんと一緒に住むの、麹町、麻布がええちゅうんやから贅沢な婆ですわ。肺炎で亡くなり小日向が終の棲家となんねんけどな。

物理学校の校長から、四国の中学校で数学教師になってはどうかと勧められた坊ちゃんは引き受けて東京出発したんや。

坊っちゃんは、赴任先の事勿れ主義な校長には見た目から狸と渾名を付けるんや。

帝大出の文学士である教頭には年中ネルの赤シャツを着とるんで赤シャツと渾名を付けるんや。気味の悪いように優しい声を出す男で、策士ですわ。

教頭の太鼓持ちで腰巾着の画学教師に付けた渾名は野だいこでげす。赤シャツの腰巾着や。沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本の為だ、と坊っちゃんは思うとる。

会津出身のせっかちで癇癪持ちの数学主任堀田に付けた渾名は山嵐。坊っちゃんによれば、比叡山の悪僧の如き面らしい。男気があり、生徒の評判もええ。

人の好い英語教師の青白いふくれ顔古賀に付けたのはうらなり。マドンナの婚約者やった。

この物語のクライマックスは、坊っちゃんが山嵐と共に、芸者と密会した帰り道の赤シャツと野太鼓に天誅を実行するところですわ。ポカポカとな。

それで、辞表出してさよならやがな。

そう、坊っちゃんが教師しとったのたったの一ヵ月程に過ぎず新米教師の儘辞めとるんや。濃い一ヵ月やけどな。

それから何になったかちゅうと、鉄道の技師になんねんけど、教師よりもそっちの方がズッと坊っちゃんには向いとるが、あの気質性格やから技師になっても騒動巻き起こすやろなあ。

そやから、続編あって然るべきなんやが無い。寂しいちゅうか、潔いちゅうか。

兎も角、『坊っちゃん』は何とも愉快痛快な物語やった。記憶手繰り寄せてみれば、この吹っ切れた愉快痛快感がワテの読んだ簡略版には薄うなっとったんやと思う。

しかし案山子、流石お札にも描かれる夏目漱石や。凡庸な作家なら、マドンナとの恋愛があったりするもんやが、無い。それなら、生徒との心温まる交流があるかと云えば、それも無い。それどころか攻防戦や。そもそも、坊っちゃんは理念持って教員しとらんし、教育の在り方を考えてもおらん。そやからこそリアリティー感じるんや。

ワテ、この一作で夏目漱石は文豪やと納得しましたわ。