1,先住縄文人のルーツについて

 

  古代インドのウパニシャド哲学や仏教、神道などの世界の宗教の基になったといわれている世界最古の「カタカムナ玄学」について解説します。

 

 「カタカムナ」とは「宇宙創造のメカニズム=神」という意味ですが、「カタカムナ物性哲学」では、人類がこれまで成し遂げられなかった「神(カミ=カム)」の存在証明ともいうべきメカニズム、すなわち、万物万象を生成させている「エネルギー」と、そのエネルギーの媒質や生成物である「素量子、量子」、これらに規則性あたえている「法則」が”三位一体”的に、幾何学的な図象文字で書かれた詩文を通して語られています。

 

 そういう意味で、カタカムナにおいて「神」は”人格神”的なもの(一神教)ではなく、あくまで「規則性を持った媒質とエネルギーの振る舞い(多神教)」です。

 

 この「三位一体」の発想は、日本神道の「造家三神」や、後年のキリスト教の「三位一体説」にもみられます。

 

 が、その起源はかなり古く、縄文土器・土偶研究家の渡辺仁氏によると、紀元前3200年ころ、長野県下伊那地方の諏訪大社周辺に「勝坂文化」という縄文文化があり、近辺から出土した人面深鉢土器には、逆方向の二つの円を両端につけたゆるやかなV字型のモチーフと、その真ん中に一つのスパイラルが下りている”三単位モチーフ”が施されているということです。

 

 また、諏訪大社の土着信仰である「ミシャグジ信仰」に「御室神事」という同社古来の神事があります。12月22日に御室という茅葺屋に大祝(おおほうり)という幼童の現人神、御笹を依り代に降りて来るミシャグジ神、三体の蛇(龍蛇神)で現れるソソウ神が入り、三か月間過ごしたのち、春に大祝が新しい穀物霊として御室からでるという神事で、”三位一体”を象徴しています。

 

 因みに、系図研究家・宝賀寿男氏の研究によると、諏訪(神=ミワ)氏は素戔嗚(スサノオ)後裔・事代主(コトシロヌシ)尊の弟・長髄彦(私の祖先・建御名方神)の後裔とされており、その分流・滋野(海野)氏を始祖と称する真田氏も長髄彦後裔の先住縄文人「カタカムナ人」です。なお、北部九州から東遷してきた磐余彦(のちの神武天皇)の出身部族・安曇氏はのちに諏訪氏に合流しますが、安曇氏のルーツも「アマ族=カタカムナ人」であることは、『世界は日本のカタカムナ文明から始まった』のところhttps://ameblo.jp/japmasa778/entry-12714715936.html で述べました。

 

 さらに、前出の渡辺仁氏によると、”三単位モチーフ”が施された縄文土偶と、旧石器時代に拡がったシベリアのアムール川下流域の母神女神像に類似性があり、両者は同じ妊娠・出産、さらには家神信仰の流れを持つことを検証しています。

 

 一方で、比較神話学者の大林太良氏によると、「三位一体」の発想はインドネシア諸民族にもみられ、また、民俗学者の岡正雄氏によると、縄文前期から中期まで関東地方でみられる乳棒状石斧や石臼、高床倉庫で使われた切妻家屋などの文化要素がニューギニア、メラネシアの古い文化と著しく類似していることを指摘しています。

 

 このようなことを考えると、日本列島には旧石器時代にアムール川下流域からやってきた狩猟文化(アイヌ文化?)と、黒潮に乗って南方からやってきた海洋文化が混在していた可能性が窺われますが、問題はこの南方が何を指すのかです。

 

 この点については、ニュージーランドの原住民ワイハタ族のシリウス伝承や竹内文書などに記された「ムー大陸説」、琉球大学名誉教授・木村政昭氏の「琉球古陸説」など様々な見解があります。

 

 しかし、目下、有力視されているのが、その人骨に特有歯形から、「ムー大陸」をタイからインドネシアにかけて紀元前3万年ころに存在したとされる「スンダランド」ととらえ、スンダランド人の北上をもってモンゴロイド、そして”縄文海人族”とする見解ですが、詳細は別稿に譲ります。

 

 

 

 

2、「カタカムナ文書」について

 

 さて、話を「カタカムナ」に戻しますが、「カタカムナ玄学」が書かれた「カタカムナ文書」は、1949年(昭和24年)に、兵庫県六甲山系金鳥山付近で大地の電位測定の為の調査を行っていた山口県出身(祖父が吉田松陰の弟子)の天才物理学者・楢崎皐月(ならざきこうげつ)によって発見された世界最古の哲学書・物理学書といわれています。

 

 

 楢崎は、山中で「平十字(ひらとうじ)」と名乗る猟師風の男性に出会い、楢崎を気に入った平が、彼の祖先から大切に受け継いできたという「カタカムナ神社」の御神体の巻物という文献を見せたという。これを見た瞬間、楢崎は、道教寺院の「蘆有三(ロウサン)」という道士から聞かされていた、上古代に日本に存在したという「アシアナ族」の八鏡文字(ハッキョウモジ)ではないかと直感。

 

 そこで、平にその巻物の書写を願い出ると平はそれを許可、それから平は金鳥山の楢崎が居住する穴倉に御神体を毎日持参し、書写を見守ったという。この時、写し取られたモノが「カタカムナ文書」で、その後、敗戦とともに日本に帰国した楢崎は研究を重ね、古事記その他の古文献を参考にしてカタカムナ文字の解読に成功します。

 

 「カタカムナ文書」が数万年以上前の旧石器時代に書かれた世界最古・最高の文献とされる理由は、古事記、日本書紀以前の竹内文書等の古史古伝が、せいぜい1〜3万年前の先史以降の天皇家を中心にした歴史を、各豪族の家伝という形で記録したもの過ぎないのに対し、「カタカムナ文書」においては歴史の記述らしきものがほとんどなく、宇宙論や生命哲学、さらには核分裂や核融合、反重力や電磁力などの自然科学の記述にまで及んでいるからです。

 

 加えて刮目すべきは、竹内文書などの古史古伝がアヒル草文字などの「神代文字」で書かれているのに対し、カタカムナ文書では幾何学模様の「宇宙文字」のような独特の「図象文字」が使われていることです。この文字は、1万年以上前にいた、時空を超えて姿を表したり消したりできる”仙人”「アシアトウマン(蘆屋道満?)」によって書かれたと言われており、楢崎が山中で出会った「平十字」もアシアトウマンではないかと推測されます。

 

 カタカムナ文書に書かれた八十首の「ウタヒ(歌詩)」に書かれた図象文字は、大円と小円、縦線と横線、十字で構成されていますが、このうち縦線(|)は潜象のカムナの力(意思)を、横線(ー)は創造のアマウツシを、十字(+ないし卜)はこの二つの力の重合のカムウツシを、小円は宇宙に遍満するマリ(素量子)を、大円はカムナの力が現象界に発現して、あるマトマリをもつことを、半円は半物質(プラズマ)をそれぞれ表現しています。

 

 確かに、生物としての人類の人骨は、約二十万年前のものがアフリカで発見されています。しかし、カタカムナのような文書は世界に類を見ませんし、日本では世界最古の旧石器も発見されており、カタカムナ文書が突出して古いもの、すなわち、地球外文明にかかわるものではないかと推測される所以です。

 

 この「カタカムナ文書」は目下、所在不明とされていますが、仄聞するところによると、カタカムナ人長髄彦の後裔にあたる長国造がいた阿波国剣山か、三輪神社あるいは諏訪大社にあるとされています。

 

3、楢崎皐月と國體科学者秘密結社”科成会”

 

  ところで、戦前の満州には日本を代表する英俊が集められ、國體科学者秘密結社”科成会”を作って様々な研究に従事、楢崎はその最高責任者となって、東条英機によって(?)予備役にされたといわれ、「東亜連盟」を作って活動していた石原莞爾、電磁波兵器の開発に従事した神坂新太郎、ナチスドイツのライン・ホルト博士やヨハン・カムラー技術大将らとともに秘密兵器開発に従事します。

 

 

 

 昨今、世界を混乱させている「新型(武漢)コロナ」などの細菌兵器開発に、石井731部隊とともに楢崎が関わっていたかは未詳ですが、外科手術や傷病者続出の軍にとっては必須のアヘンを原料にしたモルヒネ製造で巨万の富を築いた「星製薬」の星一と親交があり、星から今日のCTやMRIの元となる電気針の開発依頼を受け完成させたことからすると、関与していたとみる方が自然です。

 

 このほか、航空機エンジンに霧状の水を混ぜる水素燃焼エンジンを開発しゼロ戦に搭載したり、航跡が現れず敵に発見されにくい酸素魚雷などを開発しました。

 

 終戦後、満州から撤収した星は、アヘンの製造地をナチスドイツの入植地が多い南米に移し、笹川良一(統一協会の文鮮明は笹川の息子)とともに密かに活動を続けます。

 

 

 一方、楢崎は星から「重炭素」の研究を依頼されますが、これは以前、道教寺院の「蘆有三」に見せられた”瞬間沸騰する鉄瓶”を作るためで、普通の炭素では鉄と融合しないからです。

 

 楢崎らは、このほかにも敵に察知されない世界最高性能のソナー(潜水艦の音波探知機)や絶縁オイル、人工石油、人工黄金、さらには荒地を掘って炭素を埋設、土地の損傷部位に集まる電子を利用した電位差発電や荒地の耕作地化などを成功させます。

 

 実際、楢崎は実験を重ね、竹、木、泥を焼いて粉にし、ミトロカエシ槽で熟成したコロイド状のゲルをまぜて、正四面体を三つ重ねたミソデの形に密着させたら、見事に発電したと証言しています。

 

 楢崎は、これらの技術を日本経済の基幹となる國體企業13社に無償で提供し、戦後の日本社会経済の急成長に大いに貢献しますが、原子力発電所の開発も含まれています。

 

 原子力発電所の開発は電力供給をその目的の一つにしていますが、最大の目的は、その結果生成される核兵器燃料の利用、つまり、「原爆の開発」ですが、これには私の母方の血縁者で”智慧伊豆”こと川越藩主・老中・松平伊豆守信綱の子孫・理化学研究所所長の大河内正敏も関わっています(東大総長・大河内一男も同じ)。

 

 そして、楢崎は1974年7月31日没とされていますがこれは偽装死で、アラスカに向かい地球の発する電磁力をエネルギーとして活用する「HAARP計画」の技術最高責任者となったと仄聞しています。が、同時に姿を消す直前、放射線を消す周波数を出す装置を完成させ防衛庁に無償で納入しました。

 

 

 なお、カタカムナ人は平均120歳まで生きたといわれています。それは無理な労働をせず、周り(ハタ)に木の実や天然穀物が生えている土地に住んで、たまに狩りや釣りをしたり、気楽(ラク)をしてきた一方で厳しい氷河期を迎えても、温暖ながら災害の多い火山列島たる日本の気候環境の中を生き抜くうちに直感や感性が研ぎ澄まされ、カタカムナ玄学が完成した(感受)と推測されます。 

 

  また、この辺りが、古代の日本において土木建設、養蚕業などの産業を興した「秦氏(ハタラク=端を楽にする)」や、急峻な山岳地帯で生き延びた「役行者(えんのぎょうじゃ)が、カタカムナ人ではないかと思われる所以です。  

 

4、カタカムナ宇宙生命論 

 

 いよいよカタカムナ玄学の中身に入りますが、まず、楢崎皐月が残した『静電三法』や宇野多美恵『相似象学』によると、宇宙は「現象世界(目に見える世界)」と、「潜象(せんぞう)世界(目に見えない世界)」の二重構造をしており、潜象世界は現象世界の背後にあって両者は重なり、現象世界は潜象世界から生まれているとします。 

 また、地球が存在する宇宙は球状をなした有限で、宇宙球の外側には無数の宇宙球があり、大宇宙は無数の宇宙球で構成されており、一つの宇宙球の中に私たちが住む銀河系や太陽系が存在しています。 

 このように宇宙の構造は「大宇宙、宇宙球(天体)、小宇宙(人間)」で形成されており、さらにこれら一つ一つの宇宙球を構成する万物万象にも“大宇宙の意思”ともいうべき始源エネルギー「カムナ」が注がれています(カムウツシ)。

 一方、「アマナ」とは、「イカツミ(電)・マクミ(磁)・カラミ(ねじれ力)」からなる超極微素子「マリ(ミツゴマリ)」が遍満する「量子ポテンシャル界」のことで、そこに電子、原子核、陽子、反陽子、中性子、中間子、クォークなどの目に見えない物質、反物質、プラズマなどの半物質などの素量子(アマノミナカヌシ)を生成させ、さらに、生命体の発生(タカミムスビ)、生命力の発生(カムミムスビ)、細胞分裂(マトマリ)をも盛んにします(アマウツシ)。

 

   この素量子生成メカニズムは、一方の「粒状(結球性)マリ」が、正電気的、陰電子的で右回りの渦をなす「サヌキ(イザナギ=男性)」性を帯びているのに対し、他方の「波状(微分性)マリ」は、反電気的、陽電子的で左回りの渦をなす「アワ(イザナミ=女性)」性を帯びており、両者が”対向発生(フトマニ=マニ思想の起源)”して陽と陰(正と反)になり、そこにカムナのエネルギーが入って”互換重合(ミソデホト)”し、万物万象として現象界に出現します。 

 

   平たく言えば、今、刺身を作るとして、やる気と技を持った板前が、包丁を持ってまな板の上にある魚をさばこうとしているとすると、やる気が「エネルギー(カムウツシ、アマウツシ)」、技が「法則(フトマニ、ミソデホト」、包丁とまな板と魚が「エネルギーの伝達媒質(ミツゴマリ)」、できた刺身が「万物万象(カタカムナ)」といったところでしょうか。

 

 このように、宇宙球の外側のカム無限世界と宇宙球内の万物万象は共振によって相似象(フラクタル)をなし、現象化することで時間性と空間性を帯びます。宇宙球には、マリの遍満した潜象世界があり、その中心に渦巻き状のマリの密度の高い部分ができますが、これを「フトヒ」といい、フトヒとカムナが共振し、核であるフトヒから八方に恒星が正反の釣り合いをもって対抗発生、互換重合し、銀河系、超銀河系などの天体宇宙ができます。 

 宇宙球は、膨張したり収縮したりはしておらず(“ビッグバン”は誤り)、統計的に一定の大きさが保たれていますが、常時、一定の法則「マワリテメクル」にしたがって「対抗発生」と「互換重合」、そして「互換分離」と「対抗消滅」を繰り返しているのです。 

 

5、太陽の実相と「電磁力ねじれ宇宙論」

 

 なお、「ヒビキ(波動)」は時間の”相転移(一種の状態変移)”によって生まれた「時間結晶」で、「空間結晶」である粒子とともに同一の時空(反宇宙)が正反対に畳み込まれ、“入れ子構造”をなしています。

 

 実際、太陽の黒点に観測機を突入させたところ、しばらく分厚いプラズマ層を通過し、さらにコア(核)にも突入させたところそこはブラックホールになっており、そこを通過すると突如、巨大な空間のど真ん中に観測の中心が出現するなど、無限の”入れ子構造(フラクタル宇宙構造)”をなしているとの秘密実験の報告がなされています。

 

  ”入れ子構造(フラクタル宇宙構造)”とは、巨大な宇宙空間の中に遍満する一つの天体の中に入ると、再び無数の天体が遍満する巨大な宇宙空間が現れ、この連鎖が永遠に続いているということです。このイメージは一点から全体が現れ、全体は一点に収れんする「太極図」によって表されていますが、仏教ではこれを「一即一切、一切即一」ないし「一即多、多即一」ともいわれます。

 

 

 つまり、太陽はプラズマ(電気を帯びたガス)に包まれた小さなコア(核)に過ぎず、太陽表面の黒点(500℃)より太陽フレアの方が温度が高い(6000℃)ように、中心から離れるほど高温を発しているのもプラズマの光が起こしている現象であるという説もあります。このことは地球をはじめとした他の天体についても当てはまり、媒質が岩石かガスか水素(地球)かの違いがあるだけなのです。 

 そして、それぞれの天体は、それぞれの天体コア同士が電磁力線の渦巻運動によって結ばれています(電磁力ねじれ宇宙論)。これが地球をはじめとした太陽系の天体が、太陽の周りからつかず離れず、太陽の自転力に引っ張られる格好で公転しているメカニズムです。 

 

 ちなみに、天体の自転は「右手握りの法則(フレミングの右手の法則も同じ)」で分かるように、地球でいうと北極から南極に向かって流れる電気に対し、90度の角度で発生する磁力線(ローレンツ力)によって生み出されています。

 

 

 

 なお、火星の表面にある、ナイアガラの滝をはるかに上回る巨大な”ひっかき傷”は、過剰な電子によって天体から放電され、宇宙空間に漂う「ビルケランド電流」の衝突によってできたもので、日本海やオホーツク海、ベーリング海なども同じメカニズムでできたものと言われています。

 

 

 このようにしてできた宇宙には、次のような特徴があります。

 

❶万物万象は正反が共振共鳴して相似象的に作られ存在している(仏教の中観説)

 

❷正反は親和し、同種は反発する(電磁力の発生)

 

❸あらゆるものは、固定したものではなく、確率論的(量子論的)存在である(ゼロポイント場=量子ポテンシャル)

 

❹あらゆるものは渦巻運動をしている

 

❺七の周期性があり永遠の循環性がある(仏教の輪廻思想)

 

❻あらゆるものに粒子性(結球性)と波動性(微分性)がある(量子重ね合わせ状態)

 

❼粒子になるか波動になるかは観察者の意識が決める(観察者効果=仏教の唯識説)

 

❽さまざまな性質や現象は同時に重なって発生し、宇宙にあまねく遍在できる(量子もつれ状態=非局所性)

 

 このように、すべて万物万象は、松果体を通じた「ヒビキ(波動)」によって生滅するため、カタカムナ物性哲学では、カタカムナ文書に書かれた八十首の「ウタヒ(歌詩)」を暗唱して直観と感性を磨くことで気(波動)の乱れを正し、あとは”ありのまま”に委ねることが一つの願望実現のカギとなるのです。

 

 

6、カタカムナ玄学と神道と國體  

 

 では、以上のカタカムナ哲学は、日本の「神道」にどのように反映されたか、さらにはそこから導かれる日本特有の国家観である「國體」とは何かを、「記紀」の内容も参考にしながら説明してみます。

 

 

 まず、「三種の神器」のうちの「八咫鏡」は、鏡を見ている自分(内側)と映し出される自分(外側)という二元性を表しており、神道概念の「ムスビ」に当たり、「あらゆるものが対を成す関係性の中にある」ことを意味します。

 

 次に「草薙剣」は、「人間の意識があらゆるものの原点であり、秩序を形成している」ことを表しており、神道概念の「ククリ」に当たります。

 

 最後に「八尺瓊勾玉」は、一点から発して球体を為す形をし、球の真ん中には穴がありますが、これは個から全が生まれ、全は個に帰る旋転の繰り返しを意味しています。

 

 参考までに以上を仏教に対応させると、「八咫鏡」は「縁起」ないし「中観(ちゅうがん)」に、「草薙剣」は「唯識(ゆいしき)」に、「八尺瓊勾玉」は「空(一即一切、一切即一)」に当たります。

 

 

 これらに関連して日本書紀では、国家統治の理念として、「積慶」「重暉」「養正」の三位一体(=八紘一宇)としていますが、これは「ホツマツタエ」でいう「卜(うらべ)の教え」「鏡の教え」「鉾の教え」に当たります。

 

 一方、古事記の「天孫降臨」神話は、天地(宇宙ないし自然)の中に神が生まれたとします。「記紀」では「天御中主」が最初の神ですが、「竹内文書」等「記紀」以前の古文書では「元無極躰主(母止津和太良世)」から始まり、数代後に「天御中主」、更に「三貴子(天照、素戔嗚、月読)」が生まれます。

 

 ともあれ、ユダヤ・キリスト教などの一神教では、「宇宙の創造主」である神は人間を超越する者と捉えるのと違って、神道では自然(宇宙)を構成する万物(人間を含む)の中に神が宿るとするため多神教となり、また人間の外側(外在神)だけでなく内側にも神が宿る(内在神)とします。

 

 この結果、神と人間はもちろん、あらゆる万物は対立することなく連続して存在し、神と天皇と人々が一体化して構成された大家族(国家生命体系)こそが「國體」であるとします。また、「外在神=他力本願」、「内在神=自力本願」を意味することから、日本においては仏教も独自の進化を遂げます。

 

 ちなみに、古事記のもう一つのテーマ「国譲り」神話では、「大和」と「出雲」という対立する国家が、話し合いで統合され、「大和」が政体(表)を担い(「治らす」しらす)、「出雲」は國體(裏=祭祀)を担う(「頷く」うしはく)とされます。

 

 実際、中世以降の日本では、商家が長屋を住民に貸して対価を糞尿でもらい、それを農家に持ち込んで堆肥として活用するという循環システムが出来上がっていました。川に流していた欧州などとは異なり、日本では世界で唯一、糞尿を農業に使う等の「皇道経済」が成り立っていたのです。

 

 

 このような循環システムの思想と仕組みは、「違いを認めつつ一つを自覚する」という多神教的価値観の下、他人と競争するのではなく、それぞれが個性を発揮して、「生かし、生かされ、あるがままに任せる」という「共創分業社会」が、日本に古くから定着していたことを物語っています。

 

 この点、タントラヨガの世界的指導者であるP・サーカーは、資本主義、社会主義を超えた、人間中心ではなく生態系が中心の、経済至上ではなく霊的生命を至上とした非営利協同組合が運営する家族的でホリスティックな協同経済システムを提唱していますが、これこそ正に「皇道経済」に他なりません。

 

 一方、「神」「愛」などの価値観に基づく論理で物事を制御し、短期的な結果を求めるのがキリスト教的欧米思考(雄牛神…使役)ですが、あるがままに任せて物事を制御せず、直感的に長期的な変化を感じ、受け入れるのが仏教、道教、神道などの東洋的発想(龍蛇神…流れ)です。

 

 また、キリスト教的な欧米思考では、「無償の愛」などを絶対的価値として自分の外側に設定しますが、仏教、ヒンヅー教、道教、神道などの東洋的発想では、「宇宙は曖昧な空」で、それゆえに様々な価値観をありのままに尊重します。

 

 しかし、それは、「すべては自分の意識(今ここの意識)によって創造される(唯識)」、あるいは「すべては因と果や、内と外、陰と陽などの関係で成り立っている(中観)」からだとします。神道ではこの意識を「中今(なかいま)意識」といい、この創造原理を「ククリ」、関係原理を「ムスビ」、といいます。

 

 その由来は、記紀(古事記・日本書記)に出てくる「神産巣日神(かみムスビのかみ)」「高御産巣日神(たかみムスビのかみ)」、あるいは白山王朝の祖神「菊理(ククリ)姫」です。ちなみに、この「白山菊理姫」は、富士王朝の祖神「木花咲耶姫」と統合され、男神「アマテル」の妻「瀬織津姫」になります。