ゆっくりしてると
リラックスできるな。。


最初にヨガを始めるきっかけになった女の先生のお書きになった本によると、


師を誰に?


という思いで模索しているときに
ある先生との出会いで

「(誰かを探すのではなく)なりたい先生になりなさい。」
と言われて、自分のやり方でいいと
こころから思えた、と。


歩いていて、ふとそれを思い出しました。




私は多分、ひとりの人についたことがない、というところにフォーカスしすぎていて、秘書っていうのはこういうもの、
上司にとって、信頼されるアシスタントっていうのは

完璧なコンビネーションで、ものごとをすすめていけて、上司を理解しながら仕事ができるもの、のようなプラスで、前向きなイメージしか持っていなかったから、ずっと模範的にやり手の秘書の存在を探して歩いていた気が。



世の中のアシスタント、
みんなそんな有能だっけ?



昨日のような会に参加してみて、
古きよき日系企業っぽい、変化してきた印象がほとんどないような、古典的なタイプの存在の方たちもいたり



私のイメージする、コミュニケーションも、人間の扱いも、量もこなせるようなアシスタントも、



人に関わることに正解はない。
いろいろ。。。


それと、
必ず、アシスタントの役割のひとがそれを満たす必要はないかもしれないとふと。
(ビジネス的なパートナーになり得るひとは、どこにでもいるし、男女は問わない。自分から仕事を引き受けるようなタイプのひとが自発的に担うほうが、お互いにとってはるかに効率がいいと思う。ただその場合には、仕事をやってやってる、みたいな言い方をするのは、全くもってフェアではないと見ているが。)


たとえば、
全く、周りの近い人から共感してもらえなくても、ボスのサポートとメールのやりとりだけで世界と繋がって仕事がなりたっている人もいれば



沢山の人とのやりとりから
辞めるときに、グループ全員から引き止められた人まで


アシスタントひとつとってもいろんなタイプの人を見たり聞いたりしました。



。。。




あまりそうは見えないらしいが
こうなりたいと思ったことのひとつに、もともと持っていて持ち余している性格の激しさを、なんとかして仕事に使えないだろうかと思ったことと
ショック!


少なくとも、もっとはっきりと、
あるタイミングに発言をしていたら、人生は少し変わったものになっていた?という疑問


最近まで目標にしようとしていたことの理由は
そういうところにあったんだけど、



今日、なんとなく
ちょっと、


いや
ちょっとどころかかなり


「限界」みたいなものを感じてしまい、降参した。あー残念。


というのも、
人の動かし方を、役割を意識してる人ばかりではなく、
とてもあいまいな中で、なんとなく進めながらしか人を使えない人もいたりして(人はよいが、my上司だな。)
それも、人間の癖のひとつかもしれない。



距離感っていうのは、縮めようとしても無理なものは無理、



反対に、そうしようとしなくても、
近くなれていくときは自然にそうなるもの


とはっとしました。




常に上司や周りの評価が念頭にあって、
人のやり方と比べながらしか、自分のやり方を作ることができない人にまで、翻弄されたり、比較の対象になる必要もないので、あっさりと仕事に向かい合うことにしようと思いました。



私はやっぱり、現在会社に於いて偉いかどうかが大切なんじゃなくて、これから偉くなりそうな人を自分でみて、そのサポートをしたら?そうする役割を担う方が、フィットするってことがピーンときてしまいました。



。。。



よく分からないけど
からだもリラックスしているときに
そんなことを思い知るんです。



音楽が居心地よいと
多分ほっとしてしまうんでしょう。。。



もうクリスマスソングだなんて。
あんまりよ~



クリスマスツリー