懐かしドラマ 松本清張『或る「小倉日記」伝』 | ゆうべ見た映画

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懐かしい映画のブログです。
ときどき、「懐かしの銀幕スター」「読書」など
そして「ちょっと休憩」など 入れてます。

 

金子成人脚本 堀川とんこう演出

 

原作は 清張さんの芥川賞受賞作

 

私は 高校生くらいの頃からかな 

家にあった 清張さんの小説を 

ぽつぽつと 読むようになりましたが

 

中でも 

この『或る「小倉日記」伝』は感動しました

これで決定的に 清張ファンになったと思います

 

 

ドラマは 1992年に亡くなった

清張さんの一周忌特別企画として

翌年、TBSで制作・放送されました

 

完全ネタばれごめん

    黄色い花

 

昭和十年・九州小倉

 

村上耕造 (筒井道隆)は

中学を優秀な成績で卒業したが

耕造には 生まれつきの脳性麻痺があった

 

母・ふじ (松坂慶子)と

亡くなった父が遺してくれた 家作を人に貸し

その家賃収入で ひっそりと暮らしていたが

 

ふじは 耕造の将来の為に

なんとか手に職を 付けさせたいと思うが

頭脳が優秀な 耕造は 

新聞記者への夢を抱いていた

 

しかし歩行困難をかかえ、言葉も不明瞭で

現実としては 

どんな職業に就くのも 難しい状態であり

 

これまで 

仕立て屋や 時計の修理屋などの職に就いたが

どれも続かなかった

 

そんなある日、中学時代からの親友の紹介で

この街一の大病院 

白川病院の院長・白川慶一郎 (蟹江敬三)の

個人の蔵書・三万冊の管理の職を得る

 

白川は 文学青年の集まるグループの 

パトロン的存在であり

芸術蔵書を 多く所有していた

 

やっと、耕造に適した仕事が見つかり ふたりは喜ぶ

 

耕造は 早速

雑然と並んでいた 膨大な書籍を

 

整理番号を付け、系統立てて並べ替え、目録を作り上げ

 

この耕造の才分と丹念さに 白川は驚愕した

 

あるとき、森鴎外の著書から

鴎外が明治32年から3年間、この小倉に在住し

その間の暮らしぶりを 日記に記したが

 

その「小倉日記」がその後、

行方不明になっていることを知った耕造は

自分のライフワークとして 

小倉での鴎外を 記録しようと思い立つ

 

この話に

真面目で純粋な耕造を 高く買っている白川は

全面的にバックアップし 

やがては 出版の約束をしてくれる

 

この「小倉日記」への 

思い立ちの 理由のひとつとして

耕造は 自分がまだ幼かった頃

 

隣りに住んでいた 「でんびんや」のおじいさんが

毎朝、腰に提げた鈴を 

ちりん、ちりんと 鳴らしながら出かけて行く

 

その鈴の音を思い出すたび 成長した今も

深い郷愁にかられるのだったが

 

鴎外も 小説『独身』の中で

「戸の外の静かな時、その伝便の鈴の音が

 ちりん、ちりんと急調に聞こえるのである」と

しみじみとした趣きで 書いている

 

この文章は 耕造の心を打った

鴎外の想いは 耕造の想いでもあったのだ

 

「でんびんや・伝便屋」とは

急ぎの手紙や 手荷物を運ぶ 使い走りのことで

当時は東京よりも早く 

西洋から小倉に輸入された 風俗のひとつであると

鴎外は書いている

 

その鴎外が 当時の小倉でどう過ごしていたか

何を想い 誰と交わっていたか・・

 

40年近くも前の関係者を辿って 

当地に赴き 調べるということは

体の不自由な耕造にとって 非常に過酷な作業であったが

 

鴎外の文献から 足跡を推測し

鴎外にフランス語を教えた ベルトラン神父をはじめ

ゆかりの人物を取材した

 

そんな耕造に

白川病院の看護婦・山田てる子 (国生さゆり)は

好意的に接してくれ

 

やがて たびたび耕造の家に来て

調べ物の手伝いを してくれるようになる

 

ふたりが A字ビスケットで遊ぶ シーン

 

「これは なに?」

「キャット、猫!」

 

「じゃあ、これは?」

 

耕造「あのう・・・」

てる子「うふっ、照れとるの?」

耕造「あのう・・Sがひとつ足りません」

 

それは耕造にとって  淡い恋だった

 

しかし てる子は あるときから 

突然ぷつりと 姿を見せなくなる

 

「てる子さんは 何故来なくなったのだろうね」

何かを悟った耕造が ふじに尋ねる

 

ふじが しぶしぶ答える

「耕ちゃんのお嫁にって、訊いてみたの」

 

「そんなこと、訊かなくても 答えは判ってるやないか!」

 

「でも、母さんは先に死ぬんよ、

 そのとき 耕ちゃんの傍に誰かいてくれたらと・・」

 

「でもそんなこと・・言わんでほしかった」

 

「ごめんね、ごめんね、耕ちゃん」

 

このことから 母子はいよいよ お互いに寄り添いあい

 

鴎外の調べに 献身的に尽くす ふじ

 

しかし 昭和十四年に勃発した

戦争が激しくなるにつれ

調べは ますます困難を加えて来た

 

世間は 明日の命も知れぬなか 

鴎外も漱石も あったものではなく

 

以前から 麻痺症状の進んでいた 

耕造の体は 食糧不足でさらに悪化し

昭和二十五年の暮れ

耕造は ついに寝床から起きられなくなる

 

そこへ届いたのは 鴎外の「小倉日記」が 

東京で発見されたという ニュースだった

 

つまり 耕造の調べ上げた「鴎外の小倉日記」が

日の目を見ることは 無くなったのだ

 

これをふじは 耕造に伝えることが出来なかった

 

ふと、耕造が 枕から頭を上げて 

聞き耳を立てる 仕草をする

 

「どうしたの?」ふじが訊くと

 

「すずの音が 聞こえる」

もう、ほとんど口がきけなくなっていた

耕造がはっきりと言った

それは

死にいく者が味わう幻聴のようだった

 

翌日、耕造は息を引き取った

 

後になって、ふじが語る

「あのことを 知らずに死んだのが 

 不幸なのか 幸せだったのか・・

 でもそんなこと どうでもいいことなのかも知れない

 鴎外のことを調べながら 

 耕造も確かに 自分も生きとったという

 自分の日記を 作っていたんやもん」

 

ラストは

黄泉の荒野を行く耕造が 森鴎外とすれちがう

イマジネーションのシーン

 

 

       黄色い花

 

いい台詞が多く 号泣してしまう場面もあった

 

 31回ギャラクシー賞優秀賞

 日本民間放送連盟賞最優秀賞

 放送文化基金賞優秀賞

    〃  演技賞 (筒井道隆)

 などなど、多くの賞を受賞しました

       黄色い花

 

耕造役の 筒井道隆さん (22歳)

この頃は トレンディードラマなどで

名の知れた俳優さんだったそうですが

 

私は初めて このドラマを見たとき

筒井さんを知らなかったので 

そのあまりに 見事な演技力にびっくりしました

 

       黄色い花

そして 母親・ふじ役の松坂慶子さん

原作では 

「その美貌には 一種の高雅さえ添えられているようだ」とあり

松坂さんはまさしく、それほど聡明で美しかった

 

       黄色い花

国生さゆりさんも 

ドラマ後半に 十年後の姿で登場しますが

とっても良かったです

       黄色い花

 

当時は NHKでも民放でも

作家や、俳優さん、監督さんなどの

「生誕〇〇年」「没後〇〇年」といった節目に

記念企画と銘打ち

見応えのある いいドラマを創っていたものです