散歩もゲームも気分転換。でもゲームは時間の無駄と感じるのはなぜ | SU-Ⅲ 電脳紀 Second

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基本的に雑記ですが、情報系の事も書きます。

最近外に徒歩で出るのが日課になっているSU-Ⅲです


長い日は3時間ぐらい出てます


自転車をあえて使わないのがここ最近のこだわりです


家にこもってC++の勉強やITパスの勉強を進めればいいにも関わらず、


結構こういうことに日中は時間を使っているんですよね


そしてつくづく感じるのは、タイトルの通り、


散歩もゲームも気分転換のつもりでやっているのに、


散歩をしたらすっきりするにも関わらず、ゲームは終わったあと何かしら罪悪感が残るということ


やらなきゃ良かった。


みたいな。


俺の場合、運動する機会が夜のランニングぐらいしかないから


散歩がかなり運動という点で役立っているからかもしれません


それに太陽の光や風を直接感じることができるし、時には知っている人にばったり出会ったりもする


これまで気づかなかった隠し通路の存在に気づくこともある


その点ゲームはやっているときは楽しいけど、結果的に得られるものはあえて言えば少しの満足感だけ


しかも時間の限度が無い(TVなら1回何分とか決まってる)のでハマると無限に時間を食われてしまう


テイルズでプレイ時間が40時間超えてるのを見たときはぞっとしました


たかが1時間でも1日の4%は軽く使ってるわけですからね。


受験勉強しだしてから1日の時間がとても短く感じるようになりました


この感覚、もっと広く見ると一生も短いんだろうな…


限界があるから、毎日懸命に生活しなきゃいけないんですよね


なんかとても謎な内容になってしまいました


すみませんm(_ _ )m