「蒲田温泉」 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

磯山さやかにメロンを食わせてもらう夢見て目覚めたのは5時半やった。けど、起きたのはそれから30分後やった。
植物に水遣りし、秋田産あきたこまちのご飯炊き、くめ納豆と紀州産梅干で二膳食うた。デザートに和歌山産大石プラム3個。
ケニー・ギャレット→ロバート・グラスパー→黒田卓也とユーチューブで聴いて行った。
上野アメ横御徒町と歩き昼食は「山家」に入り、ロースかつ定食700円也に満足して出たら列出来とって、早めに行ってよかった思うた。
スーパーに立ち寄り果物買うて帰り、チョコレート食いながら、ダイアナ・クラールのアルバム「ザ・ルック・オブ・ラブ」と「ザ・ガール・イン・ジ・アザー・ルーム」をCDで繰り返し聴いた。
夕食はカナダ産豚肉、神奈川産キャベツ、新潟産舞茸を炒めてご飯食うた。デザートはグレープフルーツジュース入りヨーグルト。
入り込んだ蚊を退治してから、筋トレ30分し、安倍政権が火消しに躍起になっとる安倍シンパ「自民党文化芸術懇話会」の事を思い浮かべながら日本史の本読んどった。驕る平家は久しからず。


先週の土曜日に大学時代からの友H君が穴の都東京に遊びに来よった。
既に約束した上野の肉系居酒屋に入って待っとったH君、会うてワテの顔見るなり、血色頗るええ顔で「刺激が足りなさそうな面しとるやないか」云いますねん。
そやから云うたった。「H君が目の前に現れただけでえらい刺激や。そっちは血の巡りええ暮らししてそうやな、顔見れば分かる」
「相変わらず働いてもおるし、運動しっかりしとるからな。素浪人のS吉とは違うてな」
「鼻水垂れの脱藩素浪人で悪かったな。ワテかて水・金・日曜日は筋トレしとって、筋肉付いて体重は戻ってはおるんやが、なぜか以前よりも冷房に弱くなっとるんや。H君のしとる運動ちゅうのはさぞかしハードなんやろな」
「そうや、ハードやがすっきりするで」
「どないな運動しとるやら」
それから肉料理鱈腹食いながら、ビール飲み、一年振りの舌戦は続いたんや。
そして、話は、H君と一緒に入ったのワテの脳はすっかり忘れてとった「六郷温泉」へ行く事になった経緯に。
彼が云うには、ワテに一緒に「六郷温泉」へ行きたいと誘われたのを一度は断ったが、風呂嫌いなF君でさえ温泉に行きたいちゅう申し出を快諾したのにお前は遠方に出向くでもないのに一緒に行ってくれない冷たい奴だったのか、もう裸の付き合いは出来ぬのかとワテに詰め寄られ、今更裸の付き合いでもないとは思ったもののそこ迄云うなら付き合ってやろかと出掛けたのだと。
つまりは渋々やったんや、H君は。しかしワテそないな云い方したんやろか?ちいとも憶えとらん。
F君と行った温泉ちゅうのは、やはり大田区にある「蒲田温泉」しか無いから、それは大学四年の時になり、するとH君と三十路前半で行った「六郷温泉」の時からおよそ十年離れとる事になる。我ながら大分前の話を持ち出したもんや。
それとも、F君がこちらに出て来て別の温泉へも行った事あるのを忘却の彼方に追いやっとるのやろか?或いはワテが関西へ行ったとか・・・どう考えてもそれは無いな。
ワテ、昭和な雰囲気残る「蒲田温泉」へは、それから三度入りに行とって、その度に強面なF君との記憶蘇らせとるもんな。行ったんはいずれも羽田空港経由での出張帰りの際ですわ。京急蒲田駅で下車して10分弱歩けば着く蒲田本町にありまんねん。出張疲れを癒してから帰宅しましてん。
ここ、有り難い事に銭湯料金で入浴することが出来るんですわ。それでサウナにも入れる。と云うてもワテはあんまりサウナ利用せんけど。
営業時間も午前中から夜遅く迄なんですわ。
泉質は大田区に多いナトリウム炭酸水素塩・塩化物鉱泉や。色黒な黒湯ちゅうやつで、如何にも疲労回復の効果がありそうですわ。
湯がかなり熱くなる程加熱しとって、ワテには長く浸っておられぬ湯船の方には大概地元の爺さん達が陣取っとる。なぜに東京の爺さん達は熱さ我慢が好きなんやろ?サウナにも居るがな、そんな爺さん達。体に悪いでえ。低温のもあるんで、ワテはそっちなら入る。
二階には大広間がありますねん。そこで強面F君と壁にもたれ掛かり立て膝で話し込んだ事だけが鮮やかに思い出されるがな。

その後、ジャズ友達の仲が割れる事となった五反田での事件があったんやが、F君は青春の蹉跌と感じとる様子が見られたんやが一言も詫びぬゆえワテとは一旦で他の友達とはそれっきり付き合いが途切れ、同じ行動をしたH君はすぐに詫びて来たもののどうも蹉跌とは思っていない様子で居ったが付き合いは途切れなかったんや。
今は勤務先の執行役員となったF君にとって、果たしてあの悔いは糧となって今日の地位を得たのやろうか?それともあの時何ら悔いておらんかったんやろか?後にH君らしい仲立ちで六本木で会うた時の彼の態度からするとワテが見たように思うた青春の蹉跌は幻やったんかもしれん。兎に角、彼はメーカーに入社後頑張って執行役員になった。
H君は店出て別れる時云うた。「出張は無くなったが、S吉を寂しがらせる訳にはいかんから、また来年も必ず来るな。それ迄に仕事見つけとけよ」