MJフェス | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

THE ONE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA

★今日のベビメタ

本日、3月26日は、2016年、WOWOWで、5月4日に「BABYMETAL Road to WEMBLEY ~ Live & Interview ~」の放送が決定した日DEATH。

 

さくら学院2017年度卒業式も無事終了。

今年の卒業生のうち、ネットでは「博多華丸の次女、岡崎百々子が卒業」という見出しが多いが、山出愛子は堀内まり菜会長の2013年度、岡田愛は菊地最愛会長の2014年度転入なので、メイトさんには、BABYMETALと同じ教室で過ごしたメンバーがついに全員卒業と言った方が感慨深い。皆さん、ご卒業おめでとうございます。

職員室写真はまだ公開されていないが、中元すず香、水野由結、菊地最愛はきっと今年も「アリバダ」したのだろう。一緒に過ごしたメンバーがいなくなっても、さくら学院愛は続けて欲しい。去年は学院祭で麻生真彩(新中3)、日高麻鈴(新中3)、藤平華乃(新中2)による「ギミチョコ!!」がカバーされたことだし。

いよいよFOX DAYまで1週間となった。

2016年は2ndアルバムリリース&Wembleyという衝撃が大きかったのに対して、去年はワールドツアーの全貌は明らかにされず、「Live at Tokyo Dome」のリリース&全国フィルムフェスのスタートがメインで、スペシャル感があったのは「The Chosen Five」の「Only Five Know」イベントだけだった。しかし、その5人の騎士こそ、翌日発表された5大キツネ祭り、巨大キツネ祭り、広島グリーンアリーナでのSU-METAL聖誕祭と大展開する「予兆」であったわけで、きっと、今年もFOX DAYには何かがあるのだろう。

すでに今年前半の海外ツアー日程は決まってきているが、追加公演、著名フェスへの参加、あるいは世界的にビッグな会場での締めくくりという妄想は、許されるだろう。

さらにいえば、FOX DAYに3rdアルバムのリリース告知があっても不自然ではない。

ぼくらが知らないうちに、新ギタリストの神バンド加入を含め、新たな展開が仕込まれているに違いないのだ。

ちなみに、カトリックでは今年の4月1日は復活祭(イースター)で、昨日枝の主日(パーム・サンデー)のミサが行われ、今日から1週間は聖週間となる。

イエス・キリストが弟子たちと共に最後の晩餐を行い、ユダに裏切られて逮捕され、ローマ帝国のユダヤ総督ポンティオ・ピラトの法廷に引き出され、民衆によって十字架につけられて死に、葬られ、黄泉に下り、三日目に復活したという新約聖書の記述を思い起こしながら過ごすのだ。

さて、年初に大きな衝撃があった今年は、ライブやイベントには行っていなかったのだが、先日、次女と初めてのフェスに行ってきた。

MJフェスである。MJといってもピンと来ないと思うが、漫画家ないしはサブカルアーティスト、みうらじゅん氏(以下敬称略)のことである。

1958年京都生まれのみうらじゅんは、今年還暦を迎える。そこで小学生の頃からの画業というかサブカル業の膨大かつ多種多様な作品が、MJフェスと称して、神奈川県川崎市民ミュージアムで1月27日から3月25日まで展示されていたのである。

みうらじゅんは、1997年に流行語大賞をとった「マイブーム」や、「ゆるキャラ」の名付け親として有名になったが、下ネタフォークソングやエロ雑誌のコレクションから、独特のタッチのマンガ、イラストレーション、アウトドア般若心経、ツッコミ菩薩といった仏教の神髄を突いた表現まで多芸多才。

長髪、サングラスの佐村河内守のような風貌(今ではこっちがわからないかもしれない)、冗談を言っているのか真面目なのかわからない低いトーンのしゃべり方など、好きじゃないという人がいるかもしれない。

まあ普通は、好きじゃないけど嫌いでもない=興味がない(Copyright©みうらじゅん)という人がほとんどだろう。

しかし、ぼくは好きなのだなあ。

あまりマンガを読まないぼくだが、『単になんぎなうし』で、みうらじゅんという漫画家を知り、「タモリ倶楽部」やYouTubeにアップされた京都睡眠会議の動画、いとうせいこうとの「見仏記」、「空耳アワー」の安斎肇との「勝手に観光協会」、田口トモロヲとの「ブロンソンズ」などで、博学多才な人だなあと思っていたが、MJフェスに行ってみて、みうらじゅんは、大袈裟に言えば、日本の戦後大衆文化の中から生まれたレオナルド・ダ・ビンチ、控えめに言ってもキング・オブ・ザ・サブカルだと確信するに至った。

サブカルキングといえば、あんな方やこんな方が思い浮かぶが、それらの方々との違いは、彼はアーティストであり、その作品が、ちっとも学術的=「ポストモダン」とか「ポスト・ポストモダン」な言説なんかじゃなくて、どれも昭和の匂いのする、クスリと笑える作品だというところにあると思う。

それでいて、圧倒的な量の「笑える」作品を見せられると、その総体が人間愛にあふれた「教え」に思えてくるところがミソである。

例えば『タモリ倶楽部』でも取り上げられた「アウトドア般若心経」という作品がある。

般若心経は、278文字の短いお経であるが、この世にある物事の本質は「空」であるという仏教の神髄(だと思う)を示した教えである。

みうらじゅんは、数年がかりで日本全国のお店や看板から般若心経に使われている文字を写真に撮って「写経」し、般若心経を完成させた。

そうしてあらためて見てみると、場末のスナックからお墓の文字まで、人々の生活の営みに用いられた文字が、まさしく般若心経の教えを体現していることに気づく。

中学生の頃読んだ、カッパブックスの高田好胤師の「般若心経」をぼくなりに理解したところでは、「色即是空、空即是色」というブッダの教えは、以下のようなものだ。

色とは物質という意味である。この世にあるすべての物質、例えば石も、山も、草木も、もちろん人間も、地球も宇宙も、長い長い時の流れから見れば、いつか消え去ってしまう。すなわち物質の本質は「空」である。だから、それにとらわれてはいけない。

しかし、目の前の物事がすべて「空しい」ということではない。「空」だから虚無だと悟るのではなく、本質的に「空」だという自覚をした上で、目の前の物や人を一期一会と思って大切にして生きよ。色即是空と言っておいて、空即是色と戻ってくるのは、そういうことだ。

人々の営みの中に、仏教の教えが立ち上がってくる。場末のスナックの看板にも、不動産業者の看板にも、マンションの名前にも、お墓にも、すべて般若心経が隠れている。これが仏性(ぶっしょう)の発露でなくてなんであろうか。

さらにいえば、みうらじゅんが、「マイブーム」としてコレクションした、怪獣、仏像、フェロモン度の高いEPジャケット、ゆるキャラ、ゴムヘビ、いやげ物(嫌なお土産)、カスハガ(観光地ハガキに紛れた変な写真)、エロ雑誌、フィギュ和、甘えた坊主、派手な掛け軸、冷マ(冷蔵庫に貼るマグネット)などの完成度の低い「ヘンなもの」たち=ガラクタは、すべて人間が作ったもの、人間の日々の営みの証である。

それを「可笑しいな」「俺が買わなきゃ」と思ってコレクションした結果、それらは一人一人の作者たちの涙ぐましい努力や、郷土の誇りや観光客への思い、儲けたいという欲望などが混然一体となった壮大な曼荼羅になっている…。

それが、MJフェスであった。

漫画・アクリル作品・粘土彫刻・エッセイ・楽曲など、自身の作品は、1958年京都生まれの日本人みうらじゅんというフィルターを通して見えてきた、人間という名の不思議な生き物の全記録である。みうらじゅんは、全国を行脚し、民衆を教化した行基、空海、一遍といった遊行僧の系譜を継承しているのかもしれない。

小学生時代から、興味を持ったものをとことん愛し、それを友達にわかってもらいたいという純粋な気持ちから作品を作り、コレクションを続けてきたその過剰なほどのエネルギーは、仏の身分に留らずに、衆生を救うために下界へ降りてきた菩薩の結願に似ている。

第一これほどのコレクションは、儲かるどころか、逆に時間とお金がかかるのだ。

次女はイラストレーター志望なので、ぼくは車の中でみうらじゅんの動画を見せて基礎情報を与え、会場に着いた。会場は、ぼくと同世代かやや若い中年カップルであふれ、子どもはあまりいなかった。

くすくす笑う次女と会場を回りながら、みうらじゅんの凄さに圧倒された。

スタンプラリーや、どのブームが好きかといった来場者参加のコーナーもあって、展覧会というよりイベントとして楽しめた。みうらじゅんは、日本を代表するサブカルアーティストである。川崎市民ミュージアムでのMJフェスは終了したが、全国の美術館でもイケると思う。