千駄ヶ谷 春樹さんが「ピーター・キャット」やっとった頃 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

14日夜の益城町マグニチュード6.5震度7の地震が16日未明のマグニチュード7.3の前震やったとは・・・
風強い今日起きたの7時半で、朝食は昨夜スーパーで半額になったんで買うとった海鮮丼。デザートは青森産りんご。花粉症の薬飲んだ。
シェリル・リンのレコード・アルバム「イン・ラブ」とジョン・ヘンドリックスのレコード・アルバム「歌の叫び」を聴いた。
木曜金曜の夜で飲み代に一万円超える額費やしとるさかい、節約せなならんと今日の昼食も1080円以下のランチにしよと、二天門傍の「アルティスタ」へ入った。やはり小父さんが給仕しとった。ボロニェーゼを注文。サラダ、パン、プチデザート、コーヒーが付き1000円也に満足。
突風で傘が壊れての帰宅。

ネットで燕軍の戦いを応援。逆転サヨナラ勝ちに気を良くし筋トレを一時間半した。
牛乳飲んでから風呂に一時間浸かって、タックスヘイブンの話がパナマ文書として出て来たが、もう20年も前にNっぺとケイマン諸島の件を厳格な法整備してしっかり規制せなあかんと話しとったんやけどなあ。皆で改めて税金の意味を認識し直さなくてはならんと考えとった。
夕食はカナダ産豚肉、北海道産じゃが芋、長野産ぶなしめじをタジン鍋で蒸して食うた。デザートはグレープフルーツ入れたヨーグルト。
いつの間にかユッコ・ミラーに変身しとった大西由希子の演奏をユーチューブで聴き、食糧調達にスーパーに行って来て、「NIKITA/ニキータ シーズン2」をギャオで見た。
木曜日、NっぺとIKし君と、ワテが生涯で初めて見た有名人が名脇役殿山泰司で新宿のジャズ屋に客として来とったのよう見かけたちゅう昔話などしながらワイン飲んどったんやが、「ピーターキャット」の話も出たんで、千駄ヶ谷「ピーターキャット」の事記しますな。


このところ、我が長年の友Nっぺをからかうネタがあんねん。それは、同じ高校と大学に通い、しかも共に春樹さんと陽子さんが営んどった「ピーターキャット」の常連任ずるYK君が、何とNっぺを憶えてなかったちゅうもんですわ。その事を知らせてくれたのはマル・ウォルドロンのブルージーなアルバム「レフト・アローン」大好きなIKし君や。
この木曜日も、病気のYK君と会うて来たIKし君とNっぺの三人でワインをカポカポ飲んで3本空け昔話に花咲かせとったんやけど、ワテはまたその話持ち出した。「7年間も同じ所に通ったのにそんな男知らぬと云われるのも悲しいが、YKが常連でNっぺも常連で、それなのに知らぬ間柄とは。お前様ほんま春樹さんの所の常連だったんか?違う店と勘違いしとらん?」と、一時ストーカーでもないと知り得ぬような春樹さん情報持っとったNっぺをからかいましたんや。
するとNっぺ、「ムサビが常連に多かったんだ」と、IKし君の方向き云うた。
「ムササビが居ったのは知らんけど、国分寺の時の常連客には美大生ぽいの多かったわな。でも、ワテが聞いとるのはお前様がその一人だったかちゅうこっちゃ」
するとNっぺはワテをまっすぐ見て、「勿論常連だ」と云い張る。
それで、「一緒に行った時にも、春樹さんと親しく話しとった記憶が無いんや」云うた。
「S吉の目が節穴なんだ」云うんで、「何の証拠も無いのに」と云うてみたら、「今は年に一度年賀状交わすだけになってはいるが、親しかった」云いますねん。
「親しかったあ?ごっつ叱られた事があると云うとったやないか」
するとNっぺ興奮し出して、ワテは幾度も聞かされたH世っち絡みの話をIKし君にした。(以前記しとるんでその詳細は省略)
思い返してみると、Nっぺが国分寺でも千駄ヶ谷でも陽子さんと親しく話しとったの見とるけど、春樹さんと会話はしとったが、弾んだ話しとるのは目撃しとらん。
国分寺、千駄ヶ谷、店の雰囲気は変わったものの、どちらの店でもカウンターの中の春樹さんは変わらず物静かで無駄な話しとらんかったからな。
ところで、「ピーターキャット」が千駄ヶ谷に移転したのはいつの事やったんか記憶が薄れとる。木曜日、Nっぺに聞いてもはっきりした答えはなかった。当時、移ったのを教えてくれたのNっぺで、それで行くようになったんやったんやけど、彼の記憶も薄れとる。
店から歩いて10分程の神宮球場をホームとする燕軍がセ界初制覇し日本シリーズも制した78年にはあったがな。悲願達成の年やった。
当時の神宮球場のワテが陣取っとった外野には椅子が無く芝生やった。そこに寝転びながら燕軍応援しとったもんや。ワテが生まれる前から応援しとった団長岡田正泰さんもごっつ元気やった。
「ピーターキャット」の移った所は、JR総武線千駄ヶ谷駅から東京体育館の屋内プールを過ぎ鳩森神社へと歩いて行くと、その手前の雑居ビルの二階。
国分寺での地階から千駄ヶ谷では二階へ、それだけでも雰囲気変わったんやけど、ピアノもバージョンアップし、JBLスピーカーもまた大きい新しいもんやった。楕円形の大きなテーブルがあった。
変わらぬのは、こちらでもウエスト・コースト・ジャズ中心に掛けとった事。憶えとるのはそんなところや。
所謂昼間ジャズ喫茶で夜ジャズバーに変わるやジャズ屋なかった。ジャズカフェ云うた方が似つかわしい。
ワテはウヰスキーを飲みチーズケーキ食う事多かった。
春樹さんがやっとった時期は長くはなかった。小説家としての名声が上がるに比例して店は混み出し、いつの間にか経営者が変わっとった。
ワテは10回以上訪れたと思う。
武上が監督しとってビリやったシーズンに、勤めとった会社の後輩Aに小説家としての春樹さんに会いたいと乞われて訪ねた時にはもうカウンターの中にお目当ての人は居らんかった。