私には、赦したい(手放したい)ことがあった

それはある人から幼少期にされたこと

 

まず、なぜ赦したいかというと

私は日々を良い気分で過ごしたい

でも、ふとした瞬間に されたこと を思い出してしまい、とても嫌な気持ちになる

「もう気にしない」とか「どうでもいい」とか「あの人にはあの人の生き方がある」と、いろいろな分かった風を装っても、フラッシュバックする

 

 

やっと、それを赦せた

「私が赦したいと思っていた出来事って、私がその人にレッテル貼りして、引き寄せたんだよなぁ」と気づいたから

 

そう、先日書いたこの記事の内容だ

(この記事の内容は長く思っていたことだが、あのことと関連していたとは気づかなかった。こちらもまさに 分かった風 だ)

 

 

 

正直、あんなひどいことを私が引き寄せたなんてガーン という気分だ

 

でも、あの人は "そういう人だ" というレッテル貼りを私は確かにしていた

「あの人ならやるだろう」とさえ思っていたことを覚えている(ちびっ子だったけど、しっかり覚えている)

だから、引き寄せた

 

 

4月30日にこのことに気づき、赦せた

あれからフラッシュバックしてこないし、あの出来事を思い出しても「怒り」も「悲しみ」も出てこない

 

 

今度こそ、やっと、手放せたと思う

 

※本件は、個人の感想です
 
うずまきケース1
私があの人はこういう人だとレッテル貼りをすると、その人はその通りになる

 

私が決めつけたから、そればかり目についてしまうのか?

私が決めつけたから、私の前ではそういう風になってしまうのか?

 

うずまきケース2

逆に、私はこういう人だとレッテル貼りをされると、その人の前では(結果的に)そのように行動してしまう

 

その人の前では、私は失敗ばかりしてしまう

その人の前では、私は怒りっぽくなる

 

他の人の前では、そんなに失敗しないのに

他の人の前では、そんなに怒らないのに

 

※失敗とか怒りっぽいは、あくまで例ですニヤリ

 

うずまきケース3

また、ある人(Aさん)が、この人(Bさん)をレッテル貼りすると、その通りになるらしい

私には、Bさんがそういう風には見えなかった

 

 

 

このような経験を繰り返すうち、レッテルを貼られた人は、レッテル貼りをした人に対してその通りの行動をしがちなのかなぁ、と思うようになった

(もちろんこれが全てではなく、「そればかり目についてしまう」などいろいろあるだろうけど)

なんだか、引き寄せ(の法則)みたい

 

そう思うようになって、

私は人にレッテル貼りをしないように気をつけている

誰かからレッテル貼りをされたら華麗にスルー、、、できなかったら挽回しようと頑張ったり、その人から逃げたり(逃げます)、、、

※引き寄せだったら、スルー不可避か...

 
人間関係は難しい
(というのを引き寄せている...)
 
 

レッテルを貼るなら、良いレッテルを貼りたいね

 

 

私は、生きている間は地球環境を壊している

死んだら焼いて骨になる

 

土葬なら微生物の餌になるし、風葬なら鳥たちの餌になるのに、火葬の日本では死んでも役に立たない

生きている時も死んだあとも、役に立たない

骨を土に撒けば少しは役に立つかな?

などと、長い間思っていた

 

しかし、たくさんの常在菌たちが私の身体の表面や中に住んでいること、彼ら無しでは私は健康ではいられないことを意識するようになり、考えが変わった

 

私は菌たちの役に立てる!

 

なぜなら、自分の身体環境は自分でコントロールできるから

住んでくれている菌たちに心地よく過ごしてもらおう!

 

ということで、

  • 薬剤(合成石鹸など)は極力使わない
  • 口にするものはできるだけ気をつける

など、できる範囲でやっている

 

そして、結果は

  • 朝のお便りうんち (腸内細菌たちからの評価と思っている)
  • 私の体調ランニング (常在菌たちからの総合評価と思っている)

で知ることができる

 

何が正解かはわからないので未だに手探りだ

例えば、低気圧のせいで頭が痛くなった時は頭痛薬を飲む

頭痛は治っても、他に不具合が出てないか(朝のお便りレビューが悪くなってないか、等)と、常在菌たちにお伺いを立てる

 

そんな、常在菌たちとの共存の日々

彼らの役に立てていると実感する日々

誰かの役に立っているって幸せだなぁ、と思っている

おまけに、私の体も心も健康ですニコニコ