『クリーピー 偽りの隣人』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

『クリーピー 偽りの隣人』☆☆

昨夜は雷雨後涼しゅうなり、ぐっすり眠れて今朝起きたのは7時半で、朝食は茨城産トウモロコシ2本を茹でて食うた。デザートはコーヒーゼリー。
風呂に一時間浸って、天皇生前退位の意向の話ちゅうの誰が告げ口したんかキナ臭いなあと、つらつら国母が活躍した藤原氏や乳母が活躍した平氏の事思い浮かべ考えとった。
台所の掃除をした。

ラジオ「セッション2016」で田中菜緒子(ピアノ)、安田幸司(ベース)、安藤正則(ドラムス)、岡崎好朗(トランペット)の演奏聴いた。
昼食は松が谷「ル グルニエ 」に行き、平日限定のビジネスランチを静かに流れるボサノバ聴きながら食うた。今日のメインは豚バラ肉とレンズ豆のクリーム煮。サラダ、パン、コーヒーが付き1290円也。ホール担当が女のコに変わっとった。
郵便局で金下ろして帰宅。

筋トレ30分した。

北海道根釧ミルクを使うたウチカフェ・プレミアムミルクアイス舐めたり煎餅食うたりしつつマッコイ・タイナーのアルバム「フライ・ウィズ・ザ・ウインド」をレコードで繰り返し聴いた。


「岸辺の旅」観よう思うとったら上映終了しとった黒沢清監督の新作を火曜日に観て来た。
北九州市小倉で起きた悍ましく凶悪な監禁殺人事件に基づいとるんやろが、サイコパスを核に関わり合い厭う社会の一面を切り取った作品でしたわ。
隣人がどないな人かは、暮らして行くのに重要な事や。
例えば土地境界トラブルがあったりすると隣人の存在否応なく意識されるが、普段は薄うなったと云われる隣人との付き合いや。
アンベ悪いノミクスで安倍政権が安易に広めようとしとる民泊ちゅうので、隣人も短期間に変わる世の中ですわ。中には旅の恥は掻き捨てで深夜に騒音撒き散らしたりゴミを放置したりしよる輩も居る。
この映画は多摩の稲城市が舞台やれど、リアリティの無さが半端なく突っ込みどころも数知れずで、同じ黒沢でも巨匠黒沢明やったらあないな儘では決して完成させまい。
とは云うても、清監督に演出力あるし、かなり笑えたんで駄作やない。
キャスティングもええ。
引っ越先の隣人のサイコパス西野に日本の怪優香川照之。日常生活の中の違和感、それは何で感ずるかちゅうとズレやが、どうもズレとると感ずるもののめちゃええ人かと思う瞬間と悍ましい面見せる西野の言動もさることながら視線の動きが不気味や。流石の演技や。
他人を操りたい衝動の強いサイコパスらしいところで西野が墓穴掘るの筋もええ。
一緒に暮らす西野を「あの人、お父さんじゃありません。全然知らない人です」と、隣人高倉に告げる訳あり娘が、監督の狙いなんやろが謎なんや。終盤、射殺されてもうた西野に向かい罵詈雑言云うねん。学校に通うとるようやし、どこ迄西野に洗脳されとったんか?今振り返るとあの娘、サイコパスになりそう、いや既にもうそうなのかもしれん。その役を藤野涼子が演じとって今後大いに期待出来る役者ですわ。
ワテがこの作品の脚本担当しとったら、絶叫しよるやす子を抱えた高倉をこの娘に大型犬撫でながら射殺させニヤリとさせるラストやね。
己の過信から取り調べ中に脱走した連続殺人犯のサイコパスに刺され怪我をし犠牲者も増やした事件をきっかけに刑事辞めて大学で犯罪心理学教える自惚れ屋高倉役に西島秀俊。嘗て高倉が刑事時代の後輩で刑事続けとる野上に頼まれて未解決のある一家失踪事件を調べるうちに西野に疑いの目を向けるちゅう展開や。線細かった西島やが、この頃太くなって主役級としても使えるようになったがな。
高倉の妻で次第に巻き込まれてゆくやす子役を竹内結子が演じとるんやけど、ええ役者になったわ。観とって引きずり込まれて行く恐怖を感じさせられ、心身憔悴するやす子守ってやりたい気持ちになったわ。
しかしながら、やす子はこれからも報われぬ。最後、絶叫しよるんんやが、高倉に抱き寄せられても彼女の生涯はサイコパスに翻弄され続ける事が分かっただけやからな。西島よりはまだしもやけれど。
刑事野上は札付きなのか?西野の家に上がり込んであっさり殺されるが、そうされても警察には慌て振りが見られぬ。この役は東出昌大。それにしても野上のパソコンデータを消去したのは誰なんや?
6年前の一家失踪事件の唯一の生き残り役に川口春奈。その聞き取り調査中で知らされるのが高倉はサイコパスちゅう事なんや。
もう一つええと思うたのは、キャンパスのガラス張りの部屋や外部の明暗、光と陰の使い方での重苦しさの演出の上手さやな。
尤も西野の家にある誰に設置させたんか疑問膨らます鉄の扉は余計や。
そして、弱いのは支配される者達の疑心暗鬼が描かれとらんところですわ。
いずれにしろこの作品はサイコパスへの理解の仕方で観方が大分違ってしまうやろ。
サイコパスは悪の塊や無い。彼等の中には風変りやけど社交的で言葉を巧みに使い一見魅力的に見える輩が少なからず居るんや。ワテが勤めとった時に接しざるを得なかったサイコパスにも、そないな想いで接しとったと思われる人少なくなかったでえ。
サイコパスは居る。奴等との距離が近いと難儀や。