ゆっくりできた3日間、
遠出もなくて普通に過ごしましたが、きのせいか日中のんびりできたような。
カフェに行くのも久しぶり、お茶は家で飲むのが一番美味しいし
やっぱりどこかで考えごとしながら、空気を入れ替えたいとか、
見知らぬ人の雑談を聞いてはっとしたわとか…。



お彼岸だから?というのは少し後に気付いたのです。
心から拝むような気持ちも持てましたし
拝んだ分、では次へ、みたいな気持ちにもなれます。



医者ドラの始まりだけみて消したけど、救命ヘリコプター救急 山ピーの「コードブルー」




こんな場面で出会うのか?というのでは



神戸の震災のとき
看護婦さんをしている友達が、倒れた建物から助け出してくれた消防士さんと結婚した…、ていうのを思い出しましたわ。
(看護婦さんは婦長らしい。かわいい美人。)






ミュージシャンの方が
血液のがんで、というニュースを昨日みかけたのですが、身内だったとき旦那の父親が同じ病気がわかりました。
昔の人で、苦労して育ってきたというのもあって、病気が分かってからはすごく大変な人に変わってしまいました。
普通はそのようなことを聞かされると、普通でいられなくなるだろうし、弱いところが出るものだと思います。
家族が一丸となって、治しましょう、というコメントを読んだとき応援したいような、そんな気持ちだったけど
実際に私はあの時、素直にそれを受け入れるような気持ちになれませんでした。
それを理由に、吸収されたくない、と思うような出来事がいっぱいありました。
20代後半から30代に入ったばかりで、結婚も、仕事をしたい気持ちも、家族との距離感も上手くとれないような幼さの抜けきれないときに、現実だけが先にきてしまい、慌てながら毎日過ごしてました。
そして、私の困ってる気持ちは長いこと人に理解してもらえない話で、
最終的にはやる気が消え失せて、動けなくなるまで生きることがわからなくなりそうになりました。



私の家族は、割と穏やかな向かい方というか、その時へだんだん…みたいな、パワーの減り方で、自分の中では死というのは、わりと静かに迎えるような印象だったのに対して



今思えばですが



気に入らないことがあると悪態をついて
周りに当たりちらして
まだやりたいことがある、死にたくないと言っていたおとうさんの様子



穏やかではないそれを見せることに
「生きること」の一部を分からせるような、私の結婚の意味のひとつがあったのかな?




と思いました。






例えば
あの時には、理解ができなくてやみくもに許せなかったことも


今、仕事を通して多少なりとも以前よりは理解できて、
分かっても、いくら病気だからと言っても、前向きに言葉を選ぶことができる人だって世の中には沢山いる、
そういうことの、側面を消化してみて


だからこそ
苦労なく真っ直ぐくるのもいいけど
曲がりくねっても、いろんな気持ちを分かりながら年をとる


のも



悪くなかったんだなー、
とわかりました。







そうそう
そういう訳で
数年間は、ヒジョーに至らぬ嫁で、旦那もこわがってできなかった、おとうさんに立ち向かうことをしたけど



夫婦になったとき、お互いの努力で添い遂げようとすることにどんな意味があるか、とか
いろんな人から励まされていたことや、小さい断片を思い出してみると、普通の精神状態でない弱っている人に、もっとこうしてあげたら…とか、してあげられなかったことでできたことも同じように思い出します。




ですが
ベストを尽くしても
残念ながら脱落…




でしたが
成仏してください。ありがとうございました
と言えます。




もしかしたら嫁っていうのはもうないかもしれないけど…、
後悔ないように生きるっていうことの、手触りがどういうことか、分からせられた年が私の場合は少し若かった、だけなのかな…☆
と思いました。