高峰秀子『わたしの渡世日記』1976年 刊。 
昭和の名女優 高峰秀子(1924.3/27〜2010.12/18) がエッセイで綴った自らの半生。
あまりに美しい文章。 
天賦の才はあったにせよ、持って生まれた聡明さを基に何も無いところからひたすら研鑽を積めば人は何処まで行けるのか。 

「学がある」者が立派な人と見做された時代。初等教育を受ける機会を得られなかった人もまだ多く、自分に「学がない」ことを恥ずかしく思う人も多かったと思う。
そうした人たちは自分の子供たちになんとか教育を受ける機会を与えようとした。
一方で、当事者本人の「学がある」ことへの憧れというか、素直に自力で「学」を身につけようと刻苦勉励した人たちもあった。 




偶然のことから5歳で役者となり、養母や親戚縁者の生活のために “金銭製造マシーン” として子役の仕事に追われ、学校にほとんど通えず満足に読み書きも出来ない高峰。 
文盲の養母との二人三脚。役の台詞は映画スタッフが読み上げるのを養母が覚え、それを高峰に口伝えで教える。
また、高峰のことを心配していた小学校の教師が、列車で映画のロケに出発する高峰のところに少しでも文字を覚えるようにと絵本を届けに来る。
そうした話を特に感情を乗せず淡々とエッセイに綴ってゆく。
恐るべき文章。
過剰さのない平易な文章だけれど、どこか底知れぬ不気味さを感じる。
何も無いところから出発した高峰。後年、名文筆家として登場するまでの遥かな道のりを想う。 








斎藤明美『高峰秀子の流儀』2010年 刊。 
著者はライターとして高峰秀子・松山善三夫妻の晩年にインタビューを繰り返すうちに懇意となり、最晩年には夫妻の養女となった人物。 
高峰は55歳で映画界を引退し、そこからの30年はほとんど隠遁生活のようになったため、その時期の夫妻に身近に接した立場からの聞き書き・描写は貴重。 
なのだけれど、高峰はどうしてこのような凡庸な人物をごく親しい身内のように信頼したのだろうか。 

著者はベテラン ライターだけあって文章は読みやすい。高峰の自著には出て来ないエピソードもあり、高峰の人柄もよく分かる。 
しかし、高峰の物事に対する毅然とした態度・潔癖さ・判断の早さ正確さの描写に続き、著者の平凡な「感想」が頻出する。 
『高峰はともかく素晴らしい。私(著者)ならとてもこうは出来ない』 
これは二流のノンフィクション・ライターの著作でよく目にする場面なのでは? 
読者が知りたいのは対象の魅力であって著者のありきたりの感慨ではない。対象の魅力が弱い場合に著者の平凡さを併記することにより魅力を際立たせる手法はあるのだろうが、こと高峰のような屹立した存在にそのような蛇足は不要。 
おそらく近縁者に生涯恵まれなかった高峰にとっては、斎藤のように悪意がなく平凡な人物は警戒する必要がなくて安心出来る人物だったのだろう。 
それはともかく、斎藤が居たおかげで高峰・松山の原稿等は散逸することを免れた。 




『女優業は好きではなかった』
大女優として数多くの著名人 (作家・画家・映画監督・俳優・出版人)と交流しながら、どこか一線を引くように親しい交友は持たなかった高峰。
30歳になり松山善三との結婚でようやく心の平穏を得たように見える高峰。
何か人生の早い段階での心の中の決定的な欠落を埋めようとしながら、最後まで埋めきれなかった生涯のようにも思える。

表舞台から徐々に姿を消し、自ら静かにフェードアウトしてゆく晩年を選んだ高峰。 
若い頃から達観したような彼女の人生観に決定的な影響を与えた養母の存在。金だけのために終生高峰を利用した養母を、高峰は見棄てることなくその死まで面倒をみた。 
高峰にとって養母に対する思いとは本当のところどうだったのか。斎藤にもついに語ることはなかった。