Legend S参戦記(おまけ1) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日12月6日は、2016年、Red Hot Chili Peppers UKツアーのSpecial Guestとして、ロンドンThe O2アリーナに出演(2日目)した日DEATH。

 

Legend-S-洗礼の儀@広島グリーンアリーナは、YUIMETAL不在という史上初の危機をはね返し、大感動で幕を閉じた。やはりBABYMETALは最新のライブが最高である。

公式TwitterのThanksツイートは、SU-とMOAの二人だけだった。

何はともあれ、これから来年3月くらいまで、長く、しかしおそらく最後のベビメタロス期間に入る。YUIの回復と元気な笑顔で復帰する日を祈りつつ、待つしかない。

 

Legend-S-に先立って、広島では、11月29日-30日の2日間、世界12か国やNGOの代表60名が集まり、第27回国連軍縮会議が開かれていた。

国連の軍縮会議は、1989年以来、5回にわたって日本で開催され、今回は7月の国連核兵器禁止条約の採択を受けて「核廃絶」がテーマとなったため、広島が選ばれたのだという。

2017年現在、数少なくなった被爆者の体験・証言が世界中で共有されることは、とても意義深い。この地上で、二度と核兵器が使われてはならないというのは、人類共通の願いだと思う。

その初日の11月29日払暁、北朝鮮は、広島から約800㎞の距離にある場所で、核弾頭の搭載可能だと主張する「火星15」型ICBMを発射した。金正恩の無知と狂気が、あらためて浮き彫りになった。

すべての核保有国に言えることだが、相手国の国民を熱核で焼き尽くすことを抑止力とした安全保障は、1945年に広島・長崎の被爆者が直面した惨状を知れば、限りなく不条理だとわかるはずである。

だから今回、BABYMETALのライブが、SU-METALの20歳の凱旋公演、聖誕祭として広島で行われたことは、国連の軍縮会議以上に意味があったのではないか。軍縮会議の参加者はいかに重要な地位にあるといってもわずか60名だが、「洗礼の儀」には、世界中から、のべ2万人が参加したのだ。

多くのメイトさんが、初めてこの地へ来て原爆ドームを見、資料館を訪れた。

ぼくも、初日の物販終了後、千葉のmillecrapeさん、北海道のS川さんとお好み焼きを食べた後、初めて原爆ドームを見た。

瓦礫の残るドームの建物を見た瞬間、涙があふれてきた。観光客や他のメイトさんが大勢そこにいるのに、嗚咽を止めようとしても止められなかった。

ライブ前日に見学したというmillecrapeさんに教わった通り、ドーム近くの学徒動員碑の裏に回って、自分の出身校名を見た瞬間には、その場に泣き崩れてしまった。

そのあと、橋を渡って平和記念公園へ行った。

テレビで見るあの慰霊碑のアーチの中に原爆ドームがすっぽり入る位置関係は、現場に行ってみなければわからない。ああなっていたのだ。これを設計した人の思いに触れて、また泣く。並んで手を合わせているベビTのメイトさんを見て、また泣く。

ライブ終了後、SNSやベビメタ関連サイトのコメント欄を読むと、多くの方が同じように原爆ドームを見て、原爆資料館でのボランティアガイドさんの話を聞いて泣いたとのこと。それを読んでまた泣く。

ライブ中、「No Rain No Rainbow」の「紙芝居」の映像が、白い画面に黒い線で雨が描かれていたのは、原爆の後に降ったという「黒い雨」(井伏鱒二)を表していたのだ。

そして、「閃光が、人々の希望を絶望に変えてしまった」という「紙芝居」のSU-によるナレーションは、まさに1945年8月6日の原子爆弾を意味していたのだ。

だが、しかし。

その中から広島市民は立ち上がり、ここまでの復興を成し遂げた。

「No Rain No Rainbow」は、3.11東日本大震災の後に作られたといわれるが、あの時のSU-の学院日誌にも、「いつか、目の前の光景から、かつて悲惨な状況にあったことが分からなくなる時が来る。私の故郷、広島のように。」という言葉があった。

「♪絶望さえも光になる…」というSU-の魂の歌声に、それに続くあのツインギターの力強いメロディに、ぼくらは深く心動かされた。

広島の地は、二度と核戦争を起してはならないと決意する場であるとともに、人間は、その意志と力で絶望から立ち上がることができるのだという希望を、全世界に向けて発信しているのだ。

2017年12月2日~3日、BABYMETALは、全国各地、世界各国から、この広島に、のべ2万人もの人を集めた。この事実は、アイドルとかメタルとか、政治とか偏向報道とかいうのを超えて、日本の音楽史上はもちろん、政治史上にも、大きな意味があったのではないか。

原爆ドームを見、資料館を訪れた経験を、各自の持ち場に戻って、それぞれの立場で生かしていくことが、キツネ様からのメッセージを受け取ったすべてのメイト、THE ONEの役割だと思う。

心からそう思う。

(つづく)