禁断の恋の果てに | 映画ブログ 市川裕隆の燃えよ ヒロゴン


原一男監督のドキュメンタリー「全身小説家」という映画がある。
1994年製作、傑作ドキュメンタリーとして名高く、当時キネマ旬報で日本映画の1位に輝いた。
それもあって、自分は当時レンタルで観たのかな。
その後、早稲田松竹で「ゆきゆきて、神軍」との2本立てで観ている。
作家井上光晴さんを5年間追い掛けた作品だ。


撮影途中で井上光晴さんの体に癌が見つかり、映画は彼が死と闘う姿を追うことになる。
映画の中で、瀬戸内寂聴さんが井上光晴さんのことを語る。
弔辞を述べるシーンもある。
その二人が「あちらにいる鬼」の主人公である。
つまり、瀬戸内寂聴さんは妻のいる井上光晴さんと関係を持ち、その後出家したのである。


そんなことを知らなかった自分は、点と点が線で繋がったように思えた。
「全身小説家」という映画で知る井上光晴さんの言葉で戦うイメージ、言葉で道を切り開いていくイメージが、脆く崩れた。
女にだらしなく奔放で、ある意味人間くさい。
瀬戸内寂聴さんも、瀬戸内晴美さんであった時代に恋愛に苦しみ、出家を決意したことが分かる。


彼女の本の中でも、そういったことは語られている。
恋に迷い、彷徨い、彼女は仏の道に辿り着いたのだ。
何度も共演している寺島しのぶさんと豊川悦司さんが、息の合った演技を見せる。
ラブシーンというのは、自分も何度かやった経験があるが、本当に信頼。
気も遣うし、監督やカメラにも応えなけれならない。
関係を築いてこその演技、素晴らしい。


信頼する役者だからこそのぶつかり合い。
かつての二人がそうだったように、俳優二人も激しい。
特に後半、彼女が出家を決め、二人で過ごす時間、良いシーンがいくつもある。
一緒に風呂に入る、それだけのシーンが特別で泣かされるのだ。


そして、これを本にした娘さんも映画には登場する。
どんな思いで、父を、母を、そして瀬戸内寂聴さんを見て来たのだろう?
観終わった後に、亡くなった瀬戸内寂聴さんのイメージが悪くならないかと気になったが、本人は娘さんに全部託して、映画化も了承済みだったと言う。
人間のどうしようもない性、それに振り回される人々、人間って不思議な生き物だ。