何故今ナイル殺人事件なのか!? | 映画ブログ 市川裕隆の燃えよ ヒロゴン


アガサ・クリスティ原作の映画化は、華やかでゴージャス、ロケ地の魅力や謎解きもあり、映画向きである。
成功している作品もたくさんある。
シドニー・ルメット版の「オリエント急行殺人事件(1974)」。


ルメット監督は社会派で「12人の怒れる男」や「狼たちの午後」といった傑作を生んだ名手。
オールスター・キャストも嬉しく、演技で火花を散らすスターの魅力が詰まっていた。
日本でも大ヒットしたのは、1978年の「ナイル殺人事件」。


こちらは「オリエント急行殺人事件」程のキャストではないが、渋い実力者が揃った。
監督は当時のエンタメ最前線、「キングコング」や「タワーリング・インフェルノ」のジョン・ギラーミン。
決して悪い出来ではなかった。
クリスティ映画の最高傑作は「情婦(1957)」でしょうね。


これには誰も異論はないでしょう。
コメディ映画もサスペンス映画も得意とした、ビリー・ワイルダー監督の代表作のひとつ。
近年では「ねじれた家」が好きだったかな。
「ゼロ時間の謎」や「華麗なるアリバイ」よりも。


前回の「オリエント急行殺人事件」リメイク版は、ケネス・ブラナーが主演と監督を兼ね、ルメット版に負けないくらいのオールスター豪華版だった。
アクション的な見せ場も増やし、映画的なお祭りを存分に楽しめた。
さて、同じブラナーの新作「ナイル殺人事件」である。


まず自分が気になったのは、いや、多くの人が気になったであろう、オープニングの意外性。
名探偵ポアロの過去についてである。
大幅に設定が変更されたのだ。
それが第一次世界大戦で負傷を負ったというものだ。


これはもう好みの問題だが、俺はいらないと思った。
やけに陰りを帯びたエルキュール・ポアロは、重たい過去を引きずり、ユーモアの欠片もない。
そこにこの映画のマイナスが生まれるのだ。


ケネス・ブラナー曰く、人間関係をより掘り下げたかったそうだが、ポアロという事件を引っ張っていくキャラクターに余計な垢がついた。
旧「オリエント急行殺人事件」のポアロ役アルバート・フィニーは、やり過ぎぎりぎりのところでユーモア溢れる人物を好演していた。


旧「ナイル殺人事件」のピーター・ユスティノフもそう、ちょっと頼りなげなところが魅力でもあった。
彼の ポアロは「地中海殺人事件」「死海殺人事件」と続いた。
何より彼らはずんぐりとしていて、見た目名探偵に見えないからこそ後半が生きるのだ。


ケネス・ブラナーはシェイクスピアのイメージも強く、古きイギリスの名優ローレンス・オリヴィエと重なる。
オリヴィエが主演した「探偵・スルース」をリメイクしたりもしてるし、意識してないはずはないだろう。
「ナイル殺人事件」が多少重くドロドロとした物語になったのは、とても残念である。

生きていたら、ロビン・ウィリアムズのポアロなんて見てみたかったな、余談だが。