高円寺 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

海の日の今朝は7時半に起き、冷やし中華二人前と卵二つの目玉焼きの朝食。デザートはフィリピン産パイナップル1/4。
ジムのアルバム「ジム・ホール・ライブ」とドン・セベスキーのアルバム「エンタテイナー」をレコードで聴いた。

それから浅草散歩へ出掛けたんや。
今日の昼食も初めて入る店で摂った。去年、かっぱ橋商店街に出来た小体なイタリアンレストラン「カーサ カステリーニ」ちゅう店や。パスタ・ランチ注文し、カジキ鮪としし唐のトマトソース・スパゲッティを選んだ。サラダとパンが付き870円也。スパゲッティの茹で具合が絶妙で感心したものの、カジキ鮪がちょっちなあという出来。それは昨日の昼食で旨い魚食うた記憶が舌に残っとる事もあるかもしれん。それと、付いとる肉の少ないワテには店内が冷房で寒過ぎ、鼻水垂れっぱなしで長く居られず、早く食わなならん事もあって満足感無かった。そやさかい、次入るのは秋やね。
店出ると、冷房でやろ、ちょっち頭痛し出したんで、近くの公園のベンチに座り、休んだり、学んだ日本史忘れぬよう思い返してみたりした。
燕軍の疲労します戦が17時からなんで、ちょっち早い夕食に吉野家でねぎ塩ロース豚丼食うて帰宅。

パソコン立ち上げネットで応援。エルドレッドに30号2ラン打たれたが、辛くも1点差で逃げ切ったわ。
りんごジュース飲み勝利祝し、カーリン・クローグ&デキスター・ゴードンのアルバム「ブルース・アンド・バラード」をレコードで聴いた。


今日も風が通らず蒸し暑いなあ。
夏踊りの時節が近付いて来たと考えれば、幾らか涼しゅうなるか。
昔住んで居った高円寺では、葉月下旬の週末になると駅前の通りで阿波踊りやるんや。かなり盛大で、駅前は人人人でごったがえすが、その時節には踊る阿呆も観る阿呆もホッとする涼しい風も吹く事ある。
ワテが住んどった当時も若人が多く住んどったが、高円寺は今更に若人に人気高まっとるちゅう話で、駅周辺には若人目当ての店々が出来とる。数年前の神無月に阿佐谷ジャズストリートの帰り立ち寄った際、それらの店が賑わっとったわ。
地名のルーツになったのは、曹洞宗の寺院高円寺や。そこの境内には、この寺を気に入っとった三代将軍家光の寄進と伝えられる茶園の名残もある。
ワテが高円寺に住むのを決めたのは、勤めとった会社に通うのに電車乗り換えず行けたのと友人が阿佐谷南、野方、沼袋、鷺宮、吉祥寺に住んどったからや。週末には彼等の住まいに尋ねて行ったもんや。彼等がやって来た時には、南高円寺にある高円寺へ連れて行っとった。
普段の買い物は高円寺銀座でしとった。今は高円寺純情商店街と名乗っとる所や。
座・高円寺ちゅう施設が今出来とるんやが、丁目は違うがワテ住んどったはその近くやった。
駅北口からライブハウス「次郎吉」を通り帰る事としとったんやが、その店の前で会社帰りに三度女の人に声掛けされた。これ迄の人生で道を尋ねられたの別にして、ナンパスポット以外で見知らぬ女性から声を掛けられたの、「次郎吉」前の他では神田の城南信金前で一度しかないんで、3/4がそこでなんですわ。
まず一人目は、ワテと同じ二十代と思しき長い髪のワンピース着た人でした。
{清楚な感じのお方やないか、誰か待っとんのかいな}と思い、歩きながら見とったら、「ブルースはお好きですか?」とワテの顔見上げ、「宜しかったらご一緒に如何ですか?」と話し掛けるねん。
ワテな、てっきり新手の呼び込みかと思うて無視してしもたが、後でその話をH君にしたら、一人で入り難かったので誘ったに違いなく、みすみす落ちとった宝くじの当たり券を拾わなかったようなもんで、もったいなかった、ちゅう趣旨の事くどくど云われましたわ。
二人目。三十代と思しきやつれてブルースが似会うた方に呼び止められた。「煙草の火貸してくれない」
{ワテと火遊びしたいんか}と思うたが、「持ってない」と、つい冷たい口調で云い返してしもた。ワテ、煙草の煙嫌いなんや。その話もH君にしたら、「健康に差し支えるから止めとき、周囲のもん肺癌にする気か、云わなあかん」云うた。そない云い返したら、殺意を芽生えさすだけや。
二度ある事は三度で、ワテを呼び止めた三人目は、店の前に座っとったが、目が合うたら云うたんや。「ジャズはいいねえ」五十代と思しき酔うたお方やった。
{小母ちゃんは魔女で、心を読めるのか}と、その時は思うたがな。ちょっち強張った顔で、「存分に楽しんでください」そうワテは応じて立ち去った。この件はH君に話しとらん。小母ちゃんは多分酔い覚ましに出とったんやろな。
もし、ワテがもう一年長く高円寺に住んで居ったら、きっと「次郎吉」の前で八十代の婆ちゃんから声掛けされたはずや。