アイドル界の潮目 | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

昨日は、午前中まではコメントにレスをつけられたのだが、午後は永田町の議員会館に国会議員を訪ねたあと、うちの社長と新橋のサウナに行って時間をつぶし、夜は銀座で関西の大手進学塾の社長の接待で2時まで飲んで、結局うちの社長のお孫さんのベッドで寝るという、クレージーな一日だったため、ぜんぜんブログを見られなかった。開けてみたら昨日だけで15,000以上のアクセスがあったらしい。めでたい。
このブログは、長文で作家風に書くという性質上、なかなかコメントをつけていただけなかったのですが、(うらやましいぞ>KATYUHI-METALさん)、前回、「秋元康批判」に、おおぜいの方のコメントをいただきました。本当にありがとうございますっ>ALL
ちなみに、お客様に向かって「たくさん」というのは、本来、芸能界ではNG。「もうたくさん」という拒否に聞こえるからだ。だから歌舞伎役者や落語家は、「今日もおおぜいのお客様にお運びいただき、ありがとう存じます」という。BABYMETALは礼儀正しいことで知られるが、Mステでも、SU-はウェンブリーにお客さんがいっぱい入ったことを、「たくさんのお客さんに来ていただいて…」と言っている。ここは「おおぜいのお客さんに来ていただいて…」と言わなければならない。教育がなってないぞ>KOBAMETAL。
さて。
アーカイブの「第四章(1)(2)」あたりで、ぼくはこんなことを書いている。
(以下引用)
「アイドル三十六房」のインタビューで、今後の抱負を聞かれた水野由結は「高校生になったら、さくら学院ぐらい夢中になれるものを探したい。今は“ひとつ”というものはない。いつか有名になって、スーパーレディになって、さくら学院はこんなにすごいってことを広めたい」と言明した。
続いて菊地最愛は、「いずれスーパー最愛ちゃんになりたい。とりあえず卒業したらSU-、YUIとBABYMETALとして信じる道を進んで、さくら学院を広げてって、いつかはMOAMETALじゃなくて、菊地最愛として戻ってきたい。」と述べた。(中略)こうした発言には、二人は、あくまでも“アイドル”であり、BABYMETALもさくら学院の一部であって、いうならば、アイドルの「新しいスタイル」なのだ、というニュアンスが感じられる。それはそうだろう。メタルヘッドが「本物か、ギミックか」と論争しようが、小林氏が「メタルの新しいスタイル」と主張しようが、BABYMETALは最初から「アイドルとメタルの融合」なのであって、アイドルであることを捨象したことは一度だってないのだから。(中略)BABYMETALは本物のメタル表現をする「メタルダンスユニット」であるとともに、「親目線」のファン心理に応える“アイドル”でもある。そしてそれは、ライブ会場で明らかになっているように、“アイドル”と“メタル”の垣根を取り払うことでもある。
メタルヘッドはBABYMETALを“アイドルファンのように”応援する。
アイドルオタクはBABYMETALをきっかけにして“メタル”を好きになる。
それはメタルファンにとっても、アイドルファンにとっても、歴史的な転換点かもしれない。
(引用、オワリ)
ぼくはこれまで、「アイドルとメタルの融合」とは、メタルの世界に、日本のアイドルの論理と倫理を持ち込むことであり、いわば“メタルの革命”なのだ、ということを強調してきた。そしてそれは、2016年4月2日、SSEウェンブリーアリーナで、集まった各国のファンが、万国旗を振りながらThe Oneの「ララララー」を歌う、あの美しい映像で証明された、と思った。メタルが、アイドルによって弁証法的に「昇華」された瞬間だった。
しかし、実は、日本のアイドルの世界でも、同じようなことが起こっているのではないか、というのが、今回のお題だ。
前回は、Mステの欅坂46をめぐって、本気で「プロ」を育てようとしない秋元康のもとでは、平手友梨奈の才能があたら消費されてしまう、という趣旨で書いたのだが、こうした状況を生み出したのも、実はBABYMETALプロジェクトの影響ではないか。
BABYMETALは、アイドルの成長を応援するという、日本のアイドルファン特有の「親目線」を利用しつつ、その成長の目標をはるか遠く「世界に通用するアーティスト」(アミューズの社訓)に置いた。そして三人のメンバーの才能と努力、それを厳しく育てたプロデューサーと振付師、神バンドやスタッフという環境にも恵まれて、見事その目標を達成しつつある。
あ、世界的、という言葉に批判をくれたコメント20「どちらでもないだが」さん、YouTubeに、海外のファンが「SU-の歌はすごい」「メタルクイーン」などと絶賛している動画や板スレまとめがいっぱいあることをもって、ぼくは中元すず香を「世界的天才歌手」と評した。また同様にYUIとMOAが「天才ダンサー」として賞賛されていることをもって、あの2人を「世界的ダンサー」と評した。プロの歌手やプロのダンサーには、本当に「世界的」と称されるアーティストもいるだろう。だが、「日本のアイドル」というセグメントで、ここまで国際的に絶賛されている女の子たちは、現在いないと思う。もちろん、ぼくのこの言い方には、大いに「ひいき目」が入っていることは自覚してます。BABYMETALのファンブログなのだから、そのくらい大目に見てね。
コメント19「masa」さん、ありがとう。実はここにポイントがあるとぼくは思っています。
1990年代後半~2000年前後、J-POPは、ジャニーズ系、小室プロデュース系、つんくプロデュース系(といってもモーニング娘。のことだが)が、テレビに出演する歌手のほとんどを占めていた。
そしてmasaさんのいう通り、この頃は、歌+楽曲+ダンスの“巧拙”がアーティストの評価の対象であって、例えばジャニーズ系のダンス(たとえばSMAP)はそれなりに訓練されていたし、これに対抗する沖縄アクターズ出身のダ・パンプは「もっと上手い」ので、SMAPとは共演NGとかいう噂(あくまでも噂だけど)もあった。小室系も、転調の多いメロディーラインで、やはりダンスと歌(例えば安室奈美恵、SPEED、TRF)が上手い、ということが賞賛された。つんくプロデュースのモーニング娘。は「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)のスピンアウトだが、楽曲の強烈さと、メンバーのパワフルなダンス(例えばラブマシーン)は、やっぱり当時は新鮮に思えた。
つまり、CDの売り上げや人気と、「芸の質」とが、ある程度までシンクロしていたように思うのだ。
こうした中、2005年に結成されたAKB48は、“秋葉原のオタク”をターゲットとして秋元康がプロデュースした、ということから、当初「キワモノ」扱いだった。結成当初の48名ですら、当時としてはメンバーの数が多い。そして、「会いに行けるアイドル」=秋葉原に常設小屋として設けられたAKB劇場、「クラスの中の上のヴィジュアル」「歌もダンスも素人っぽいが、一生懸命」「握手会」「推しメン」「選抜メンバー」と、コンセプトが徐々に明らかになってくると、これは歌+楽曲+ダンスの巧拙=「芸」を楽しむものではなく、「特定メンバーを応援し、成長を楽しむ身近なアイドル」なのだ、ということが浸透していった。「秋葉原枠」でNHK紅白歌合戦に出たときには、「オタク向けのアイドルプロジェクト」としての物珍しさが先行していたが、そのビジネスモデルを全国展開してSKE、SDN、NMBなど、グループは増殖し、「選抜総選挙」開始の翌年から、年間シングル売上トップ5をAKBグループが独占。紅白に200人、300人という、異常な大人数で出演し、コンセプトの「正しさ」が喧伝される。それが2010年前後。それ以降、現在に至るまで、AKBグループが女性の歌謡界の主導権を握ることになる。
それをAKB時代と名付けるとすると、この時代のアイドルの評価軸は、90年代から00年代の歌+ダンス+楽曲の巧拙=「芸の質」から、「誰がセンターになるか」「がんばっているかどうか」「トークで垣間見れる人間性」「センターが変わって、CD売上枚数の記録を塗り替えられるか」「ほかのチームへ移籍したメンバーはどうなったか」といった「物語性」へと大きく変わっていったとぼくは見る。
AKB時代に、ももクロがAKBの対抗馬としてあれだけライブへの動員を成し遂げられたのも、メンバーがたった5人しかいず、マネージャーさえアイドル業界を知らなかったというももクロだからこそ、つまり、AKB以上の「物語性」を持っていたからではないか。
AKB時代のアイドルたちは、多かれ少なかれこの「物語性」から逃れることはできなかった。ダンスのシンクロ率や歌の上手さが評価されていた℃UTEも、「一生懸命さ」で復活した道重さゆみのモーニング娘。も、ももちも、アイドリングも、そしてわれらがBABYMETALも、このAKB時代をいかに生き延びるかで、さまざまな「物語性」を付与され、ファンはその物語を共有した。さくら学院は、そんな時代に「卒業」という物語性をもってはいたが、基本的に成長=「芸の質」を追求したために、爆発的には売れなかった。
しかし、BABYMETALに関しては、その「物語性」が「メタルの神、キツネ様降臨」「アイドル界のダークヒロイン」「コルセット祭り」というとんでもなく嘘くさい「物語」であったことが幸いした。ファンはその嘘臭い紙芝居を楽しみながら、実はそこにメンバー三人の「本気度」を見ていた。2012年の「ヘドバンギャー!!」の目黒鹿鳴館、Legend“I”~”Z”、神バンド降臨以降の快進撃は、嘘臭い物語の向こうに、当時高1、中2だった三人の、観客に歌詞の内容や、メタル音楽の良さを「伝えたい」(菊池最愛)という、本気のパフォーマンスが、アイドルファンにも、メタルファンにも評価されたからだ。つまり、アイドルの評価軸は、BABYMETALに至って「本気」=「芸の質」へと、再び戻り、今年2016年、セカンドアルバム「Metal Resistance」が、坂本九以来53年ぶりにビルボードトップ40に入ったというニュースによって、決定的に潮目が変わったのだ。
欅坂46の「自分たちで決める」「がんばって成長する」「笑わない」というコンセプトも、これまでのような「物語」として評価されるのではなく、そのアウトプット、つまり「芸の質」として問われる時代になったのだ。それは、AKB時代に、他のアイドルグループもAKBの「物語性」にいやおうなく付き合わされたのと同じ構図で、プロデューサーや、メンバーの意思とはかかわりない。そう、すでに「芸の質」が問われる時代、名付けるならBABYMETAL時代へと変わったのだ。
℃UTEが、Mステのシングルチャート上位に来たのは、偶然ではない。AKBグループでも、HKT48は、BABYMETALを意識していると言われる(あくまで言われているだけだが)、指原莉乃の監督の元、相当高いレベルのシンクロ率になっている。大人になったさくらたんの歌唱力も相当なレベルに達している。
だから、コメント26「itadaki」さん、「ダンス経験全くゼロの彼女たちが半年余りで」とか、欅坂のメンバーが努力していることはぼくだっていろいろな動画を見ればわかるけど、もう時代が違うのだから、素人さんの「努力そのもの」だけでは、評価できないと思うのだよ。現れてくる「芸の質」こそが、評価される時代なのだと思うのだよ。そのうえで、欅坂46のパフォーマンスを、「あれだけ良いもの」とおっしゃるのは、ぼくとはファンとしての見る目の「温かさ」が違うというだけのこと。それで、どうでしょ。
ぼくが2月に書いた、“メタルファンにとっても、アイドルファンにとっても、歴史的転換点かもしれない”というのは、つまり、日本のアイドル界にとって、「芸の質」が問われるBABYMETAL時代が到来した、ということなのであります。
PS.初めて書くが、ぼくは1990年代初頭、起業してすぐに、パソコン通信時代のニフティサーブで、会員1万人のあるフォーラムを創設し、初代シスオペになった。毎日数時間、会員同士の論争をサバく側だった。ネット論争、ネットマナーの日本における草分けなのです。当時は、歌詞の一部でも引用禁止を打ち出していたJASRACと戦い、著作権の勉強会をやったこともあった。言い捨て、揚げ足取り、論拠のない主張を繰り返す、などなど、マナー違反にはうるさいよ。しかし、昨日、このブログはアメブロ1000万ブログ中、デイリー760位になったらしい。そして、本当にありがたいことに、コメントのほとんどが真摯なもので、涙が出そうになった。
コメント10「YFUMI-METAL」さん、同感です。人気のために性的な分野に落ちてしまうという危険性は、プロデューサーの「愛情」の欠如だと思います。
コメント24「も」さん、できるだけ優しい目線で欅坂を見るようにします。
コメント23「アムロックとベビメタの虜」さん、本気を見せようと育てた環境がよかったんだと思います。だから、欅坂は「惜しい」と思うのです。
コメント21「ワレワレ」さん、応援、ありがとうございます。これからも頑張ります。
多少のマナー違反は許す。長文大歓迎。どんどんコミュニケートしましょう。>ALL
ちなみに、ぼくは、ぼくの立論そのものを論破する論理に、自分で気づいているんだが。