歴史的快挙 | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

昨日速報でお伝えした通り、BABYMETALのセカンドアルバム「Metal Resistance」が、全米総合アルバムチャートBillboard200で、TOP40にランクインした。今朝見たら公式サイトが更新されており、順位は初登場39位。昨日の38位という速報と、最終集計でちょっとずれた。
昨日は「BABYMETAL」が184位(本当は187位)、EZOが154位(本当は150位)とか、なんかミスが多くてすみません、訂正します。
このブログの「第4章」あたり、書いたのは1月の終わりごろだったと思うが、ぼく自身こう書いている。
(「BABYMETAL」が、9月にワールドアルバム部門1位で歴史的快挙、という報道のナンセンスさに触れて、以下、引用)
本当に価値があるのは、発売直後、アルバム総合のBillbord200で187位にランクインしたという事実である。
日本人でこれにランクインしたのは、
坂本九(1963年14位)、松居慶子(1994年41位)、富田勲(1975年49位ほか1975~1980年に7回)、オノ・ヨーコ(1981年49位ほか1971~1982年に5回)、ツトム・ヤマシタ (1976年60位ほか1976~1977年に2回)、LOUDNESS(1986年64位ほか1985~1987年に3回)、Utada(2009年69位・2004年160位)、YMO (1980年81位・1980年177位)、DIR EN GREY(2008年114位・2011年135位)、喜太郎(1986年141位ほか1980~1996年に5回)、E・Z・O(1987年150位)、坂本龍一(1988年152位)、チボ・マット(2014年168位・1999年171位)、BABYMETAL(2014年187位)
の14組しかいない。
坂本九は「スキヤキ」(「上を向いて歩こう」)の大ヒットがある。当時は日本人=有色人種であり、その歌唱法からR&Bとみなされた。松居慶子はジャズピアニスト。富田勲は、「月の光」などのクラシックを、発明されたばかりのモーグ・シンセサイザーで奏でた。オノ・ヨーコはジョン・レノンの奥さんで、さくら学院の目指すべき“スーパーレディ”の一人だ。ツトム・ヤマシタは前衛ジャズ・クロスオーバーのドラマー。Utadaは宇多田ヒカルのことだ。YMOは坂本龍一、細野晴臣、高橋幸弘の三人組で、バブル期の日本の勢いを象徴するオリエンタルビートテクノユニットだった。喜太郎はNHK「シルクロード」で有名なシンセサイザー奏者で、アメリカではニューエイジ音楽として聴かれた。単独名義の坂本龍一は「ラスト・エンペラー」の映画音楽としての評価。チボ・マットは日本ではSUMMERSONICに出演したこともあるニューヨークを拠点にした女性二人組。ポストパンク、アシッドジャズからヒップホップ、ボサノバまでと幅広い音楽性で、シュールでアンニュイな歌詞は全編英語。オノ・ヨーコの紹介で、ショーン・レノン(小野太郎)もメンバーに加わるが、2001年に活動休止。2011年に活動を再開し、2014年に、15年ぶりに出したアルバムが168位となった。
HR/HMバンドとしてここに出ているのは、LOUDNESS、E・Z・O、DIR EN GREY、BABYMETALの4組。LOUDNESSは、1981年、アイドルグループ、レイジーの高崎晃と樋口宗孝を中心に結成された。1983年からアメリカへ進出し、1985年にシングル「Crazy Night」がヒットして、アルバム「Thunder in the East」が74位に入り、モトリークル―の前座として、MSGのステージに立った。翌1986年「Shadows of War」が64位、1987年「Hurricane Eyes」が190位にランクイン。1990年代後半の低迷期を経て2005年から海外進出を再開。度重なるメンバー交代や不幸にもめげず、現在も、欧米、南米など全世界でライブを展開している。
E・Z・Oは1982年に結成された北海道出身のメタルバンドFLATBACKERの別名。アミューズに所属し、1987年にKISSのベーシスト、ジーン・シモンズをプロデューサーとして、歌舞伎メイクを施し、「忍者メタル」と銘打って全米デビューしたが、イロモノ扱いされ、“一発屋”として1990年に解散した。
全米総合アルバムチャートBillboad200という評価基準で見れば、BABYMETALは平均年齢15歳にして、過去数十年におよぶ日本の芸能史上14組目、メタルバンドとしては4組目、J-POPとしては宇多田ヒカルに次いで2組目、アイドルとしては初めてランクインしたアーティストなのだ。AKB48をはじめ、レコード大賞受賞者、紅白歌合戦の常連が誰一人として到達できなかったところへ、BABYMETALは駆け上っているのだ。
(引用、オワリ)
この時点で、もう横アリは終わっているから、セカンドアルバムが4月1日に世界同時リリースとなること、ウェンブリーが翌日の4月2日にあることはわかっていた。だが、「Metal Resistance」というアルバムタイトルは決まっていなかったし、ウェンブリーはXJAPANに続いての日本人2組目という位置づけのはずだった。
だから、XJAPANが公演を延期し、初ウェンブリーの日本人アーティストがBABYMETALになることは予想もしていなかった。「The One」がアルバムに入ることは予想できたし、ウェンブリーで観客が「ラララー」と大合唱することは想像できた。しかし、世界各国の国旗が振られ文字通り「世界をひとつにする」あの感動的なシーンが見られたのは、その予想の「一段上」であった。
そして、引用した文章のとおり、ぼく自身、願望として、バブル期に同じ事務所のE・Z・Oが作った150位はなんとしても抜いてほしかったが、DIR EN GREY(最高114位)はともかく、YMO(最高81位)、宇多田ヒカル(最高69位)、LOUDNESS(最高64位)は、超えられないかもな、と思っていたのである。
それが、さくら学院の目標であった「スーパーレディ」のひとり、ビートルズのジョン・レノンの嫁、オノ・ヨーコの49位をも超える39位!予想の「二段上」だ。
日本人歴代2位。坂本九以来53年ぶり。これは早くも2016年芸能ニューストップではないか。
今朝、4月13日朝6:35分過ぎ、テレビ朝日はこのニュースを「歴史的快挙」として報道した。他の局をザッピングしてみたが、まだのようである。さすがに夕方には流れるだろう。
新聞では、毎日新聞電子版がカルチャー欄で「ニューアルバムがビルボード39位、坂本九以来53年ぶり」とのタイトルで報道している。
KOBAMETALとアミューズが、ビルボード200をターゲットとし、見事それを成し遂げたことはこれで明らかとなった。雑誌であるビルボード200の集計は、各週の金曜日から翌週の木曜日までを集計し、翌翌週の火曜日に発表される。
Metal Resistanceは、4月1日(金曜日)に発売され、その集計が4月7日(木曜日)に締め切られ、昨日4月12日(火曜日)に39位となった。間に4月2日のウェンブリー、4月5日のCBS「The late show with Stephen Colbert」が入っている。完璧なプロモーションだ。
だが、アメリカでのライブは2014年にロスとニューヨーク、2015年にシカゴとコロンバスのフェス1回だけ。2016年の海外ツアーはウェンブリー1回だけ。本格的な全米ツアーは5月から始まる。ビルボードは息が長い。2014年の「BABYMETAL」は、ワールドアルバム部門1位(あ、今回も当然1位ね)を40週も続けた。だから、ここから順位が上がっていくことも十分ありうる。だって、たかだか12,240枚で39位ですぜ、旦那。
もっとすごいことを書く。
1963年の「SUKIYAKI and other Japanese Hits」は、「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」ほか12曲中10曲がオリジナルの日本語で、「つんつん節」とか「九ちゃん音頭」とか土着的な曲も多く、ニールセダカ「Good timing」などのカバー曲が2曲。
これと、BABYMEYTAL以外のランクインアルバムは、インストゥルメンタル、つまり歌詞なし(松居慶子、ツトム・ヤマシタ、冨田勲、YMO、喜太郎、坂本龍一)か、全編英語(オノ・ヨーコ、宇多田ヒカルほか)。DIR EN GREYは日本語だが、もはや何語だかわからない域に達している。
しかし坂本九とBABYMETALは、基本日本語なのに、日本人のツートップなのだ。
つまり、怒られるのを承知で書けば、他のアーティストが「英語」に媚びを売って、あるいは「英語」を忌避して売れたのに対して、坂本九とBABYMETALだけが、堂々と日本語で勝負し、そして、世界=アメリカだと思っているアメリカ人の壁を打ち破ったのだ。
BABYMETALがビートルズ級の音楽革命だという私の論を補強するサイトを紹介する、と言っておいてもう1週間近く経ってしまったが、ごめんなさい、翻訳が追いつかない。月刊カドカワDIRECT5月号、土曜日にやっと届いたイギリスの「Rock Sound」誌(NHKライブの詳細をイギリス人視点でレポートしている)、月曜日に発売になったYoung Guitar5月号BABYMETAL特集など、あまりに情報が多くて、もう手一杯でございます。申し訳ない。申し訳ない。