今回の安倍晋三元総理の殺害(暗殺?)に接し列島、否、世界に激震が走っています。

 

また。当日の早朝の夢に安倍さんご夫婦が出てきて、何かを訴えていました。ただ、寝たりなさを感じていた私はもう一寝入りしようと横になり、11:30ころ再び起きてスマホのヤフーニュースを見ると「安倍元総理襲撃され病院に搬送された」との一報が目に入ってきました。そこで、すかさずテレビのスイッチを入れると、選挙遊説中の安倍元総理が銃撃されたと報じられているのを知り愕然。そして、パソコンを立ち上げ、眼鏡と拡大鏡をかけたとき突然、「ポキッ」という音とともに拡大鏡の枠が折れました。この瞬間「あっ、逝ったな」と悟りました。

 

ところで、私と安倍元総理とは特殊な関係にあり、互いの実家を近所にし(山口県旧大津郡日置町)ていますが、その理由は約800年前に、平家方の松浦水軍の棟梁の娘を娶っていたことから平家滅亡後、頼朝ににらまれ、その迫害を恐れて肥前国から現在の長門国(山口県)に落ちた(我家が匿った)ことにあります。

 

そのため、代々、日置の大庄屋(現在の村長ないし町長)を我家と交互に任じ、実際、祖父・安倍寛村長のときの助役は私の祖父が担うなど、密接な関係にあります。

 

それどころか、安倍さんの始祖・安日彦と我家の始祖・長髄彦(素戔嗚の玄孫・建御名方神)は兄弟の関係にあります。

 

ちなみに、約1300年前、長髄彦の後裔で最後の高句麗国王だった東明聖王・朱蒙が兄の第二十九代欽明天皇(広開土王)とともに帰朝した際、我家(長背王)は連(むらじ=大臣)の姓(かばね)とともに、現在の山口県長門市日置町に知行地を得ました。

 

また、鵜芽葺不合天皇で邪馬台国国王だった、縄文先住民=カタカムナ人長髄彦は磐余彦と天皇の地位を争い、最終的には話し合いで(国譲り神話)政体(天皇)を磐余彦(神武天皇)とし、長髄彦は國體(裏天皇)側の日乃本族として大陸に渡り、長髄国をスキタイの本貫である中央アジアに作り、徐々に東遷して高句麗、そして「髄国(支那)」を作って北方の脅威を取り除きました。「明国」の初代皇帝・朱元璋、「清国」「満州国」皇帝・愛新覚羅氏も長髄彦の後裔で、実際、私の父は愛新覚羅溥儀と顔が酷似し、満州で甘粕正彦とともに特務機関として活躍しました。

 

その日乃本氏が定住した地として山口県西北部を「日置」と呼びます。

 

そういう意味で、我家と安倍さんとは深い縁にあり、総理就任前まではご自宅にお邪魔していたものです。第二次安倍政権の末期には「ロシアには気を付けた方が良い」との私の忠告が原因で距離を置かれていましたが、あと10年は活躍されることを期待していた私としては痛恨の極みです。

 

ただ、これで安倍さんの悲願だった憲法改正は確実になったと思われます。

 

それと、殺害犯人は「安倍さんが統一教会と関係があるから」と殺害の理由を供述しているようですが、統一教会の文鮮明は國體派笹川良一(有栖川熾仁親王の玄孫)の息子で、現在の統一教会の実質トップは鳩山由紀夫元総理(笹川良一の息子)で、主に中南米にてモルヒネの原材料であるアヘンの密造を担当しています。同じく國體工作機関である創価学会(総裁は明治維新の画策者・久邇宮朝彦親王、初代会長の牧口常三郎は笹川良一の叔父、主な役割は國體資産の管理・運用)とともに、自民党が国際金融勢力側に偏らないよう監視するため、同党と密接な関係にあるのです。

 

また、今回の「安倍元総理暗殺」には複雑な背景がありますが、今はまだ語るべき時期ではないため沈黙しておきます。

 

とまれ、安倍さん、本当にお疲れさまでした。ゆっくりお休みください。今はただ、ご冥福をお祈りいたします。さようなら。