周りの環境を変えることはできない。
周りの人を変えることもできない。
自分を変えることしかできない。
一貫してこのブログを始めてから
言い続けて来たことだけど、
だからと言って
ネガティブな感情を無視して
口角上げてニッコリしようぜ
と言ってきた覚えもない。
ネガティブな感情こそ
そこには宝物がたくさん隠されているのだから、
それを見付ける前に「癒して」消したら
意味ないじゃんか。
ネガティブな感情こそ
自分が望んでることを明確にするナビみたいなもの。
好きなことより
むしろ
嫌いなことをしっかり見るといい。
ネガティブにフォーカスして文句タレるわけじゃなくて、
嫌いなことの中から
望みを明確にする。
そしてその願いを自分の為に叶えてあげる。
4月に岡田哲也さん
とコラボが決まるちょっと前からまた最近岡田さんのブログ拝見する機会が増えて、宇宙人の私もグッと来てしまう記事がある。
この記事なんて、まさに私もそうだったなあと
思い出して涙したね。
別に当時の子宮委員長はるちゃんみたいに
元旦那が活躍しててそれを支えてたわけじゃなかったから、そういう意味では違うんだけど、
結婚生活14年。
私は正直いつも虚しかったなあ。
結婚した年には、私はかなり精神的にも肉体的にも病んでいて、ある朝「今日だけはお願いだから仕事に行かないでほしい。一緒にいてほしい」と頼んだ時、元旦那は「休むわけにはいかないから」
と出て行った。パニック障害が酷くて、
外に出れなくて友達も一人もいなかったソウルでの生活で、死ぬような思いをして、帰ってきてほしいと頼んだことがもう1回あって、
その時も仕事で明け方まで戻っては来なかった。
それから私は彼にそんなことを頼むことはなくなり、ただ精神力も体力もなくて、自立することもできず、父から絶縁された実家に戻るわけにも行かず、
強制的に日本の病院に入院させられるまで耐えた。
オーストラリアに移住して、
自分が元気になってからは
恩返しのように、彼が好きそうなものを料理したり、彼の趣味に付き合ったりした。そこにあったのは、愛というよりは、迷惑をかけたお詫びに。という感じだったのかもしれない。
1人目の子が生まれる夜も、
陣痛で苦しむ私に心は向けられず、
携帯を持って外で誰かと話していた。
「なんで?」の問には
「暇だから」の答え。
家族で食事をしていても、
一人で韓国のバラエティ番組を見て笑っていた。
どこかに出掛けていても、
誰かに電話をしていた。
浮気とかそんなんじゃなくて、
単純に私の友達だったりする人と
電話で世間話をしていた。
いつも、誰かに来て欲しい願望が強くて
私たちと向き合うことを避けているかのようだった。
私が寝込んでも
友達の引越しを助けに行くような人だった。
それこそ、小さな喜びをシェアしたことなんて
あっただろうか。彼のエネルギーはいつも外に向けられていて、私たちに向けられたことなんて
殆どなかった。
ずっと心の奥で
「この人と一緒にいたくない」
を心のパンドラから出さないようにし続けたのは、
私がシュタイナー教育者だったからかもしれない。この世界は安全であるということを
安定した家庭から子供に体験させたかった。
離婚という言葉を抑えつけて、
幸せであることを「売り」にしてしまっていたのかもしれない。子供たちを学校に通わせ、
その学校で教え、放課後は子供たちに朝準備したオーガニックの手作りおやつを食べさせて、私は学校でそのまま仕事をし、帰りに買い物をして、夕食を作り、
お風呂に入れて、本を読んで寝かせる。
テレビもない。
iPadもない。
私は1人の子育てでもそれは崩さなかった。
欧米のお父さん参加型が普通の環境で
ママ友が自由にイベントに参加したり
好きなことをやったりしていても、
私は諦めていた。
父兄と先生のミーティングも夜だったけど、
父親不在の私はいつもミーティングには不参加。
いっそのこと、父はいないものとして、
シングルマザーのが諦めがつくのに。
と思うことを押さえつけ。
誰に言わせても
「良く、やってるねー」と言われ、
子供たちはいつでも優等生だから
「子育ての模範」と先生にも言われた。
それが当時の私の成功。
淡々とリズムを持って「安全」な世界を
見せようと頑張った。
下の子が新しい世界観へ移る頃、
ニコラスと出会って
私は離婚を決めたんだった。
私が離婚したいと言った時、
元旦那は
1つだけ後悔していることがあると、
目に涙を溜めて言った。
ソウルで私が最悪に調子が悪かった
あの朝、「自分が仕事に行かなかったら、離婚することにはならなかったかもしれない」って。
私の答えは
「あなたの心が私にエンゲージ(噛み合うとか繋がるの意味)したことは殆どなくて、いつもあなたの心は外に向けられていたから、きっと変わらない結論だったでしょうね。」
そして、彼はそのまま海外で仕事をする決断をして、私の傍にいると辛いからという理由で
オーストラリアを離れたのだけど、
いつも外に意識がある彼は
目の前にある最善より、いつも外の最善を求めていて、オーストラリアではない海外で仕事をしたがっていたから、離婚した甲斐があったと思う。
そして今でも子供たちと連絡を
取り合うこともそれほど
頻繁ではないし、
父親に会うのは1年に1回から多くて2回。
という感じ。
きっと彼はそれを悲しい現実と見るだろうけど、
これは彼自身が選んでいることでしかない。
私はこれに対して
同情して欲しいわけでも
離婚を勧めているわけでもない。
何かが上手く行っている時、
頑張り過ぎて、
本心を隠してしまうことがある。
上手く行っている時こそ、
自分の成功より
心の奥底にある小さな気持ちに氣付いてあげることが大事。
そこにはとてつもない変容という
が隠されているかもしれないよ。
もっともっと最善に向かって
宇宙が拡張するように
人間の可能性も拡張していってるんだということを思い出してね。
2020年10月まで新規の方の個人セッションはいっぱいです。
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■Mayumiについての紹介
アンドロメダ出身。地球人の身体を魂の乗り物として選んだこの次元では、神奈川県生まれ。オーストラリア在住 24年目。生きにくさの不快指数120%で幼少時代を過ごす。宇宙人との遭遇。見えない物との交流。宇宙船訪問など地球人的には不思議体験の多い人生。自然に宇宙やスピリチュアルの世界に惹かれる。オーストラリアの大学院で中世の写本や文学を研究。専門はシンボリズムやアレゴリー。目に見えないストーリーを読み解く専門家。精神的なショックから記憶喪失を経て、博士号取得を諦めたが、だからと言って会社勤めは向かず、語学学校の講師として様々な土地を転々とした後、結婚。自然豊かな土地に引越し、シュタイナー教育に関わる。2人の子供を持つ。やがて月が満ちて、離婚。学校という教育現場を離れ、自由に宇宙とスピリチュアルを探究。オーストラリア人のパートナーと共にコスミックライトセラピー®️を設立。現在は、クリスタルの波動、色、音を使って本来の地球人の持つ自然治癒力を最大限にリセットすること、新しい思考回路のインストール、経絡を使ったエネルギーワークなどを楽しむ。最近では執筆のリクエストを度々各方面から頂いてます。直接お問い合わせされる場合はmayumi☆cosmiclight.com.au までお願いします。


