読んでて、「ふむ、なるほど」と思ったので、
作曲家・望月京氏が読売新聞に寄せた「音楽季評」を紹介しまーす。
急死したマイケル・ジャクソンのCDやDVDが空前の売り上げを記録していること。
また、バン・クライバーンコンクールで優勝したピアニストの辻井さんのCDも売り上げを伸ばしていること。
これは、音楽の内容以上に、誰が、どこで、誰に向けて、どのように発信したか
という「周辺の文脈」が大きな意味をもつ特性に由来するそうです。
例えば、マイケルさんは私生活のゴシップばかりが取りざたされ、
その謎の残る死や噂のすべてが、彼の音楽の一部となっている。
辻井さんは、人間の果てしない可能性を体現している。
視覚なしで、どう楽譜を読み演奏するのか。
彼の工夫や努力、支えるご家族の愛情まで、彼の演奏から聞き取り、心動かされる。
ただ、発信される音楽を聴いて感動するというだけでなく、
そのバックグラウンドが聴取者に大きな影響を与えるってことですね。
~~で、ここから引用します~~
音楽はそもそもそうした「全体性」の中で聴くものなのかもしれない。
歴史的に見ても、音楽の力は、宗教や民族、感情といった、
多くの人を束ねるコードの内臓に負うところが大きい。
人が聴くのはその場合、音楽ではなく、その中に各人が読み取る隠喩や象徴、
そこから派生する感情だ。
だからこそ、人気や影響力は表現の動機を変質させる。
音楽の本質は、売れ行きやランキングなど数値の多寡では計り得ない。
内容より利益を優先するなら、表現者の自発性は制御され自由を失う。
M・ジャクソンやファリネッリが30代にして逼塞したのは象徴的だ。
一つの価値観に大衆の欲望を集中させて利益を生み出す体型の下では、
音楽は短期消費物に変容し、
表現者も聴取者も疲弊させる結果になりがちだ。
新作よりリバイバルが影響力を持つ理由のひとつだと思う。(本日付の読売新聞より)
確かに・・・
私の場合、w-inds.で例えれば、
もともと彼らの曲は好きだった。
どこかで流れてきたら、必ず耳を傾けていた。
ふと、あることをきっかけに、もっと知りたい、もっと聴きたいと思うようになった。
で、彼らの軌跡や、今置かれているバックグラウンドを知ることとなり、
曲そのものだけでなく、彼らの精神性にも興味がわいた。
歌詞の内容も、応援してくれているようにも聴こえるし、
自分自身に言い聞かせているようにも聴こえる。
そういうこと全部ひっくるめて、彼らの曲に耳を傾ける。
これは、彼らが発信する音楽だけでなく、
彼らの感情をも聴きとって、心動かされているという訳ですね。
ん~
こりゃ、簡単には抜けられそうにないなっ、w-inds.さん(笑)
おまけに、ヴォーカルの慶太君の声。
「常習性あり」なんですけど・・・苦笑
最初ね、苦しそうな声が苦手だったの、実は…(〃∇〃)
でも聴いてるうちに癖になる。
この曲は、彼の声じゃなきゃダメになる。
1日に1度は聴きたくなる。
私にとっては、そういう声です。
写真好きで、時々、カメラ持ってうろつきます。
↑は冬の公園で撮った1枚。
