母について、そして仕事でお会いする保護者のことばについて私見を述べます。
不快に思われる方がいるでしょうが、当事者として、支援者としての現時点での考えをまとめておきたいと思ったので、あえて文字化します。
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まずは娘の視点で。
「私の対応(=育て方)が悪かったんでしょ?」
「もっと違う対応した方が良かったんでしょ?」
母はことあるごとに言います。
私のことでも、弟妹のことでも。
「母親が私じゃなかったら良かったね」
と言う事もありました。
これを聞いて、心が穏やかでいられる子どもはいないと思います。
「もっと違う人生にしたかった」と思う事はあれど、両親の存在を否定する事は自分の存在も否定する事になります。
親にそんなことを言われて
「そうだね」
と返す子どもは・・・いるでしょうか?
私の母に限って言えば、
「そんなことないよ」
という返事を期待しているのを感じます。
なぜなら、私が返事をする前に
「だって仕方なかったんだよ。一人でやらなきゃいけなかったんだもん」
と続くからです。
本当に申し訳ないと思うなら、
「うまくできなくてごめん」
とだけ言えばいいのではないでしょうか?
言い訳をする=保身のため と思うのです。
とはいえ、「そうだね」と思う部分がありながら言えない私は「わからない」と答えることにしています。
肯定も否定もしない。
この真意に母は気づいていないでしょうが。
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次にSTの視点で。
保護者の中にも、似たようなセリフを放つ方がいます。
プライベート以上に「そうですね」とは言えません。
というか、不思議と対保護者にはあまりそう思う事がありません。
そこにたどり着くまでの話の内容で、保護者が懸命にお子さんに対応してきたと感じるからです。
もちろん、かなり身勝手な保護者もいます。
「この子さえいなければ」とお子さんの前で言い切った方がいました。
「恥ずかしい思いをした」と主語の【わたしが】を消した方も。
私は肯定も否定も絶対しません。
「この子さえいなければ」と言う方には、
「お子さんの前で口にすることは絶対にやめましょう」
とお伝えし、
「恥ずかしい思いをした」と言う方にも、
「つらかったですね。でも、お子さんの前では堂々としていてください」
とお伝えします。
そして必ず
「でも、思うことは自由だと思っています。そのこと自体はいいか悪いかは考えなくても良いのでは?どうしても言葉にしたい時は、私でよければ聞かせてください」
と付け加えます。
そんなことを考えちゃいけないことは、きっと保護者もわかっている。
でも言わないと、言葉にしないといられないくらいツラかったのではないか・・・
独身の私はそんなことくらいしか思いを馳せる事ができません。
冷酷に聞こえるでしょうが、保護者支援の場で温かい言葉を言えるのは、所詮「他人事」だからだと思っています。
支援者が対象者の人生をすべて背負うことは不可能です。
支援者にできるのは、対象者が主体的な人生を送れるようにすること。
どんなに頑張っても、私にも「他人事」な部分がゼロではないと思います。
その戒めが頭から消えたら、STとしてはサイテーになるだろうな・・・と。
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他人(特に患者さん)なら相手の心情を慮ったコメントができるのに、母にはできない。
ものすごい矛盾です。
ものすごく自分が嫌になります。
母に期待している自分。
母の努力や苦労を認めない自分。
素直に感謝を抱けない自分。
自分の思いを正当化したい自分。
血のつながりの難しさを感じるからこそ、当事者として患者さんの保護者に「参考意見」をお伝えしていきたいと思っています。
完全な自己満足です。
親が子どもを第一に考えるように、子どもも何があっても親が好きで大切です。
どうか世の中の親子が素敵な連休を送れますように。
・・・全然まとまらなかった・・・