私の地元、現在の取手市で戦国時代に小文間城主であった
一色宮内政良について調べてみました。
まずは室町幕府の三管四職について。
三管とは将軍を補佐し、政務を統轄する職で、
細川、斯波、畠山の三家から出ている。
四職とは武士の統率機関で所司が侍所の長官に当たる。
赤松、一色、山名、京極の四家から出ている。
一色氏はもともとは清和源氏の流れをくむ名門の家柄であり、
足利一門でも家格の高い丹後の有力な守護であった。
この一色氏の一族が関東に移住し、鎌倉公方の足利氏のもとで活動していたが、
15世紀後半に鎌倉公方が室町幕府と対立し、足利成氏が不和となっていた
関東管領、上杉憲忠を謀殺する事件が発生する。
これを享徳の乱(1454年)といい、いわゆる応仁の乱の関東版のようなもので、
これを機に古河に移り、古河公方と呼ばれた。
一色氏はこの古河公方に仕えて、幸手城主となる。(現在の埼玉県幸手市)
16世紀後半の一色氏の領地は現在の茨城県五霞町や千葉県野田市あたりであり、
小文間城主の一色政良はこの頃に利根川沿いに勢力を伸ばしてきた
幸手一色氏の一族と考えられる。
古河公方援助のために京都から来たという説もあるが、
幸手一色氏の勢力拡大で進出してきたと
考えるほうが自然な流れではないかと推測される。
さらに掘り下げて調べてみたい。
※参考文献
日本史(朝日新聞出版)
日本史用語集(山川出版社)
ふるさと探訪(取手市教育委員会)