★今日のベビメタ
本日12月23日は、2017年、WOWOWにて「巨大キツネ祭り@大阪城ホール」が放送された日DEATH。
そもそもメタルの神キツネ様は、メロイックサインを影絵のキツネサインと誤解したBABYMETALのギミックであり、日本神話とは何ら関係がない。
とはいえ、調べれば調べるほど、キツネ様がお稲荷さん=ウカノミタマであるという「証拠」が出てくる。だから不思議なのであり、ギミックが虚実皮膜のリアリティを持つところも、BABYMETALの魅力の一つなのだ。
『古事記』によれば、ウカノミタマは宇迦之御魂神と書き、素戔嗚尊がクシナダヒメの後にめとった神大市比売の間に生まれたとされ、弟は大歳神(松尾神社)である。
『日本書紀』ではウカノミタマは倉稲魂命と書き、国生みの男女神イザナギとイザナミが飢えて気力のない時に生まれた神とされ、あまり詳しく書かれてはいない。
だが、鎌倉、室町と時代が下るにつれて、神道書や神社の由来書において、ウカノミタマの神格が次第に明らかにされ、大きな存在になってくる。
まず、なぜキツネをお使いとするかだが、ウカノミタマは別名稲荷神なので、イネ=穀物の生育を司り、御饌津(みけつ)の神とも呼ばれる。
キツネは穀物を荒らすネズミを追い払う益獣である。古語で狐のことを「けつ」といったので、三狐(みけつ)=キツネがお稲荷様=ウカノミタマのお使いであるとされるようになった。
全国の稲荷神社の総本社である京都深草の伏見稲荷大社には、佐田彦と大宮能売も祀られているが、これは猿田彦とアメノウズメのことである。アメノウズメは、天照大神が、素戔嗚の横暴に岩戸ガクレした際、その前で歌い踊って引きずり出すのに貢献した。天照大神の孫ニニギノミコトが地上に降臨した際には、お供として、国津神である猿田彦とのコンタクトに成功し、道案内をさせた。のちに二人は結婚して、芸能で皇室に仕える猿女(サルメ)の君の祖となったという。
この夫婦が宇迦之御魂神の社に祀られているのは、吉田神道の『二十二社註式』、『稲荷神社考』では、この大宮能売こそ、ウカノミタマの母、神大市比売(大市姫命)そのものであるとされるからであろう。
また、芸能を持って皇室に仕えるという権能は、伏見稲荷大社の創建者秦氏由来のものであることとも関係があるらしい。
室町時代の能楽の祖、世阿弥は『風姿花伝』冒頭で、聖徳太子に仕えた秦河勝が、六十六のお面をもって「物まね」をしたのが猿楽(能)の最初であるという話を伝えている。
観阿弥・世阿弥親子も秦氏一族である。つまり、日本の芸能は秦氏によって始まったのである。芸能の「能」は能楽の「能」なのだからね。
「メギツネ」のお面は、キツネ様のお母さんアメノウズメ譲りであり、かつ能楽の祖、秦氏由来のものなのである。
まとめると、キツネ様=ウカノミタマは、お母さんであるアメノウズメの芸能や商業の才能と、父素戔嗚の荒ぶる開拓者魂、そして、自らの穀物神、豊穣神としての神格から、技芸上達、豊作と商売繁盛を願う庶民の神となり、全国津々浦々に広まったわけだ。
それが三狐=キツネ様に召喚された三人の少女=BABYMETALのキャラクターに、ぴったり合致したのである。
ちなみに招き猫も元々は伏見稲荷のお守りキツネであり、5大キツネ祭りの金・銀・黒・赤・白は、招き猫の色に由来する。
さて一方、ウカノミタマは食物を司る御饌津神なので、豊受大神、さらには保食神(うけもちのかみ)、オオゲツヒメとも同一視される。(『神道五部書』など)
しかし、オオゲツヒメは、イザナギとイザナミの子であり、『古事記』では、高天原を追放された素戔嗚にさまざまな食物を与えるが、鼻や口から出したことを知った素戔嗚に切り殺されてしまう。すると、死んだオオゲツヒメの頭から蚕が、目から稲が、耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が生まれたという。
ギリシア神話にもありそうな大地母神の姿だ。
いずれにしても、伊勢神宮では、内宮の「御倉神(みくらのかみ)」も、外宮の「調御倉神(つきのみくらのかみ)もウカノミタマであり、オオゲツヒメでもあり、保食神でもあり、専女(とうめ)とも三狐神(みけつかみ)とも御膳神(みけつかみ)とも言ったらしい。
要するに、古い大地母神(オオゲツヒメ)の神格が、秦氏の持つ産業や芸能という属性によって上書きされ、天皇家=天照大神に食物をさし上げる神格=ウカノミタマ=豊受大神へと収斂したということだろう。
『古事記』の成立は712年、『日本書紀』の成立は720年とされる。
壬申の乱を勝利した天武天皇と持統天皇の子草壁皇子の妻であり、天智天皇の娘で敗れた大友皇子の妹である元明天皇(661-721)の御代である。
この時点では、壬申の乱(672)はまだ記憶に新しかっただろうが、天智天皇が蘇我一族を誅した乙巳の変(645)や、聖徳太子の時代(574-622)は、もう一昔前である。3世紀から7世紀までの古墳時代はさらにわからない。
歴史の勝者である当時の天皇家、というより行政を牛耳っていた藤原不比等の都合で、誰が悪人で、誰が神格化されるべきか、どうとでも書ける。
ウカノミタマは、少なくとも奈良時代の『古事記』『日本書紀』では、たいした神格ではない。ところが、秦氏が定住していた山城の国=京都へ遷都し、伏見稲荷大社が創建され、平安~鎌倉~室町と時代が下るにつれて、天照大神(=天皇家)に食物を捧げる(=財政を担う)神格として祀られていく。それは、『記紀』時代には、藤原氏によって中央政権から追われたように見える秦氏が、表に出ない形で、大きな力を持っていったということの証ではないか。
『記紀』では、秦氏の氏神ウカノミタマの出自は、かつて天照大神に逆らった素戔嗚とか、天皇のそばにいたけどダンサーだったアメノウズメと外様の猿田彦とか、あまり名門でなかったように描かれているが、それこそ「作り話」だったのではないか。少なくとも秦河勝は、聖徳太子(蘇我系)の片腕、つまり官房長官くらいの地位だったのだから。
乙巳の変で蘇我氏を滅ぼした中臣鎌足=藤原氏が台頭してきて、秦氏の持っていた利権をすべて奪い取り、秦氏はそれ以降歴史の表舞台から姿を消す。
しかし秦氏は、大和王権が伸長するうえで、実際、大きな役割を担っていたのであり、その記憶を神道の系譜に表したのが、天皇家=天照大神に食物を供御するウカノミタマだったのではないか。
日本では、平清盛を憎んだ後白河法皇や、足利尊氏と張り合った後醍醐天皇など、特殊な方を除いて、天皇が政治の表舞台に立つことはなかった。天皇はあくまでも日本という国の統治権の象徴なのであって、悪く言えば政治の実権を握る者の「神輿」に過ぎなかった。
宗教的な存在を戴くことによって、なぜか争いがまとまるという「発見」は、『魏志倭人伝』の卑弥呼以来のものであって、明治維新も、戦後の混乱期も、天照大神の末裔=天皇の御意志であるという共同幻想があったから国がまとまった。
しかし、日本人の心性はそれだけではないとぼくは思うのだ。
日本には女神がもう一人いる。それが天照大神に仕える豊受大神=ウカノミタマである。
歴史の表舞台に立たないという意味では、天皇家以上であるが、実は農業技術や養蚕や芸能を日本にもたらし、日本を豊かさにした秦氏の氏神である。
百田尚樹の『日本国紀』では否定されているが、ぼくは『魏志倭人伝』の卑弥呼とその後継者臺与のイメージが、天照大神と豊受大神に投影されていると単純に思う。そして、それは天皇家と秦氏の関係が、鎌倉、室町期に神道の系譜として伝承されたものなのではないか。
日本人の国民性には、一方では国の伝統や枠組みを守りつつ、一方では外来技術を柔軟に取り入れ、絶えず創意工夫して技術革新していく二律背反したところがある。
それこそ、日本という国がアマテラスという女神と、ウカノミタマという女神を二人いただいているからではないのか。



