マンチェスター学派 | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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イギリス、ロンドンの北西部に位置するマンチェスター。

18世紀後半、蒸気機関を用いた自動織機が発明され、19世紀半ば、約50㎞離れた港町リバプールと鉄道で結ばれたマンチェスターは、植民地インドなどから輸入された綿材料を、加工品として大量生産し、製品を再び鉄道で運んで世界中に輸出することで、大英帝国の繁栄を支えた。洋服、というものはマンチェスターから世界中に広まったのだ。

20世紀に入ると、世界の工場はアメリカに移り、第二次大戦後は、大英帝国の没落とともに綿工業は衰え、経済の中心地ではなくなったが、それでもイギリス第二の都市といえばマンチェスターということになる。

ノスタルジックな雰囲気を持つこの街だが、産業革命時にこの地で発生した経済・社会の問題は、現在でも論争が続く大命題をぼくらにつきつけている。

それは、繁栄に伴って起こった資本家と労働者の経済格差の問題、自由市場主義と保護主義政策、その極としての社会主義といった「人類が幸せになるためには、どんな経済・社会システムがいいのか」という大問題である。

当時の大英帝国の基本政策は重商主義であった。これは、今でいう保護主義で、政府が商品の価格を統制して、輸入する原材料の原価を安く抑える一方、輸出する加工品の価格を高くすることで、必然的に英国に富が蓄積されるという経済政策であった。そのため、強大な海軍力によって植民地を獲得し、原材料を安く収奪した。また、国内の産業を保護するために、政府が価格統制を行い、特に穀物に関しては、地主階級の利益を守るために、穀物法という法律を作って、価格が高値で安定するようにした。

工場で働く労働者が増え続け、それによって需給のバランスが崩れると、穀物価格が高騰して労働者が食えないという状況に陥る。労働者を確保するために工場主も賃金を上げざるを得なくなるが、それによって、さらに穀物の価格が上昇するというインフレが進み、悲惨な社会状況が生まれた。

こうした状況を見て取った2人の経済学者がマンチェスターに現れる。

一人は、盟友マルクスとともに、労働者による権力の掌握と、平等な生産物の配分を目的とする計画経済を骨子とした経済理論、すなわち社会主義・共産主義を打ち立てたドイツ人のフリードリヒ・エンゲルス。

もうひとりは、政府の介入をやめさせ、自由な市場の競争にゆだねれば、「神の見えざる手」によって、需給のバランスがとれ、労働者の賃金と生産物の価格が安定し、経済格差も少なくなっていくのだとする「国富論」を書いたアダム・スミスである。

エンゲルスは、学究肌のマルクスとともにドイツで共産党を創設。国際共産主義運動=コミンフォルムによって、世界中に共産主義の思想を広めた。結局本国ドイツでは革命は果たせなかったが、これが1917年のレーニンによるロシア革命=ソビエト連邦、1945年の毛沢東による中華人民共和国をはじめとする社会主義国群の基礎理論となった。だが、平等を国是としつつ、個人の欲望を強大な権力によって抑えつける全体主義的な非人間性が露呈し、20世紀の終わりとともに、ソ連、東欧の社会主義国は滅びた。今や社会主義を標榜するのは、中国、ベトナム、キューバ、北朝鮮など数か国にとどまる。

一方、アダム・スミスや、デイヴィッド・ヒュームによる自由市場主義は、資本主義国の基本的な経済理論となり、新古典主義経済理論となって今に至る。

新古典主義経済理論では、アダム・スミスが提起した、自由市場によって経済格差は縮小するというテーゼを、クズネッツの「逆U字曲線」によって説明する。

これは、富を独占するために恣意的な介入をする強権的な一部階級が存在する発展途上国を除いて、十分に発展した先進国では、自由な市場における競争が進めば、生産物の価格も、労働者の賃金も、資本すらも需給のバランスがとれ、全体の底上げが起こりつつ、一国内における経済格差は縮小していくということを示したものである。

冷戦終結で、社会主義理論の破たんとともに、新古典主義経済理論の正しさが「証明」されたかに見え、資本主義陣営は自信をつけた。そして「新自由主義」のもと、アメリカ=スタンダードのグローバル経済が進行した。

これに異を唱えたのが、ここ数年来、世界中で読まれているフランスの経済学者、トマ・ピケティの「21世紀の資本」である。ピケティは、19世紀から21世紀までの先進国の経済データを詳細に研究し、確かに、全体的な経済格差の縮小という傾向はみられるが、実は特殊20世紀の第二次世界大戦後という政治的状況の下で見られた歴史的な事象に過ぎず、上位1%の富裕層という尺度で考えたとき、遺産相続という形で資本を所有している者と、そうでない者との格差はむしろ広がっており、自由市場=資本主義のメカニズムには、そもそも格差を拡大するベクトルがあると論証したのである。

確かに、日本でも高度経済成長期、1億総中流化という形で全体の底上げはあったが、21世紀に入ってから、富裕層と、共働きをしなければ子どもを育てられない中流以下の経済格差は広がるばかりではないか。

アメリカではもっとひどく、上位1%の富裕層が、GNPの数十パーセントを占めているという極端な経済格差が表れている。大多数を占める中流以下の民衆にとって、富を独占する「セレブ」「エリート」「エスタブリッシュメント」階層は、怨嗟のもとになっているのだ。

では、政府が貿易や価格を統制し、富の再配分を保証する保護主義政策がいいのか。少なくともアメリカは、トランプ大統領を選ぶことで、その方向にかじを切った。

それとも、もっと極端な政府による計画経済、すなわち社会主義に戻るのか?社会主義ではないにしろ、資本家や銀行が利子をとることを禁じ、相互扶助を命じるイスラムの単一信仰に基づく政権を求めるISは、自由とは程遠い全体主義そのものである。

こうした現代のもっともビビッドな問題は、ここ、イギリスのマンチェスターで19世紀に起こったことなのだ。

アダム・スミスら、穀物法に反対し、自由市場を称揚した古典経済学者たちのことを、マンチェスター学派という。

彼らの主張には、実は経済理論ではないものが混じっている。

それは、自由な市場が機能するためには、人間同士、あるいは人間集団同士の“信義”や“倫理”が不可欠だという主張である。人間は欲望をもち、競争をする。だが、その一方で、労働者の苦衷を思いやり、ともによりよい社会を創ろうとする善意を持つ。それがないところでは、市場は力の強い者が富を独占する地獄の戦場となってしまうだろう。だから、自由な市場が、よりよい社会を作る基礎となるためには、なによりも共感性にもとづく世界平和や人類の友好親善の思想が必要なのだ、というのだ。

これは、お花畑の思想だろうか?

性悪説に基づいて、個人の欲望を抑圧した社会主義は、悲惨な社会を生み、自滅した。

ぼくはカトリックだが、単一神の信仰を強制される社会はごめんだ。

マンチェスター学派の、自由な市場だからこそ人間の品格が問われる、という考えは、若かったぼくの人生の指針となった。

フランス社会党のメンバーでもあるトマ・ピケティは、スイスやバハマなどのタックスヘブンに巨額な富を隠して税金を払わない多国籍企業を非難し、国際法を作って規制せよ、と叫ぶ。快哉といいたいところだが、やっぱりどことなく強権的な全体主義の匂いがする。

そうではなくて、ルールや信義や倫理を守る、という人間としての品格を向上させることこそが、自由で、人が幸せになるための経済や社会システムを作るうえで一番大切なことなのではないだろうか。韓国や中国やロシアの身勝手、大企業の節税対策なんかを見ていると、そんなことは、夢物語なのかもしれないけどね。

マンチェスター。資本主義発祥の地。

BABYMETALの全力パフォーマンスは、閉塞状況に置かれた観客たちに、はるばる1万キロの海の彼方からやってきた日本の女の子たちが、つたない英語と日本語でメタルを披露する勇気、それを実現させた努力と忍耐、そして世界は一つ、というメッセージの共感の輪を、言葉じゃなく、全身で示すだろう。

涙こぼれても、心折られても、立ち向かってゆこうぜ。

ひたすらセイヤソイヤ戦うんだ。こぶしをもっと、心をもっと、全部全部研ぎ澄まして。

Everybody、Jump!

世界はまだまだ闇の中だ。だが、希望はある。それがBABYMETALだ。