『スポットライト 世紀のスクープ』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

『スポットライト 世紀のスクープ』☆☆☆

北方領土へHちゃんと旅に行く夢見た今朝は7時に目が覚めた。
風呂に小一時間浸り考えとった。知事時代に高額な海外出張費ガンガン使うとった石原慎太郎が舛添要一を「あまりに惨めな話」云うたのは、俺みたいにバンバン税金使うてさえ非難されんようにせなならん、ちゅう事云いたかったんやろうな。
朝食はスーパーで半額になったんで買うとった大麦豚のひれかつ丼。デザートはチリ産レッドグローブ。しかし、皮ごと食べるのが一般的な葡萄は残留農薬が気になりまんなあ。
掃除洗濯した。

出口優日→石川早苗→山添ゆか→情家みえ→ソフィ・ミルマン→ロバータ・ガンバリーニ→ダイアン・リーブスとシンガーをユーチューブで聴いとったら正午に。
昼食は裏浅草に行って「うんすけ」に入り一汁三菜ランチを頼んだ。コーヒーが付き1000円也。
健康になった気分で店出て、南千住図書館へ行き日本史の本とスポーツ新聞読んだ。サンケイスポーツに載った燕軍が高校卒業後暫くカブス傘下のマイナーに居って今年は四国アイランドリーグの徳島に居る韓国人外野手ハ・ジェフンを獲得ちゅう記事に吃驚。欲しいの有能な投手なんやけど・・・


多額の寄付があり、金銭的には困窮していなかったにもかかわらず、マザー・テレサのホスピスは衛生状態が悪く満足な治療が施せなかった、と彼女を批判する人々は云うとる。ノーベル平和賞受けとる修道女マザー・テレサは、患者には痛みに耐えることを賛美して癒やすとちゅう怪しげな療法しとった、とも彼女を批判する人々は云うとる。
さて、昨日、ジャーナリストの矜持見せた見応えのある映画を観て来た。事実に基づく話や。映画で語られた報道でピューリッツァー賞を獲得したもんなんですわ。
しかし、ボストングローブがニューヨークタイムズの傘下に入っとったとは、時代感じるわな。
監督はトム・マッカーシー。
長年に亘り隠蔽されとったカトリック教会の神父による児童への性的虐待のスキャンダルを2003年にボストン・グローブ紙のチームが暴いた。そのスクープをものした記者達が奔走する姿を描いとんねん。
児童へ性的虐待しとった神父の加害者は3人や4人ではあらへん。87人にも及ぶんや。これでは聖職者や無く、性食者や。
被害者側が訴えなかった訳やない。
なのになぜ神父達による犯罪が看過され続けとったのか?
ボストン周辺にはアイルランド系住民が多く、彼等はカトリック信仰しとる割合が多い。勿論、記者にも信者が居る。
タブー視されとった訳や。身に着いたタブー意識が、素直に見れば見えるもんにさえ目閉じさせとったんや。人間、見たくないもんは見逃すもんやねん。真実突き付けられてもな。警察も行政も司法も、ボストン・グローブの記者達もそうやった事が次第に明らかになった。
斯様に現実を直視するちゅうのは、実は簡単やあらしまへん。
三面記事に目を付けタブーに切り込もうとスポットライト・チームに云う新局長マーティ・バロンが偉い。ニューヨークタイムズから来たよそ者のユダヤ人ちゅうのもあるんやろけど。やはり、社会にはよそ者ちゅう存在が必要や。
当初、部長のベンは抵抗する。新聞購読者の半分以上がカトリック教徒である事が理由や。
それにしても、新任の局長は枢機卿に挨拶に出向かなならん慣行があるとわ、吃驚やったでえ。それ程カトリック教会の影響力が大きいちゅう事で、枢機卿は地域の権力者なんや。
そやから、事件の真相暴くと権力者を追い落とす事になんねん。
スポットライト・チームが任されたこの仕事は生半可では出来ぬのや。
それにしても、心理療法士によれば、神父全体の6%が小児性愛者の可能性あるちゅうのに、ほんま吃驚やったでえ。
記者達も他人事やないと分かってきよる。自分が被害者にならんかったのは運やったとも云えるからや。
もっと吃驚せなあかんのは、カトリック教会は卑劣な犯罪を組織ぐるみで隠しとった事や。カトリック教会は、被害者側から訴えられると弁護士使い直接示談持ち掛けて、加害者は配置転換したり休職にしたりして問題の隠滅を図っとったんや。
それちゅうのは、不祥事あった際に教団だけやなく学校でも会社でもやっとる事やけどな。
つまり、問題は、弱い立場の児童を選び性的虐待しよった神父だけやあらしまへん。カトリックの総本山たるバチカンのヘンさが露わになんねん。
ま、宗教団体が階層化すると大概堕落するわな。
で、巧妙に立ちはだかる権力者の妨害行為。
ジャーナリストちゅうのは大変な仕事やなあ。地道に足で稼ぐ取材活動はしんどいし、眠っとる膨大な資料を洗い直すのも大変な作業ですわ。事件掘り下げる気骨ある者達でなければ記者の資格無しですわ。
「9.11」もあり、調査が一時中断した時にはどないなるんやろ、とサスペンス感高まった。
主役はマーク・ラファロ演ずる記者マイケルなんやろが、真実に迫ったチームが主役とも云えるわな。
判事に「これを記事にしたら誰が責任を取るんだ」と云われ、記者マイケルが云い返すところがええ。「では記事にしない場合の責任は?」許されざる犯罪が起こっとるのに、困った判事や。
マイケル・キートンがデスクのロビー役。
レイチェル・マクアダムスが記者サーシャ役。
ブライアン・ダーシー・ ジェームズが主に資料分析しとるマット役。
局長マーティ・バロンにはリーヴ・シュレイバーが扮しとる。
部長ベン役にはジョン・スラッテリー。
そして、弁護士ギャラベディアン役スタンリー・トゥッチがこの作品でもええ演技しとったでえ。
この作品、単なる正義の味方もんで終わらせてはいない。
しかしながらと云うべきかだからこそと云うべきか、隔靴掻痒の感があんねん。それが現実ちゅうもんやね。
加害者の中には、ジョン・ゲーガンのように小児性愛の欲望満たす為に神父になったんやろと思われる輩も居るやろ。けれど、記者サーシャに加害神父の一人が性的虐待の連鎖を語ろうとしとったの姉に止められたが、問題の根は深いねん。
なぜなら、プロテスタントと違うて、カトリックの神父や修道女は結婚出来んのや。
セックスはしてあかんちゅうのがそもそも間違っとる。セックスせんかったら、あんた生まれて来んやろ。果てには人間滅亡すんねん。
禁欲は個人のもんであって、他人や組織から強いられるもんであってはならん。
ただ禁欲を強いただけではあかんねん。本能抑圧した儘では反動あるからな。
そやから、教義からそれ無くさなくてはこないな事件はまだまだ続く事との認識必要や。
劇場出て思うた。{マスコミの怠慢によってつくられた偶像を手放しで信じると悲惨やけど、一方マスコミは真実を教えてくれたりもする有難い存在や}
我が国の新聞にも違和感抱かせる記事少なくないけど、近年執念に欠けるようにしか思われぬ新聞記者の皆さんはこの作品どない観たやろ?