人形町(にんぎょちょお) | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

今朝は起きたの8時半で、またしてもゴミ収集車の来る時間には夢の中。見とった夢は昨夜の四人でのワインを楽しむ会の続きの如きもんやった。
昨夜はオーさん、ウーさん、サイさんのワインを楽しむ会に三度目の参加。今回はワテが幹事役で浅草のワイン居酒屋でやったんやが、かなり飲んだわ。
会話のスタートは、都議会でのヤジ騒動では終わらず、不明朗な政務活動費を追及されフナッシー状態で名を馳せた無所属の兵庫県議の野々村竜太郎に止まらず、地域政党・減税日本の愛知県議半田晃士が昨年度の政務活動費使うて知人女性に海外視察を委託し、その女性は3か国視察したが報告書はコピペやったちゅう情けない有様から。四人が四人、区議・市議がおれば都議・県議はいらん、税金の無駄遣いやさかい廃止せなあかんちゅう意見の一致みた。
安倍晋三ご執心の集団的自衛権に話が及んだが、それは何度も紛争介入に失敗しとる米国の助っ人になるちゅう事の認識が無く、個別で済む事と混同しとる方が二名おり、話は尻すぼみ。お為ごかしの防衛論議に辟易しとるワテは、日米同盟は大事やけど、集団的自衛権言い出す前にまず日米地位協定破棄と所謂思い遣り予算全廃すべきで、そうせな対等や無いと、予てからの主張だけは云うた。
朝食に秋田産あきたこまちでご飯炊き、くめ納豆、海苔で二膳。デザートは山梨産プラム2個。
掃除・洗濯した。

レコードアルバム「カウント・ベイシーとミルス・ブラザーズ」を聴いた。
昨夜金使うたんで、昼食は外食せずカナダ産豚ロース、栃木産アスパラをタジン鍋で蒸し、ご飯二膳。
先週は月曜5時間半、火曜5時間、水曜は雨で1時間半、木曜5時間半、金曜4時間半、土曜小1時間、日曜4時間歩いて、登山は別として生まれてから一番歩いた週やったが、今週は風邪な事もあり月曜から水曜迄はほとんど歩かんかったんで、雨上がってから日暮里地区周辺の路地歩きし、図書館は日暮里図書館へ入ったんやが、17時で閉館でしたわ。
一旦帰宅後、燕軍の闘いをネットで見た。

改めて外出。スーパーへ行き食料買うて、夕食は半額になったチキン南蛮弁当。デザートはグレープフルーツジュース入れたヨーグルト。
ぬるめの風呂に一時間半浸り、先週会うたH君との会話を思い返しとった。H君はワテの人生に欠かせぬ一人や。
22時からラジオで「テイスト・オブ・ジャズ」聴き終わり、これ記しとる。
ほな、先週会うたH君との事ですわ。


忘れようかという頃にH君からまた電話が来た。うすうす掛けて来るとは思うとった。如月に会うたMさんの事でな。
Mさんとは昔数ヶ月お付き合いさせていただいた。なぜ別れたか思い出せぬ自然消滅やった。
Mさんと会うた事薄らいだ頃になって、H君は電話をして来たんや。
「暫く電話して来んから、出張延びたんかと思うとったわ」
「報告の義務も延びてよかったなあ」ワテにブログ記す約束させた事を云うたんや。
「報告の義務やなく、脅しや」載せぬと、彼にどないな仕打ち受けるか分からん。
「人聞きの悪い事云うなあ。年に一度S吉に会わぬ訳にはいかんやろ。それで何年かに一度かはお題出さな」
「なんや七夕みたいな事云うけど、お題はいらん」
H君、仕事は水無月の最終金曜日に日帰り出張やが、翌土曜夜会おう云うたんや。二泊するんやて。
ちゅう訳で、梅雨らしい小雨の夜、彼と初めて映画を共に観、それから夕食を摂りながら口で静かな格闘したんや。
百戦錬磨のH君や、なかなか本題には入らぬ。まずは「まだ引き篭もっとるのか?」そう問うねん。
「引き篭もり、云われれば否定は出来んが、体調悪かったり大雨の日除いて毎日しっかり歩いとる。今迄歩いてない所をな」
「対話が無ければ引き篭もりや」
「週一は誰かと会うて飲んどる」
「飲める金があるんや。そう云えば、失業者にしてはええもん食うとるな。ブログ面白く読んどる」
始めはH君らしくジャブを繰り出したんや。
ワテは、昼食時に絡んだ外出日と飲み会は別にして、外食は金曜日から日曜日に限っている事。月から木の夕食には昨年師走に散歩の際に見つけた閉店時間が早いスーパーで半額になった弁当を買うて食う事が多いと説明した。
すると、H君は「それはどうでもええが、Mさんとの事はどうやった?」と問うた。
「そう云えば、Mさんに会うた時もどんな食生活しとるか尋ねられたわ」と、ワテH君の聞きたい話から逸らそうとした。
H君は冷たい声出し、とうとう本題に入った。「別れた人との久し振りの出会いの気分はどうやったんや?高鳴ったか?」
「その云い方、引っ掛かるなあ。そもそも付き合うとったの何十年も前や」
「約束のブログの件やが」
「載せたやろ」
再会の件でブログに記した事、H君、「全く詰まらん。ふたりの思い出話などいらぬ」と云う。
「詰まらん云われてもなあ、他には特段無いんやから」
「昼だけやなく夜も会うたんやから、何かあるはずやろ。S吉のかもしれん子供の事とか」
「あらへん。彼女、子供の事など一切触れんかったわ」
それからいろいろ詮索されたが、無いもんは無いんで話は仕舞いやった。
それでも、H君は諦め切れぬ様子見せ、「俺等も深川行ったよなあ」云うんや。
記憶懸命に掘り起こしても、彼と一緒に深川へ行った憶えが無い。
「S吉、ここに昔は歌舞伎小屋があったんや、とか云うとった」
「歌舞伎小屋があった所?」
「あの老舗の鳥屋で旨い親子丼食うたやろ」
「それ、玉ひでやな」
H君、日本橋人形町と思い違いしとったんや。
「人形町と深川の距離はさほど遠くはないが、深川には甘酒横丁は無い」
「甘酒横丁、ああ、小母ちゃん達で混んどった」と云い、H君ちょっち頭捻っとったが、「思い出した、水天宮にも参ったでえ」云うた。
「せや、なぜか若い男二人、お宮参りしたなあ」
初めて人形町蛎殻町へ行ったのH君とやった。勿論安産祈願へ行ったんやない。
「可笑しい事ないやろ」
「せやけどな、そないなカップル他に居らんかった」
あの時H君は感じなかったんやろか?ワテ、周りの奇異な視線に晒されとる姿が蘇った。
「己等をカップル思うからヘンに感じる訳や」
人形町は水天宮の門前町として栄えた。
人形町と名付けられたのは、江戸時代に操り人形の芝居小屋があり、人形遣いが多く住んでいたからとされとる。人形作って売る店も軒並べとったらしい。
も一つ栄えた大きな理由がある。幕府開設間もない頃から徳川幕府公認の遊郭吉原は人形町にあったんや。今の堀留町二丁目から富沢町辺りらしい。
振袖火事と呼ばれる明暦の大火で辺りが焼失した後、幕府の命で日本堤の浅草たんぼに移転され新吉原としたんで、吉原ちゅうと浅草を思い浮かべるんやけどな。
遊郭があれば、歌舞伎小屋も出来、芝居町は天保に浅草猿若町へ移る迄あったんや。