読書 「思ひ出55話 松竹大船撮影所」 | ゆうべ見た映画

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懐かしい映画のブログです。
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そして「ちょっと休憩」など 入れてます。

 

この本は 64年に渡って

映画製作を続けて来た 松竹大船撮影所が

2000年(平成12)、遂に売却された時

 

それまでここで 映画製作に携わった

監督、俳優、スタッフたちの 生の思い出を記録しようと

原稿を募り 当初は神奈川新聞に連載された記事を

一冊にまとめた本です。

 

とても興味深く 

面白いエピソードがたくさんあったのですが

長文を短くして ひとつご紹介しますね。

 

 

【大船の伝統的な助監督試験】 西河克己(演出)

 

1938年(昭和13)から 大船撮影所は新聞広告によって 

助監督を募集する制度をとっていた。

 

その戦後初の公募試験には 千数百人が志願。

その全員が 四百字詰め原稿用紙二枚の作文を提出。

ここで約三百名に絞る。

 

次が筆記試験で五十名に絞られ→面接結果で採用者を決める。

 

この年の 筆記試験の試験官を 

この頃は助監督だった僕が務めた。

 

試験は語学で 僕の担当は

独語と仏語の教室だった。

 

試験が始まって しばらくした時 

最後尾でコソコソやっている 二人組を見つけた。

明らかにカンニングだった。

 

僕は気づかぬふりをして 机間巡視をし

その二人の受験番号と 姓名を記憶した。

仏語の受験者だった。

 

筆記試験の集計が行われ 約五十名が選ばれたが

その二人は合格していた。

 

次の面接が終わり 総合判定会議の時 

僕はしばらく迷ったが

ちょっとしたきっかけがあったので 発言した。

 

「カンニングをした者がいますが、どう扱うべきでしょうか」

「カンニングって、どうやって?」

吉村公三郎監督が訊いた。

 

「一人が一人に教えたのです」

「それなら教えた方を入れて 教わった方を落とすべきだ」

大場秀雄監督が言った。

 

「他人に教えるという事は 

 自分が落ちる確率を高めることにもなるのだから たいしたもんだ」

それで 片方の受験者は合格になった。

 

その答案には 遠藤周作と書いてあった。

生涯、僕の忘れられない名前となった。

 

しかし、合格決定の間際になり

身体検査の結果、胸部疾患があるとのことで

労働基準法の規定により 遠藤周作氏は不採用となった。

 

          ふんわりウイング

 

このブログを始めた頃、描いて載せていたイラストが

数えたら 580枚もあった。

 

よく描いたものだなあと つくづく眺めていたら

この出来の悪いイラストたちを

このまま、燃えるゴミにしてしまうのは 

あまりに悲しいなあと思った。

 

誰かが 2000万くらいで 

引き取ってくれたらいいんだけど・・・

 

それでね、この子たちにもう一度、活躍させたいと

初期の頃のブログの記事を書き直して

noteというのを はじめて見ました。

 

ちょっと、宣伝です。