

飯田一史『町の本屋は いかにして つぶれてきたか』2025年 刊。
タイトル通り、かなりショッキングな内容。
対象はあくまで各地にある町の中小の本屋さん。
対象はあくまで各地にある町の中小の本屋さん。
書店の衰退はネット販売や電子書籍の急激な拡大が大きな要因かと雑に考えていたが違った。書店の減少はすでに1960年代には始まっていたとのこと。
つまり戦後再興された出版業界の当初からの構造的な問題を解消出来ないまま、今日の事態に至った。
書籍のおおまかな流れは出版社 → 取次 → 配送 → 書店 → 読者。
新刊書籍の価格は出版社が決定し、再販売価格維持制度により読者はその価格で購入する。これにより日本全国どこの地でも同じ品は同じ価格で購入することが出来る。
出版社から見れば書店という場を借りた委託販売の形式がほとんどで、一定の(かなりの量の)返品を受け付ける。当然物流費も嵩む。
一読者の立場でかねて書店員から問題点として聞いていた話は、
① 取次による見計らい配本 (注文していない・または欲しくないものまで自動的に送り込まれる)
② 欲しいもの(売れそうなもの・扱いたいもの・実際に売れているものの追加注文)が必要数入荷しない
③ 客注品の入荷に日数がかかる
これらは取次にもしかるべき事情があるのだろうけど読者には見えない部分ではある。
かつて雑誌の全盛期には書籍の配送を週刊誌・月刊誌の配本に合わせることで、物流費の負担を軽減することが出来た。しかし1990年代後半からの雑誌衰退により、物流費の負担が直撃する。
この書は各種データに基づいた(かなり詳しい)実証的な内容なので、一般読者としては精読することは難しいが自分なりに理解出来た最大の要因はいたってシンプル。
「書籍の価格が安すぎる」
これに尽きる。
書店段階での粗利益率は20%程度。食料品じゃあるまいし、商品回転率を考えれば書店の粗利益率が20%程度では正業として成り立つはずがない。
そのため書店は文具や雑貨など、利益率の高い商品を併せて販売する兼業をせざるを得なくなってゆく。
これは昨今、我々がよく目にする通り大型書店が書籍売場を縮小し、文具・雑貨などの売場を拡げる光景でもある。
文化至上主義者(?)としては書店なのか雑貨屋なのか分からなくなってゆく店を見ると残念な気持ちになるが、こういう事情(書店専業では経営が成り立たない)があるならやむを得ない。
また、取るに足らない自己啓発本・投資指南書・ヘイト本・心の不安の取り除き方とかいうわけの分からない本などが平積みされているのを見るのは不快だが、これも売り上げに貢献しているということであれば仕方がない。
では、なぜ書籍は長らく適正な価格にならないままだったのか?
近年は文庫本でも2.000円を超えるものが出て来た。映画を観るのに料金2.000円は特に高いとは感じないが、文庫本2.000円は高く感じる。
これは自分の感覚がおかしいのでは?
『書籍は文化財なのだから安価に提供すべきである』
と求め続けた読者。
書店の減少は出版業界の構造的な問題だとか、地方図書館への公的支援の削減だとか他責として考えて来たが、実際には自称読書家の自責に帰する面が大きいのでは?
文化のインフラの重要な一つを消費し尽くした読者。
大量生産・大量消費の時代の「価格が安いことは正義」というマインドを脱することが出来なかった消費者。
価格を抑えるという縛りにより苦境に陥った出版社・取次・配送・書店……etc.
結局、誰も得をしない結果となった。
これは出版業に限らない話かもしれない。あらゆる業種において供給側が無理に無理を重ねて来たことにより、最終的に消費者がツケを払うことになった。
〈余談〉
新刊書籍を扱う町の書店は未知の世界に向けて開かれた扉のようなもの。もう大人になった人間はどうでもいいが、児童や中高生にとって身近に本屋がない状態というのは厳しい。
たとえ家庭環境・成育環境に恵まれなくても本や絵本、マンガに接することが出来れば脱出出来るチャンスがあるのだけれど。



