お義母さんのすい臓がん その2 | LIFE IS FULL OF SURPRISES.

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妊娠と乳がんについて書いています。
いろいろありますが、すべてのことに意味があると思いたい今日この頃。

まずは「はじめに」をお読みください。

http://ameblo.jp/jasmine555/entry-12243315663.html

 

■お義母さんのすい臓がん その2

 

お義母さんのすい臓がん その1からの続きです。

 

結局、本人の希望もあり、うちの近くの病院に6月3日に転院できることが決定しました。
この病院は緩和ケアに力を入れている病院で、順番待ちもだいぶあったようなのですが、こちらの事情と診断書を提出したところ、順番を繰り上げて受け入れていただいたようです。(それだけ病状が悪かったとも言えるかもしれませんが)
先生も、看護師さんもとても良くしていただいて、本当に感謝しています。

 

お義母さんは歩くことができないため、この長距離の移動を新幹線にするか、車にするか、大学病院の先生達が検討した結果、6月2日の夜、看護師付き添いの民間救急車にて緩和ケアの病院に移動しました。
6月3日朝6時、転院先の病院に到着して、入院となりました。

 

緩和ケアに移行してからは、抗がん剤投与など、病気の治療は一切行いません。
痛み、苦しさなどは、投薬でコントロールしてもらうことができます。
この緩和ケア病院では、意識はなるべく最期まで保った上で、点滴などは最低限にして痛みをコントロールし、心拍や呼吸などのモニターも付けないという方針でした。
延命治療は行わないので、モニターを付けない方が、穏やかに最期を迎えられるからです。

 

転院してからは、毎日お見舞いに行っていたのですが、お義母さんの体は日に日に弱っていき、日々緩やかにいろんなことが出来なくなっていきました。
夜間に辛い時間が増えるようになって、私と、主人と、主人の妹と、お義父さんが交代で病室に泊まることにしました。
いつどうなってもおかしくない状態は1週間くらい続きました。
6月18日夜、妹家族が面会を終えて妹のご主人と子供達が帰ったあと、呼吸の状況が悪化、付き添っていた妹に「ありがとう」と言って、お義母さんは亡くなりました。
私と主人は夕飯を買いに出かけていて、その瞬間には立ち会えなかったのですが、直前まで意識もあり、穏やかな最期だったようです。

 

生前、お義母さんが元気だったとき、赤ちゃんについては一度も催促されたことはありませんでした。
でも、緩和ケア病院に入院してから、「はやくできると良いわねぇ」、「今度はあなた達の番ね(主人の妹には2人子供がいたので)」と何度か口にするようになりました。
今まで赤ちゃんについて一度も催促しないでくれたのは、すごく我慢しててくれたんだろうなぁと思います。
心配させたくなくて、2回の流産については両親、義両親ともに話してなかったので、余計に妊娠の気配がなくて心配だったのだと思います。
でも、ずっと言わないでいてくれたこと、とても感謝しています。そしてお義母さんが生きている間に間に合わなかったこと、本当に申し訳ないと思っているのです。

 

そして、この時は分からなかったのですが、お義母さんのすい臓がんのことは、私自身乳がんを宣告されたときにとても参考になったのは言うまでもありません。