今日、インドの女医さんから
通訳の方を通していろんな質問があったとき
答えていくうちに、私の30歳から今までが
あまりにも出来事が多かったのだなとあらためて気づきましたので
ちょとそれについて書きたいと思います。
人の死についての話も含みますので
お食事中の方は、また後日・・・・
・・・・ (^_-)☆
今日はお彼岸の中日で
お墓参りをされた方も多かったのではないでしょうか?
大阪の実家からも
行かれないけど遠くからおがんでおきましょうとのこと。
うちはあまりそのあたりは
無理をしない方なので
そのような感じです。
・・・・
人生における3大ストレスは何?
離婚と失業、親のし
ということらしい。。。
それは、販売のときの同僚が
夏、お客様の居ない、ひまな時間に
なにげなくそんなことを口にしていたから
ほんとうのところどうなのかはわかりません。
ただ直面した場合は、本人が気づかない部分で
いろんな部分でかなりのダメージを受けることは確かです。
修復にも時間は必要です。
・・・・
すいません
わたしこの3つが
この数年の間に。
Oh !! No!!!
元気でいられることが
何よりありがたいと思っています。
そしてそうあることは
家族が見守ってくれていることや
おともだちの存在(これを今読んでくださっているみなさまも♪)
にもとても感謝しています。
今日、環境についての話をしているときに
先生から「気づかないストレス」についてのコメントがあって
このしばらくの数年の間には私の
人生における、「灰色のフィルム」が回ってて
それがそろそろ一周まわりきる頃だと
思っています。
状況としてはすでに
終わりまで見届けた、と思うことでは
だんなのお父さんが病気で亡くなったことがあります。
闘病は丸2年と少し。
世の中には、もっと長くそんな時間を過ごされている方も
多くいらっしゃると思うと
この時間はけして長いものではないし
むしろ期間としては短いのかもしれません。
でも、先が見えない迷路に迷い込んだような感じは
長い長いトンネルのようで、2年といっても
10年くらいの年月のような感覚だったと思い出されます。
だんなとおねえさんは年が少し離れているので・・・
ということは
その親である彼の両親と私はずいぶん離れており
価値観でいうと、おじいちゃんおばあちゃんの世代に
あたるのかと思います。
あくまでもこれは環境からくる考え方の違い、と受け止めていますが
交通の移動範囲の少ない地域にあって
ほぼ定住の両親と
いくつかの場所に住んだことのある若い夫婦では
もはや習慣や考え方に大きな違いが出てきてしまっても
仕方のない話だと思いますし、どこの家でもそんなことは
多かれ少なかれあることですが
違いを埋めるための努力をしても、どれだけ時間を割いても
それを認めてもらえたという実感があまりありませんでした。
結婚は転職ににている、と
だれかがそんなことを言っていましたが
私はこの人と結婚する、と思って決めたことですが
吸収合併のような、そういう感覚で受け止められていたのかな。
と思うことがよくあって、ジレンマでした。
私の両親は、だんなの両親より
ひとまわり以上、下の年代にあたるため
私の「疑問」とかがいまいちよく理解できなかったようで
とうとう家族ではない人の意見を、と思い、悩んだ末
以前の上司にちょっと相談してみたところ
「岡本太郎が民俗学の、沖縄についての本を出しているので
一度読んでみたら」
ということでした。
モンダイとするところは違うのですが
私と似たような「疑問」を
仕事上感じたことがあったから、の
経験上のアドバイスだったようです。
この上司は、そのものずばりを言うときもあれば
だいたいこのへんかな?という投げかけをするのが
上手な文人肌の人で、2児の娘の父親でもあり
・・・・ 私はちょっと結婚とりこんと、民俗学が
渾然一体となってここで一致するとは予想だにしませんでしたが
やはりそれは、ひとつの見方として知っておくべきこと
(相手の生活習慣に根付いたものの見方を知る)
たいせつなことだったかもしれません。
冠婚葬祭というカテゴリーでくくられることもできます。
2000年の夏
お父さんの余命と病気がわかってから
お父さんはちょっと人が変わってしまったようでした。
以前にもまして
家族にいろいろな不満をぶつけてくることが増えて
ハナシの中身を分解してつきつめれば、家の役割について
理解が足りない、ということが多いのでした。
嫁である私は、それは病気なのだから、と思って
GW、お盆、年末年始 家に行ったときは
なるだけ普通に過ごせるように
だんなとでかけて行きました。
ほんとうなら、仕事で忙しさのピークだったり体調がよくないときには
帰省ラッシュの往復の移動で、消耗することも考えて、
家でゆっくりしたほうがいいのでは・・・・
と思うようなときでも、帰ってくるように連絡をしてきます。
年末の場合は、クリスマスが始まる前からで
そういうときに子供である私たちは
自分たちの計画を入れることが許されず
結局は「お父さんは病気だから」ということが
第一優先でした。
当然といえば当然なのです。
生きるか死ぬかがかかっていれば
そう思うのも無理はないのです。
ただ、「調整の余地がない」というのもおかしな話だなと
思いませんか。
自分たちがこの期間の間
どのようにすごすかの
調整の余地がないって。
・・・・
当初お父さんの余命は半年で
病気も大きな病気で、治らないということでしたが
病院での入院から自宅での療養に切り替わり
半年は余裕でとっくに過ぎていきました。
自分の余命が延びたことを心から喜ぶよりも
お医者さまに診断について食って掛かったり
自分の考えの正しさで周りの人のきもちを考えないようなことを
平気で言うようにもなり
電話の場合が特にひどかった記憶があります。
それでも「大きな病気をしているのだからおとうさんは変わってしまったな」
と思って辛抱していましたが
ある年の元旦の夜に、私とお父さんがあることで大喧嘩をしてしまい
それがひきがねで、どうしても許せないことが起こってしまいました。
どんなに大きな病気をしても
人に言ってはいけないことばはあります。
それと
大きな病気をしているからといって
それに甘んじている人ばかりではありません。
理解をしながら、周りに感謝のきもちを伝えることを忘れず
きもち家族にも甘えすぎずすごす人だって大勢居ます。
たぶん、どんなに多めにみても
人間として許せない、とここで思ったので
自分の生きるスタンス、みたいなものが
一気にお父さんに向かって、放出されたのかもしれませんが
すべてを受け入れて辛抱しきれなかった嫁であったことも確かで・・・
そういうことがあって、
お父さんは数ヵ月後に、建て増しした自分の家に
満足して亡くなりました。
人が死ぬというと
家族の死が身近に思い浮かび
どことなく、眠るようにひっそりと
という感じがしていたのです。
最近まで、だんなのお父さんのことを
心から受け入れることができませんでしたが
今、また違う環境におかれている私は
ある意味で、
だんなのお父さんから
人の死 のひとつのあり方 を
みて学ぶことができたのかもしれません。
最後まで、悔しい、もっと生きたい といって泣き
お母さんを困らせるような
激しい死に方と言えるかもしれません。
ということを、
この前だんなに話しました。
彼の中でそのとき、どういうきもちだったか
を考えたから、言わなかったことばでもあるのですが
結局同じことを感じて考えていながら
直接私のように、自分の考えをそのまま
自分の父親に向けることができないまま
・・・自分の親だから言えない、ということも
あるかもしれませんが
親である前に、人間としてどうなの?
ときいてみました。
私の親がそういうことを言っても
許せないと思う、といったら
彼はちょっとほっとした様子でした。
私の中で
「嫁」という役割は、お父さんのお葬式
(正確には、自分の両親の強い要望で
初盆までで)
もうここで終わらせていただきました。
そのかわりに、自分の人生を選ぶのだから
それなりに何か苦労があったとしても
文句は言えないのだという覚悟&承知で
ということですね。
お葬式で印象に残っていることはいくつかありますが
映画「おくりびと」そのままの
温和なおくりびとの方のことを覚えています。
その方は、手に大きな数珠をしていて
これを職業にするというのは、どんな感じなんだろう?
そして、常にあたたかいまなざしで
参列されている家族にお話をすることができるって
すごいなぁ・・・と思って聞いていました。
死から学ぶことはいろいろあり
そのときに、自分がどうあって
どんな風にしめくくるかとか
規模の大小ではなくて
どれぐらい思い出を語ってもらえるかとか。
とても長くなってしまって
読んでくださった方に感謝します^^
そういうことがあったからこそ
今の環境を選んでるのかもしれません。
病気は
完全に治せなかったとしても
緩和させたり、感じなくなるくらいに
癒すことはいろんなやり方で
できることがいろいろあるだろうなぁと
思っています。
