私は2002年の今頃、大阪の大きな病院で入院していた。
ことしは2008年だから、もう6年も前になる話。
ちょっと病気の話も含むので、抵抗がない方にだけ、と思って
意味もよくわからずアメンバー限定にしようとしたんですが、
そんなたいそうな話でもないし(笑)
読みかけて、おもしろないなと思われましたらどうぞ途中までで。
女性の方で、何かの参考にでもなればと少し思ったりしています。

広告代理店の総務部でアシスタントをしていた次の年は
私は厄年で。
やめて家にしばらく居てる時にも、からだがものすごく疲れて
その疲れが一体何なのかがさっぱりわからなかった。
一般的に30代前半の厄年は、
婦人科系の病気が発覚する人は案外いる。
同じ年で、私の周りには3人いた。
結婚して、しばらく琵琶湖の近くに住んでいたが
どうも、この土地と自分の相性があまりよくないらしいことが
だんだん分かってきてたのだった。
家にいると、みるみる元気がなくなっていくのだった。
誰か忘れたけど、小説の一節でそんなことを
読んだことがあったから、
多分そういうことだったのかな・・・と後で思う。
京都や大津などの通勤圏内のニューファミリーが
子供の成長を楽しみに、住みやすく考えられている街
という場所だったので、車があると便利で
湖もあって風光明媚な、素敵なところだったので
人からみれば文句などあるはずない・・・
私は、人の活気が感じられるところでないと
自分の「バランス」がとれなくなっていって
生きている気がだんだんしなくなり
これからどうしたいのか、何を目標に生きたらいいか
それも分からなくなりそうだった。
新婚で住み始めたマンションを
丸4年住んだところで、3回目の更新をせずに
大阪の自分の実家のとなりにある、
空いているおじいちゃんのあばら家へ。
勇気を出してそこに住みたい、と夫に申し出たのだった。
だめという方向だったら、別れる
それくらいに思っていた。
彼に話すと、いろいろな理由をつけて
まぁ、住宅代もうかすことができるし、通勤も楽になるしいいね、
といってくれて
引っ越すことになった。
7月くらいの暑い頃だったと思う。
その引っ越しを経て、1年くらい経った頃、
多分自分の不調のからだが、いろいろなことを察知して
限界がきてると知らせてきたのだと今から考えると思う。
私たちが、私の実家に引っ越した時期には、
夫の父親が、大きな病気をしていることがわかって
「あと半年」 と医者から告げられて、
ナーバスになっていたところだった。
そんなことを聞かされたら、誰でもすごく不安になるし
残された時間についても考えるだろうと思う。
私は、家族の希望を考えて一旦主婦になったけれど、
どうも家にずっといるタイプではない
どんな形であれ、仕事を続けていきたい人間なんだろう
と気づいて自分なりに努力をしてやっとこさみつけた職場でも
合わない人がいて、辞めなくてはならなくなった。
そして楽しげに外へ働きに出始めたことを
共働きとかいって内心こころよく思わない家族
気兼ねして心配する私の両親。。
夫は、というと、出張出張で、
家でゆっくり一緒にごはんを食べる日は
ほとんどなかった。
単純にいろいろのバランスが、この年はとても悪かったのだと思う。
どこの家も、どこの家族にも問題なんて当たり前にあるのだし
月日を経れば解決することもあるし。
ただ、嫁としてつきつけられる家の考え方というものが
ちょっと時代錯誤的なところ
(夫の実家は、山陰の山間部で、
その両親もその地方の出身。
私の両親は、どちらも関西出身。それぞれの両親の年代は一回り以上違う。)
働きたいと思って過ごしている、まだ若い30代前半の私は
耐え切れなくなっていた。
一方、考えていることは、流れで追うとどれも自然だったと思う。
自己弁護ではないけど、私のわがままで物事を押し通したとか
そういうことではなくて
普通の30代前半の女の人はそんなこと当たり前に考えるだろう
って言う程度のことでも、彼の両親は多分
許そうとしないのだなと感じていた。
そして、彼は家でごはんをほとんど食べないのに
ごはんの心配が一番だったみたいだった。
私の結婚て、一体何??
と思い始めていた。
NYの自爆テロがあった日に
激しくおなかが痛くなって、出張から帰ってきただんなにも
おなかが痛いし、寒い、といって
別室で横になっていた。
次の日に、
広告代理店のときのともだちと
ミナミにのみに行く約束をしていたけど
おなかが痛い原因がはっきりしないまま
楽しく飲むことって、できんのかな??
なんて思い、
スーパーへ買い物のついでに、初めて産婦人科というところへ
行った。
住んでいたところでは、一番くらいいい先生という話を
聞いていたし、まぁ活気があるところの方が
と思って行ってみたんだけど
そのときに、初めて行ったのに
「大~きな筋腫がありますねぇ・・・。
ソフトボールぐらいの大きさになってる。
このままほっといたら、体に負担かかってくるから
半年以内に手術した方がいいですよ。」
とのことだった。
先生の言い方は、おもしろいものでもみつけたような
そんな言い方だったので、
信頼置ける医者ってきいてたけど
全然ちゃうやんか!!
と思って、自転車にのって帰った。
帰り着いて、お茶を一杯飲んだのに
母親に話すときには、取り乱してしまい
筋腫があるからって言われた (泣)
といったら
そのあたりに自覚がある母親は
背中をさすってなぐさめてくれた。
結局、その次の回に
母も一緒に医院に行ってくれて
先生から話をきくことになった。
そして、「どの病院に入院するか」
決めて、またきてください。
ということだった。
子宮筋腫というのは
今でこそ、Hanakoとかの雑誌でもとりあげられるような
卵巣脳腫とか、内膜症とか、
ポピュラーな内容の病気だけれど
私がこのことを知った時期は、情報もそんなになかったときで
簡単な病気でも腕を切るのとは違う
ものすごくナーバスになってしまった。
男性でいうと、どこを切るのと似てるでしょう?
またそのあたりにメスを入れると聞かされたら
どんなきもちがするでしょう?
日々が、希望のないトンネルに
ひとりでとぼとぼと歩いているような
そんな時間を過ごしていた。
結局、人から聞いたいくつかの病院ではなくて
私が前から気になっていた
大阪の一番大きな病院に入院することを決めた。
家から遠かったので、入院すると
何かと日常のことで家族に迷惑をかけてしまいそうで
そこのあたりを考えるととても迷ったけど
広告代理店の私の上司は皆
何かあると、ここの病院がいいと言って話していたので
結局わがままで申し訳ないなと思ったけど
ここでみてもらいたい、と話したのでした。
つづく・・・
