この前、帰省したときに
品川の駅で本を買いました。

怒らないことについて書いてある仏教のお坊さんが出された新書で
批判するつもりは全くないのだけど
共感箇所がほとんどなくて、速攻本屋に売りに行くつもりです。


そういえば、
ヨガの時にも、怒りは毒と同じで、
体を巡るので、そのような感情自体が悪なんである、と聞いて
毒々しい感情ということは理解はできます。


しかし、それを説いている人の考え方の土台になってる時代背景と、今現在の現実問題とは
ちょっとギャップがおおきい気がしてきて、
この問題についてだけは、関西人でいらちな(短気もしくはせっかちな)私としては、鵜呑みにして、はいそうですね、そのとおりですね、とは言えません。


TVのニュースを聞いてると
聞いていられないぐらい痛ましい、悲しい事件が起こったり、
普通にしてても、けんかをふっかけられたりするような日常で


どんなことがあっても、平然として、怒ってはいけないなんて、
守れてる方が無理に押さえこんだ感情の使い方してるんじゃないのかしらねぇ、ちょっとそれどう思う、、、?



私は、理由なく怒るようなことはほとんどないので、だいたいはどうしてそう思うのか、話すことはできるしそれは普通一般的なもののみかたでそう思う、その程度です。


確かに、怒らないで次のことにスムーズにつなげられたらすごく楽に生きられるだろうけど、その場においては自分は抑えるべき、と思えばそうするし、
持った感情を全てことばにするかっていうと、そうではないことが多いです。


例えば、
誰かと私が少しずつ、信頼関係を作ったとして、
誰かっていうのは、仕事であったりプライベートの知り合いや友達であったり、場面はさまざまだけど


珍しく短期間で信頼しあえたり、
普通に努力したって得られないもののように見えた場合に、間に入って壊そうとするようなことをし出す人がたまにいます。
どこにでもそういうタイプの、しょうもないことに生き甲斐を感じてる人は男も女も一定数いるので、
コミュニケーションのスタイルだけを観察して、距離をおくことにしています。


残念なことにせっかくよい関係を作りかけたとしても、相手がめんどくさがったり嫉妬心の理解に乏しい場合には、どちらともなく関係が切れていくこともこれまであったけど


お互いの良さと弱さを理解しながら、補うような信頼関係をつくっていこうとしている場合には、
他人がどうこう言ってきたとしても、
太くしなやかなものは切れたりしないはず、むしろ出来事によっては守ることで強い絆が生まれ育つのでは?


と思うようになりました。



いまだに守っていることは
「ケンカするなら、チンピラとはしない」が鉄則。

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