フォロワーの皆さんサワディーカップ。
ジェイ(^ ^)です。
もう10月も半ば。
しかしまだ暑い日も有ります。
パタヤに行かれてる読者さんもおられ、観光客が殆どいなくてモテモテだとか。また新人さんも多く入店されているようです。
こんな時は絶好のオキニ探しが出来ます。
楽しんで来て欲しいですね。
ではブログの続きです。
どうしても、チェンマイにいる妻と子供達が忘れられないのか?玉本は、空路がダメなら陸路とばかりに拠点をフィリピンから90年代にカンボジアへ拠点を移す。
カンボジアでも当時、比較的安全とされていたシュムリアップだ。シュムリアップならポイペトへ行き、そこから陸路タイ・アランプラテートへ入国出来る。
ジェイも一度だけ同じルートでポイペトに行った事がある。今はどんな感じに変わったのか全く分からないが…20~25年前は国境近くのストリートにはカジノホテルが立ち並び、そこだけが異彩を放っていた。
周りは、真っ暗な闇の森に見えた。週末になるとタイ人や華僑の人達がカジノを楽しみにやって来る。客は飲み物や食事は無料で楽しめた。
好奇心旺盛だったジェイは…
ストリートの一番端まで歩いて行ったら、セキュリティの人間だろう…ライフル銃を持った民兵?マフィア?2人に、これ以上進むな!と警告される。
なぜだ!と聞くと山賊(ポルポト)が待ち構えていると言っていた。命が欲しいなら、日が昇るまでストリートから出るな!と注意される。
※彼らはポルポトと言っていたが、その残党が山賊になったのだろう。日本で言うなら野武士みたいな感じと思う。1998年に亡くなったポルポト。彼が死ねまで反政府勢力はあったようだ。
多分、カジノ客や宿泊客を守ってくれていたのだろう。ジェイが泊まっていたホテルでも、男性従業員は10代が殆ど。
その子らの父親の大半は、ポルポト派の大虐殺によって殺されていた。
たぶん玉本は、ジェイと同じ陸路でポイペトからタイ側のアランヤプラテートを目指そうと考えたと思われる。
以前のアランプラテートは、それなりに賑わっていたが現在は単なる田舎町になっているようです。ジェイは逆ルートでタイへ行ったが、普通はタイからショボい国境橋を渡り、カンボジア(カジノやアンコールワット)へ遊びに行く。
アランプラテート出てカンボジアへのイミグレーション周りには、怪しげな奴がいっぱい居た。観光VISAをすぐ手配出来るなんて奴らが。
当時のカンボジア入国審査官もチップを要求したり、拒否すると審査を一番最後に回したりと悪態がかなり有りました。フィリピンなんかでも、昔はニセ刑事が空港の周りに沢山居ましたよね。(笑)
※ジェイは面倒だったので、日本でカンボジアVISAを取っていた。
シュムリアップを拠点にした玉本。
ここでは、チェンマイやフィリピン以上に巨大な玉本ファミリーを作り出した。タイとは物価が違う。ジェイの感覚で言えば…カンボジアはタイの8分の1から10分の1ぐらいの物価だろう。
玉本は…なんと60人の少女達と暮らして居たらしい。
地元でもさすがに話題となって、ここカンボジア・シュムリアップでも警察が動き出した。
しかし玉本は、逮捕すらされなかった。
次回に続く
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