SKYNDのメッセージ | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日1月23日は、2017年、The Oneの登録が開始され、The One限定東京ドームBD&CDセットの予約販売が開始された日DEATH。

Metal Galaxy Tour 2020の第一ラウンド、2月3日のノルウェー・ストックホルムから2月17日のオランダ・ティルブルフまで、10公演にわたってOAを務めるゴシック・インダストリアル・デュオSKYNDの楽曲は、すべて猟奇的殺人犯あるいは犠牲者の実名がタイトルになっている。


KoЯnのジョナサン・デイヴィスをフィーチャーした「Gary Heidnik」は、精神障害を抱えつつも、高いIQを持ち、投資で成功して宗教団体の主催者を務めながら、自宅の地下室に6人の売春婦を監禁・虐待し、うち二人を殺害したアメリカの殺人犯。
「Elisa Lam」は旅行中のロサンゼルスのホテルで、貯水槽で溺死体となって発見された中国系カナダ人女性。エレベーターの防犯カメラに、目に見えない何者かに怯えている姿が残っていたので、オカルト映像として紹介されることもある未解決事件の主人公である。
「Katherine Knight」は、粗暴な性格で、結婚生活がうまくいかなかったオーストラリア人女性で、ついにはパートナーを殺し、その肉を調理して子どもたちに食べさせ、仮釈放なしの終身刑となった。
「Tyler Hadley」はアメリカ人の少年で、17歳の時、両親をハンマーで殴り殺し、両親のカードを使ってATMから現金を引き出し、Facebookで60人の友人を招いてパーティを開き、友人に両親の死体を見せた。
「Jim Jones」は、プロテスタントの牧師だったが、社会主義こそ正義であるとの信念から、信徒が集団生活をするカルト教団「人民寺院」の開祖となり、南米ガイアナのジャングルに建設した本拠地「ジョーンズタウン」で918人とともに集団自殺した。
SKYNDの公式サイトには、次のような文章が載っている。
(冒頭)
“I want to get as close as possible to the evil that humans are capable of. I am obsessed with it. For weeks, months even, I’ve been trying to get into the heads of the most vicious, cruel killers. There is nothing more fascinating to me than people who have reached the boundary of their humanity.”
(下段)
“We all conceal something behind the earthly façade we show to the world. Maybe, it’s an unspoken fetish. Perhaps it’s a covetous urge. Or it could just be the kind of darkness we acknowledge in passing—but don’t dare reference out loud. SKYND peel back those layers and uncover what lurks beneath in all of its painful glory.”
 https://skynd-music.com/skynd/
<Jaytc意訳>
「人間がなしうる“悪”にできるだけ近づきたい。私はそれにのめり込んでいます。私は、数週間ないし数か月間も、最も悪質で残酷な殺人者の頭の中に入り込もうとしてきました。人間性の境界線に到達した人々ほど、私にとって魅力的なものはありません。」
「私たちはみな、世間に見せる外見の背後に何かを隠しています。それはきっと語られないフェティシズム。たぶん切望された衝動。あるいは、亡くなった後にだけ知られるが、決して公にしてはならない、一種の“闇”なのかもしれません。SKYNDはそうした表層をひっぺがし、その痛みを伴う栄光のすべてに潜んでいるものを明らかにするのです。」

こういうバンドをOAに抜擢するKOBAMETALのセンスはやはり只者ではない。
ある意味BABYMETALの対極に位置するといえるSKYNDのメッセージや音楽性をどう考えればいいのか。
1980年代のフロリダで盛んになったデスメタルは、同時期に流行したスプラッター映画やホラー映画とともに、こうした人間性の奥底に潜む“悪”の問題をテーマにしていた。
腹の底から絞り出すようなグロウルや叩きつけるようなドラムスのビート、地獄の底から響いてくるような重低音のギターの音色は、ただのギミックではなかった。彼らがオーディエンスに何かを伝えようとした結果、そうせざるを得なかった切実な表現だったはずである。
テレビや、その影響下にある世間は、デスメタルに限らず、メタルバンドのスタイルを笑いの対象にすることが多い。
だが、それはバンドの表現に真正面から向き合うことを避け、文字通り客観的に、対岸の火事として眺めているからできることである。
無論、客観的に見ることで全体像がわかってくるということもあるのだが、真摯な表現を茶化してばかりいると、現実に“悪”に直面した時、どうしていいかわからなくなってしまうだろう。
奇抜なコスチュームやペイントの異様さで目を引くSKYNDが、実名を楽曲のタイトルにすることで突きつけているのは、人間には本当に“悪”が存在するという事実である。
そして、それを表現することで、オーディエンスは考え始める。
なぜ、こんな人間がいるのだろう。この心理状態はどこから来るのだろう。私の中にもそんな衝動があるのだろうか。なぜ私はその衝動を抑えていられるのだろうか…。
欧米人だから、抑圧的なキリスト教や一神教文化だから、ああいう残虐なことが平気でできるのだという議論は、“悪”について全く考えたことのない者の言い草だろう。
では、猟奇的殺人を行わない、残りの99.99…%の欧米人は、どうして、その衝動を抑えていられるのだろう。
もっと言えば、今の日本でも大量殺人事件は起きている。
昨年7月18日、京都市伏見区の京都アニメーションスタジオに放火し、36人が亡くなり、34人が重傷を負った事件があった。その場で身柄を確保されたA容疑者は、いまだに入院加療中で逮捕されていないことが、事件から半年たった先日、報道された。全身の9割に火傷を負っており、会話はできるが自力では起き上がれないという。
当時、対韓輸出管理強化とそれに対する韓国社会の激烈な反応を巡って、世論が沸騰しており、A容疑者の出自について、的外れ、かつ差別的な憶測がネット上で飛び交った。
そういうことじゃないだろう。
欧米でも日本でも、99.99…%の人々は、それが一神教だろうが、神道的な価値観であろうが、人としての倫理を親や社会から教えられており、「他人を殺めてはいけない」という当たり前の感覚を持っている。それは理屈ではない。人を勝手に殺す自由なんかないのだ。
何らかの衝撃によってその足枷が外れてしまうとき、人は悪魔になってしまう。
ミルトンの『失楽園』に描かれた悪魔は、自分は「人間以上」の存在なのに、神は人間を愛しているから、人間に復讐してやろうと考える被造物である。
「自分は人間=(他人)以上の特別な存在で、自分を苦しめる運命(神)に対して、人間=(関係ない他人)に復讐してやるのだ」という無差別殺人者の心理は、見事にこれに合致している。
人間になしうる“悪”に近づき、人間性の境界線を見極めるというSKYNDのメッセージは、自分を「人間の一員」に留めている倫理観=足枷の大切さを意識せよと言っているように思える。