刃(THE BACK HORN) | インスタントジョンソン じゃいオフィシャルブログ『マルいアタマをぐちゃぐちゃにする』powered by Ameba

刃(THE BACK HORN)

先日、「さまよう刃」という10月公開の映画の試写会に行ってきた。


寺尾あきら主演の東野圭吾原作の映画だ。


原作を読んだ方もいると思いますが、僕は読んでなかった。


ストーリーは、妻を亡くし、高校生の一人娘と二人家族の父親が、娘を未成年の少年達に残虐かつ卑劣に殺され、その少年達に自らの手で裁きを与えるというもの。


少年法や被害者の身内の感情のやり場など、色々と考えさせられる、割りと重めの社会派の映画だ。


まあ、この映画は子供がいる人といない人で感情の入れ方も違うのではないだろうか?


特に同じくらいの娘さんがいる方は、凄く感情移入出来るか、見てられないかだろう。


もしも、自分の大切な人が卑劣に殺されたら?


そして、それが少年法に守られた未成年なら?


どうするだろう?


①殺す


②殺さないが復讐する


③警察に任せる


④更正するよう願う


⑤許す



僕は②かな。


やっぱり自分の手でって思うだろうなぁ。


殺すより辛い想いを味あわせてやりたいと思うかなぁ。


そう思うと死刑が一番罪が重いってことはないと思うんだよなぁ。


死ぬのが一番辛いなら、自殺する人なんていないって。


前に、「世にも奇妙な物語」で見た、三上博主演の、「懲役30日」(うる覚え)あれは良かった


「時計仕掛けのオレンジ」も良かった


リリー・フランキーの短編集に載ってた死刑の話も考えさせられた。ストーリーは犯罪を犯すと全員死刑(万引きでも)んで、罪の重さによって死に方が違うって話。


もう一度刑について考えてもいいと思う。


罪が重くなっても犯罪はなくならないだろうか?


そして、この映画のもう一つのテーマ。


復讐で殺しても殺人罪になる。ということ。


正直、映画を見ていて、復讐した父親を罰する感情は湧いてこない。


むしろ応援していたくらいだ。


殺人イコール悪いことだとしたら、死刑は警察が犯す罪ということになる。


正当防衛だけが許される殺人なんだろうか?


どんな理由の殺人かによって罪の重さは変わるはず。

そのために裁判があるんだろうけど。



基本的に復讐は嫌いだ。


でも、やはり自分の大事な人を肉の塊を扱うように殺されたら普通じゃいられないだろうな。


戦争や病、同性愛者、理不尽な殺人者・・。


これらが人口の調整、人外なる者の力だ。なんて冷静に考える余裕なんてない。

そこに感情が生まれる。


それが人である証だと思う。


重い映画だったが、見る価値はあったかな。


東野圭吾だけど、サスペンス感覚で見たら面白くないと思うので、ドキュメント感覚で見ることをオススメします。