基本精神論。シンプルな一言で、最強になれる言葉がある。 それがふとした時の『頼り』にしてる。 男はそれを言われたら突き抜けてくぞー!ガチで! ガチで上がった! 気合い入った!!よっしゃ!

これからの未来
人生には節目がある。
恒例行事や祭とは違う突然のこと。
でも過去をたどればふかく思い返せばそれらは全てに自らの行いがあると思う。
省みる。
塵も積もれば山となる。
良い事も悪い事も。
何事にも過程はあるし結果もある。
一時的な結果、それは節目。
頭でわかっても行動できなきゃ意味がない。
そしてそれ以上に決意なしに惰性で生きることを自分は一番辛く一番難しい。
物事に今まで白黒はっきりつけて生き過ぎたたのも解る。
でも、後悔はない。
その後に何が起ころうが、大丈夫。
たくさんの苦難、一人ではどうすることもできないが沢山の人に恵まれてるから、大丈夫。
だからもう、ため息はつかない。
今までをもっと本

恒例行事や祭とは違う突然のこと。
でも過去をたどればふかく思い返せばそれらは全てに自らの行いがあると思う。
省みる。
塵も積もれば山となる。
良い事も悪い事も。
何事にも過程はあるし結果もある。
一時的な結果、それは節目。
頭でわかっても行動できなきゃ意味がない。
そしてそれ以上に決意なしに惰性で生きることを自分は一番辛く一番難しい。
物事に今まで白黒はっきりつけて生き過ぎたたのも解る。
でも、後悔はない。
その後に何が起ころうが、大丈夫。
たくさんの苦難、一人ではどうすることもできないが沢山の人に恵まれてるから、大丈夫。
だからもう、ため息はつかない。
今までをもっと本気に楽しく生きるんだ。
極論死なない限り、経験上虚栄心さえなければ、ありのままなら生きていける。
この世はわからないことがほとんど。
100%はこの世にない。
全てには何かがある。
その一つ一つを大事に、つよく、でもただ強くじゃない。
むしろ有り難みを感じて生きたい。
そのためにも自分からまず好きになろうと思う。
他人になんて言われても、それらは全て人生のアドバイス。
決断するのは自分。
突き進むだけじゃない、時には一人になって浸るのもいい。
柔軟に、でも、何処かそこに軸があるように。
感謝の軸があれば、人生は好転する。
経験上だけど。
大丈夫、大丈夫。いける。
時間はかかっても意思は今固まった。
だんどんと目の前の障害が軽く見えてきた。
霧の先に見えるかすかな光のようなものが見えてきた。
明るい光だ。
今日の空は明るい。
気持ちがいい。
いける、大丈夫。
どんな時だってめげずにやってきたじゃないか…
継続は必ず力になるんだ…
バカでいけもしなかった高校にだって勉強してギリギリで合格できたんだ。
うまくいかないことがたくさんあってもいつだってみんなで勝ちにいけたんだ。
今は頑張れば、休むことを頑張ればきっと大丈夫だよ。

諦めなければ大丈夫。
心の障害一つくらい難なく乗り越える…
自分一つの心は永遠に大事にしよう。
まずはそこから…
久しぶりに会いたい方がいる。
髪を切りたくなったんだよね。
予約、空いてるかな?
https://soundcloud.com/rinda-watanabe/wcblw2cu466b
現実はボーッとしてるし
もういいんじゃないかなって
どうなりたいかってのを目指すのも良いけど
何が自分らしいかって
自分にあわせてあげるのが
自分を磨く近道なのかも。
がたいがいいのに可愛くなりたいと願うより
がたいがいいからかっこよく、みたいな
だから、ボーッとしてるから
それを別物にするのではなくて
よいボーッとをしてやろうと思った。
今日はスタジオに入った。
とてもいいスタジオだった。
一ついいことが起きると連鎖していいポテンシャルが生まれる。
本来俺は今日四時起きで体も疲れ切っていたが、スタジオを終えて話をした今、とても元気である。
いや、多分空元気とも違う特有の脳活性化状態とでも言っておこうか。
さて、今日はスタジオのことはfacebookに書き込んだのでバンド仲間の友人との話で気づいたことを書こうと思う。
この世は今どうなっているだろう?
誰もがそんなことはいろいろ考えているだろう。
政治の事とか、身近なこととかさまざま。
でも、一番身近な自分の置かれている立場に気づいていなかった、少なくとも自分は。
生きることの意味。とても抽象的。
だけど、いつしか現代は食べるために生きるのみになってきていないだろうか?
特に低所得者などは大体そうではないか?
生きるってそんなに楽しくないのかって思うよね。この文章だけだと。
したくもない労働を必死にしてやっと得られるのは少しの給料と最低限の生活。
本当はやりたいこともっとあるんじゃないのか。って自分は思った。
精一杯命の対価を削って大半は当たり前の生きるために費やすという現実。
これは辛い。
でもみんなそこしか見えてないから、それが当たり前になって、わずかな楽しみを大きな幸福としてとらえて生きているんじゃないかと思った。
もっと違う。
現実はもっと楽しくなるはず。
もっと余裕があっていいはずだ。
日本は貧しい国だと今日を境に思った。
少しの幸せを大きな幸せと感じるのは美徳だ。
だけど、大きな幸せを大きな幸せと感じれる世の中があってもいいはずだ!
そんな世界をこの世界中のどこかには誰かしらそう思っている人がいるだろう。
実際に行動に移している人もいるだろう。
でも、まだ力は少ない。
ここだ、NPO法人を立ち上げるのに、事業を立ち上げる根本的なイメージ。
政治任せにしていても何も始まらない、やれるのは己の体のみ。
俺は障害者だから、って理由で何でもかんでもあきらめ癖がついていたけど、やめなくちゃ。
しょうがいしゃだかろうが、一人の人間、思うことは一つあればそれに向かうことに自ら制限を設ける必要はない。
でも、現実そこへ向かうのにプロセスは必要不可欠。
まず俺は就労を卒業して就職して一般の社会人として復帰しなければならない。
いわば体力、社会力、常識、根性、努力たくさんのことを仕事を経験して得ていかなくてはならない。
そして初めてそこで事業者となれる素質があるかどうかになる。
期間は二年。
そこから俺はやりたいことをやる。
一応俺仙台の有名な占い師に適職は自営業と言われているからね(笑)
ただ一つ思うことはただ商売やるんなら会社を起こす必要はない。
先述した屈折した現実に人が気付くための何か、アクション、影響、になるものをやりたい。
反骨精神のむき出しなブログになってしまった。
これがのちに現実になるかどうかはどうでもいい。
今思ったことを俺は綴るまでだ。
立ち上げてみたいと思っていたものの、いろいろな制約がある。
一番は小回りが利かないのと、経営情報を常に公にしなければならない事。
これは確かに問題。
いちいち審議をするのに相当の日数がかかるのは任意団体と違って大きな足手まといになる。
確かに、社会的信用があるというのはイイが、その分よっぽど軸が安定してなおかつぶれないでいなければならないというわけですな。
しかも一見社会的信用があるといったものの経営状態が仮に悲惨なものだとすれば、自然と利用者は信用しなくなるし、そこから出るデメリットはかなり大きい。
この経営状態で大丈夫なんですかーなんて無粋な質問を投げかけてくる一般人は絶対にいる、そこから不穏な輪は広がることもあり得る。
じゃあ、これをどうすればいいか。
もう少し考える必要がある。俺から出てくのはもしかしたらこうなる危険性がという予防線ばかり出る。こうしたいというアイディアは出るが、制約に関しての逃げ方についてはこの業界で世話になったことしかないので、判らない。
協力しゃぱやぱやとこれは要相談だな。
発達障害の子供たち、または成人が集まれる場となり、そこでの生活訓練、自分とはいったいどういう障害を持ちどう付き合っていくかを考える場となればいい。
言いようがない一般人とは違う感性をまずは受け入れる⇒理解する⇒どう付き合うか考える⇒どうすれば一般社会で馴染めるか考える⇒就労訓練、社会復帰を目指す⇒一般就労へ戻る。
この流れを主体に地域の活性化を図りたい。
NPOを立ち上げるための中心の柱だと思う。
デイケアでは病院のみで閉鎖的。
かといっていきなり社会で適応するのは段階的に難しい。
そこで、その中間(やや社会より)の拠点として活動したい。
また、デイケアのように閉鎖的でないようにするためには社会の援助が必然的に必要になる。
そこで、地域活性化の元、個人経営をしている自営業の方たちとなんらかの絡み、ネットワークを構築していきたい。
たとえば契約をとってカフェのブースを取り、趣味、プロ、アマチュア問わず出店出来る場所を提供すれば
障害関係なく社会的な空間ができるのではないか。
障害者にとっても一般人にとっても対等で共有することが出来るのではないか?
これを考えるにもどうしても障害者という概念は重く、どこか偏見があるのだが、実際先述したように自分の特徴をつかんだまたは把握しているスタッフがいれば万が一のトラブルが起こる可能性も低いし、逆に言えば固定概念の打破にもつながるかも知れない。
書いているうちに思ったが、人は見た目が違えど心が違えど一人類として何も変わりなどないことを伝えられる場となるのが頭の中に浮かんでいる。
渡辺




