★今日のベビメタ
本日9月1日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。
いよいよ9月ですね。日本時間4日からはBABYMETAL史上最長の全米横断ツアーが始まります。
すでに発表されている『METAL GALAXY』2枚組16曲の曲名のうち、未発表の6-7曲も徐々に披露されるのだろうし、誰がアベンジャーとして帯同するのか、神バンドのメンバーはどうなるのかなどなど、メイトとしては興味が尽きないところです。

お伝えしたように、すべてのライブチケットには3rdアルバム『METAL GALAXY』が「一枚(a copy)」付属しているので、ぼくら日本人メイトがAmazonで買える「US盤予約購入分」と合わせて、2019年10月19日(土)付Billboad200の順位が決まります。
絶対に負けられない戦いDEATH。
絶対に負けられない戦いといえば、現在、韓国で行われているU-18野球ワールドカップ日本代表の戦いもそうです。
韓国への入国にあたって、高野連は安全上の懸念から、移動時のポロシャツから日の丸を外すという決定をし、ネットでは「日の丸をつけてこそ日本代表」「勝っても日の丸を掲げられないのでは意味がない」などの大ブーイングが起こっていました。
しかし、これにはぼくは違和感がありました。
文政権は確信犯的に反日を奨励しており、旭日旗はもちろん、日の丸や日本人を見ただけで「キーッ」となる輩がいることはもはや常識です。危険を減らす目的で、空港や移動中に日の丸を外すのは当然の防衛策だし、国際大会なのだから、グラウンドでプレーする時のユニフォームまで外すというのはあり得ず、国歌斉唱もあるのだろうと思っていました。
実際、試合を見たら、日本選手はJapanのエンブレムと日の丸をつけたユニフォームで躍動していました。
日本はアメリカ、日本、台湾、スペイン、南アフリカ、パナマといった強豪国が入ったグループBでしたが、8月30日のスペイン戦は前半苦戦したものの4-2で逆転勝ちし、31日の南アフリカ戦では6回コールド19-0という大差をつけて勝ち、9月1日現在、堂々と首位(得失点差21点)を走っています。アメリカも台湾に8-1、南アフリカに11-0で同率1位ですが、得失点差は18点なので、日本の方が上です。
Japanのユニフォームをつけた球児たちの姿は気迫にあふれ、キビキビとして清々しくものです。
グループAは、カナダ、韓国、オーストラリア、ニカラグア、中国、オランダの6国で、カナダが対中国17-3、対オランダ11-0で1位(得失点差25点)、2位は伏兵ニカラグアで対オーストラリア3-2、対中国6-3の同率1位。韓国はオランダに5-4で辛勝したものの、オーストラリアに0-1で敗れ、現在3位となっています。
オープニングラウンドは各グループ上位3チームが次のスーパーラウンドに進むことになっており、日本は今夜の対アメリカ戦に勝てば進出が決まります。
要するに、「外野」のぼくらがゴチャゴチャ言わずとも、高校生たちは心の中に日の丸を掲げて戦っているのです。ぼくは高校野球=甲子園があまり好きではありませんが、BABYMETAL同様、日本代表となれば別です。応援するぞ!
「学ぶということ」に入らなかったエピソードを一つ。
今年6月、『ある町の高い煙突』(松村克哉監督、エレファントハウス/Kムーブ配給)という映画が封切された。
今から約100年前、明治時代の終わりから大正時代にかけて、鉱山が出す亜硫酸ガスの煙害を、圧力団体による政治闘争に陥らず、会社と被害地の住民とが協力して、現象を科学的に解明して解決した実話を、新田次郎が1968年に小説にし、それを映画化したものである。
同じ鉱山を扱った映画とはいえ、これが『軍艦島』のような作り話ではなく、史実に基づいていることは、ウィキペディアの「日立鉱山の鉱害問題」や「日立鉱山の大煙突」などで確認できる。
史実はこうである。
茨城県北部には、16世紀末から銅と硫化鉄を産出する鉱脈があり、赤沢鉱山と呼ばれた。
江戸時代の寛永通宝は、赤沢鉱山の銅で鋳造されたもので、有名な豪商紀伊国屋文左衛門が開発に関わったこともあった。
日露戦争が勃発していた1905年、長州出身の久原房之助がこの赤沢鉱山を買収し、日立鉱山と名づける。
だが、この鉱山は、江戸時代から鉱毒水が付近の宮田川に流れ込み水田に被害をもたらす鉱害が発生しており、銅の需要が高まった明治時代に入っても日立鉱山の経営は、住民に対する損害賠償と表裏一体だった。
久原は、断層や資金不足という事態に見舞われながら、薩摩藩ロンドン留学組の井上馨の支援を仰ぎ、技術者を重用して、最新の鉱脈探査技術によって鉱脈を発見したり、電源を確保するために水力発電所を建設したりと、積極的な経営で日立鉱山を発展させていった。
鉱山用の電気機械を製作する芝内製作所は現在の日立製作所の前身である。また1928年には久原房之介の義兄に当たる鮎川義介が社長に就任し、日本産業と改名する。これが現在の日産自動車の前身である。
日立鉱山が発展するにつれ、精錬過程で排出される亜硫酸ガスの煙害が広範囲にもたらされるようになった。亜硫酸ガスは大気より重いため、煙が地表に降り、森林を枯らし、たばこなどの農作物にも被害を与えた。
そのため、現在の常陸太田市周辺の2町16村の被害者によって「連合煙害調査会」が結成され、日立鉱山に対して鉱山操業停止要求を行うなど激しく対立し、煙害の中心地である入四間村にも加入するよう呼びかけた。
しかし、入四間村で煙害問題の担当になった関右馬允(せき・うまのじょう)は、「連動煙害調査会」には加わらなかった。関は、当時隣の栃木県で問題になっていた足尾銅山鉱毒問題のようになるのを恐れ、日立鉱山側に操業停止は求めず、被害の損害賠償を要求すること、第三者の介入や政治的解決を行わず、日立鉱山と被害者農民との直接交渉で問題解決を図るという方針を貫いた。
足尾銅山では、永岡鶴造により鉱山労働者の組合「大日本労働至誠会足尾支部」が結成され、社会主義のいわゆる「新思想」を注入していた。永岡は、労働者の心情を利用して、労働条件の改善にとどまらず、鉱山の操業停止、経営者の追放から、社会主義革命を目指すよう導こうとしていた。明らかに労働争議の政治利用だ。
現在の日本にも特定の思想や政治目標を隠して活動する圧力団体・グループは無数にあるが、自由主義・民主主義社会にも必然的に起こり得る利害の対立を解決するのには、全く役に立たず、むしろ問題の解決を阻害するだけである。なぜなら、問題が解決しない方が、彼らの政治的主張に都合よく「現体制の悪さ」を宣伝できるからである。
関右馬允がそこまで透徹していたかはわからないが、政治運動に牛耳られ易い圧力団体を排除し、住民と会社が知恵を出し合って問題を解決した日立鉱山のできごとは、現代にも通じる。だからこそ、1968年という時代に新田次郎が小説家し、さらに今年2019年、映画化されたことには意味がある。
会社と交渉するといっても、損害賠償だけでは、抜本的な問題は解決しない。
煙害をなくすには操業をやめればいいのだが、それではわが国の近代化に欠かせない銅や鉄の産出が止まってしまう。共存共栄を図るにはどうすればいいか。
日立鉱山は煙害解決のために手をこまねいていたわけではない。山の上を這うムカデのような煙突で、煙塵を吸着するなど、さまざまな方法が試された。
だがどれも有効ではない。煙害の主要因は煙塵ではなく、亜硫酸ガスなのだ。
日立鉱山の技師が気流を観測すると、上空には対流が起こらない「逆転層」というものがあり、高温の亜硫酸ガスの煙もそれ以上上昇せず、比重が重いため地表に降りてきてしまう。
関右馬允は、スウェーデンの技師から、逆転層の上にまで達する高い煙突から放出すれば、煙は上空で拡散されて希釈され、煙害を発しなかったという成功事例を聞き、日立鉱山に提案する。
そこで日立鉱山は、「逆転層」の上まで達する高さの大煙突と、気流の流れによって精錬-排煙をコントロールするための気象観測所を建設することを決める。
標高約325メートルの山の中腹に、3万7000人の人員と15万2000円の工費をかけ、日本では前例のない鉄筋コンクリート造、511フィート(156メートル)の煙突が建設された。
アメリカにあった煙突が506フィートだったので、これは当時世界一の高さとなった。

大煙突は1914年12月に完成し、1915年3月から使用が開始された。
使用開始後、日立鉱山周辺の煙害は激減した。また、大煙突とともに、気象条件が悪い時には精錬を制限する制限溶鉱が実施された。
その後、亜硫酸ガスから硫酸を製造する技術が発達し、最終的には1972年に酸素精錬法を行う自溶炉による精錬が始まり、煙害はなくなった。
日立鉱山は、煙害解消だけでなく、煙害によって被害を受けた農地や山林の復旧も図った。大煙突建設前の1909年から、日立鉱山は試験農場を作り、地域住民に、煙害に強い品種の作物の種子や肥料を配布し、植林事業を進めた。
試験農場で育苗されたオオシマザクラやソメイヨシノは、日立市内各地に植樹された。このため、ソメイヨシノは現在、日立市の花となっている。
日立鉱山には、戦時中、のべ4000人に及ぶ朝鮮人炭鉱夫がいた。
その多くが鉱夫募集や官斡旋に応募してきた人たちで、会社は、大人数の朝鮮人労働者のための慰安会を開催したり、鉱夫が一人前になると加入できる相互扶助制度「友子」に取り立てたりしたという。だが、日立鉱山は、社員-鉱員の区別があり、鉱員の中にも職頭-小頭-鉱夫という階級があって、労務管理が厳しかったため、朝鮮人労働者の定着率は5割程度だったという。要するに、きついと思えば辞めて他に移ることもできたわけで、「逃げることもできない」強制労働ではなかった証拠だともいえる。
日産コンツェルンは、戦後、GHQによって財閥解体され、日産、日立製作所、日本鉱業、ジャパンエナジーなど、いくつかの企業に分かれたが、いずれも日本を代表する企業となった。
鉄道発祥地イギリスの主要路線を走る電車は、今やほとんど日立車両製である。
日立鉱山は戦後も活動していたが、1981年に閉山された。
だが、日立鉱山の大煙突という史実は、ややもすると「暗黒時代」としてイメージされがちな戦前の日本の資本主義が、きわめて健全な人々の知恵と努力の上に成り立っていたことを示している。
小説『ある町の高い煙突』は文春文庫に-1-45(¥750)、映画『ある町の高い煙突』は、北海道・苫小牧シネマ・トーラス、東京・船堀シネパル、山口県・萩ツインシネマで上映中。