この大学時代の友達に久しぶりに会った時に思ったこと。
最近、一切連絡とってなかったのに、
なぜか自分の近況をめちゃめちゃ知ってて驚いた。

その事は自分に興味をもってくれてるって事でもあるので、
感謝すべきことかもしれない。

ただ、この時に思った事は2つ。
①プラスの情報は結果だけ伝わる。
②マイナスの情報は結果だけでなくプロセスも伝わる。

今回は自分の近況という【出来事】がメインで伝わっていたけど、
伝わる情報のジャンルに関わらず、今の2つは変わらない気がする。

特に人格というジャンルの情報に関しては、
相手の主観を通して情報が伝達されるので、
上の2つにさらにバイアスがかかる事が考えられる。

たとえば、A君と話している時にB君が、
「2股とかしてみてー!」とか言ったとする。
そのとき、A君が「コイツ軽いな。」と思ったとする。
また別の日、C君がA君に
「B君っていい人っぽいけど、どんな人なの?」
と聞いたとする。
するとA君は、
「確かにB君は見た目マジメっぽいけど、実際チャラいよ。
 2股とかしたいとかいってたし。」

と言われ、C君には
B君はチャラい人。

なぜなら2股願望があるから。

という形になり、本来の事実は、
「2股願望がある」だけのB君が、
チャラいかどうかという事実を別にして、
チャラいという主観を通して周囲の人から見られるようになる。

本当にチャラいかどうかはわからないのに、
そういう事を何気なく言ってしまっただけで
チャラいと思われてしまう。

口は災いのもとですね。

かといって、何も言わないと自己主張をしない人間になってしまい、
主体性もないし、アウトプットも出してないと思われてしまう。

だから、思った事は素直に、誠実に、自分の言葉で伝えるべき。
その場のノリで勢いで発言してしまうのではなく、
そういう時こそ、誠意をこめて自分の言葉で伝える事が大事。

「2股してみたい」
ではなく、
「友達の輪を広げたいから、男女分け隔てなく仲良くなれる友達を増やしていきたい」
という様に、勢いに任せた発言ではなく、
自分の発言の真意を、誠意をもった言葉で相手にしっかりと伝える事が大切。

口は災いのもとになりうるし、人の口に戸はたてられない。
だからこそ、日々の誠意をもった言葉の積み重ねが、
自分という人間を正確に理解してもらう一番の助けになるんだと思う。

日々自分の全力で生きていく事がめちゃめちゃ大事って話。
けど、これがなかなか難しい。

アイツは仕事ができる、とか、アイツは仕事ができない、とか、
アイツは頭がいい、とか、アイツは頭が悪い、なんて、
誰でも一度は聞いたことがあると思うし、言った事もあるかもしれない。

僕はこの言葉が人によって能力に優劣があるって事を暗示していると思っている。
でも、僕は人によって能力に優劣があるとは思わない。

ではなんで、人のアウトプットには差が出るのか。
才能などという言葉で片付けるのは容易いけど、
僕は何十年という人生をどれだけ本気で生きてきたか、
がアウトプットの差だと思う。

人それぞれできる事できない事はある。
できるから、手を抜いてやる人、できるけど、もっと上を目指して全力を尽くす人。
できないから、やってみようともしない人、できないけど、自分なりに全力を尽くす人。

この日々の積み重ねが、人の日々出す事のできるアウトプットの差を作っていくのは明らかだ。
この積み重ねの差に気づかず、才能という言葉で片付けてしまうのは、
自分が全力で生きていない事、その人に敵わない事を吐露しているに他ならない。

でも、人は弱い生き物だから、一人で全力で生き続ける事は難しいと思う。
水は低きに流れる様に、人もまた苦しい方から楽な方へと流れていく。

では、人はどうやって日々全力で生き続けられるのか。
人は弱いという事を前提として、その人々を強くする為に、
組織という制度があると僕は考えている。

自分の現状に不満や苦しさがあるのに、自分ひとりで打破できないのであれば、
志を同じくする仲間を見つけ、一緒に乗り切る手立てを考え、
仲間と一緒に日々を全力で生きる様になればよい。

それを継続する事でアウトプットの量、質ともに徐々にではあるが、
必然的に向上してくるようになる、と僕は思う。
当然だけど、色眼鏡で人を判断してはいけない。
けど、20年以上生きているとこれまでの経験から、
人を第一印象や見た目、言動から人間性を判断してしまいがちになる。

あくまで1対1の会話を通して相手の事を知っていくなかでのみ、
相手の事を知っていくべきであるという事を今日改めて思った。

当たり前の事だけど、今日それをまた強く思い起こさせる事があったので追記。