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ジェイ(^ ^)です!


最近、私の周りでは、世間とは違い妊娠ラッシュです。めでたい・めでたい。


中には4人目なんて言う人も…。

ジェイなら迷わず、明石市に引っ越ししているかも。(^ ^)


玉本には結局、何人もの実子が居たんでしょうかね!私ももう一人子供が欲しかった。出来れば男の子が。



では本文へ


私は、なぜ玉本は…

チェンマイに近いミャンマーやラオスではなくカンボジアなのか?疑問に思っていた。



チェンマイに近い諸国からの入国だとバレやすいと思ったのか?だから距離のあるカンボジアからの入国を選んだのか?



よく考えたらそうなんです



あれから何十年も経っている。

チェンマイにいる幼妻達は既にオバさんになっていた!もう未練のカケラもないだろう。なんせ玉本は、ロリコン王なのだから。



あったとしても、実子達の事ぐらいか?

カンボジアは、内紛やベトナムとの戦争などでカンボジア政府自体もまだ軟弱な時期。市場でお茶っ葉のようにマリファナが山積みで売られていた。



カンボジアなら幼くて可愛い子を好きなだけ囲う事が出来ると思ったに違いない。フィリピンの拠点にいる子達は、年月がたち大人へと成長していたはず。玉本は飽きたはずだ。


だからカンボジアにやって来たのだ。



そして玉本は、次のハーレム拠点先をカンボジア・シュムリアップで築こうとしていた。バイタクのガイドに街を案内させ、お気に入りの子を見つけると親と交渉して回った。



そんなこんなで

チェンマイ時代の約5倍にあたる60人以上の少女達をハーレムに住まわせていた。

※日本の新聞には、このような記事出ていたらしいが…。



ちょうどその頃、日本はバブル経済時期。今と違い、金は有り余り給与やボーナスもウナギ登り。ジェイの親父は金融機関に勤めていたので、ジェイ家はそこそこ裕福だったのを思えている。



そしてバブル後期には支店長として全国を単身赴任で回ってました。日本の古き良き時代でしょうね。現在の日本は、個人GDPや給与まで韓国に抜かれるまでに成り下がりました。



当時のバブル期、玉本は大阪に貸しビルなどを何軒も所有し、かなりの賃貸収入があったと思われる。



60人も囲んでいたら当然ならが噂になる。もちろん警察が見に来たらしいが…。


※しかし実際は10~15人程度だったとの説もある。さすがに60人は多過ぎる。日本のマスコミがおもしろおかしく買いた事は想像出来る。



しかし玉本は、逮捕すらされなかった。



警察に多少の金を握らせたかも知れないが…、まず誰からも被害届が出ていない。少女や両親への取り調べに対しても玉本も悪く言う人は誰一人いなかった。



そして玉本も学んだんだろう。

誰一人として少女達と仮祝言だけで、結婚式をあげていなかったのだ!警察も重婚の罪で取り締まることも出来なかった。タイでは重婚罪で国外追放になっている。



玉本はパスポートの切り替え申告にも戸籍謄本には、ふりがながない盲点をつき。TAMAMOTOではなく、GYOKUMOTOとしてパスポート申請して見事に成功していたのだ。



次回最終回へ続く



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