おかげさまでこのブログも連日アクセス数がすさまじい勢いで1000件を優に越え、皆さんが「今後、世界はどうなるんだろう?」との不安を持っていることがわかります。

 

 

(1)シンギュラリティによる需給ギャップの急拡大

 

さて、シンギュラリティで生産設備の機械化、ロボット化が加速して“限界費用ゼロ社会”に向かい、供給能力が急激に高まる結果、失業者が急増し、可処分所得が激減します。

 

さらに、日本をはじめとした先進国はもちろん、中国、韓国などでも急速な高齢化が進んで需要が減退。加えて、メルカリなどのフリーマーケットを使って個人間で中古品の売買をしたり、複数人で新品を購入してシェア(共有)したりする「モノのインターネット(共有型経済)」の発達で新品需要が縮小、この結果、需給ギャップがさらに急拡大します。

 

確かに、今後期待される常温核融合発電装置や食料の自家生産設備などの普及で、一部の製品について“地産地消”を越えた“自産自消”が拡大することが予想されますが、例えば、家電製品や自動車、ましてやPC、スマホなどの高機能製品の自家生産までは不可能です。

 

しかし、発生が予想される巨大な需給ギャップを放置すれば、生産と消費を支えた資本主義自体が成り立たなくなり、文明社会自体の崩壊にもつながりかねません。

 

ただ、正確には、“失われた20年”と言われたバブル経済崩壊後のデフレ脱却を目指して進められた「アベノミクス」も、需給ギャップ解消を目指してきました。

 

これにより、確かに戦後最長と言われる“いざなぎ越え”が実現し、東京オリンピック効果もあって一定の安定軌道に乗った印象はデータによって確認できます。

 

しかし、このデータは一極集中が進む東京などの大都市圏周辺の成果を全国的に均した数値であって、地方経済においては依然人手不足もあって深刻な不振が続き、今後、これに”コロナショック”と新たな“シンギュラリティ・ショック”が加わります。

 

アベノミクスの効果が地方や末端企業にまで十分浸透しなかった理由は、政策の中心が従来型の金融政策中心だったことにあります。どういうことかというと、日銀が金融緩和策を実施して「マネタリーベース(ハイパワードマネー)」を拡大しても「マネーストック(マネーサプライ)」、すなわち、市中銀行からの貸し出しが増えないからで、その最大の理由は、企業が潤沢な内部留保を有し、今さらカネを借りる必要がないことにあります。

 

こうした状況の中、いかにして失業者を救済し、一定量の需要を維持、喚起するかが真剣に議論されており、そのうちの一つが「ベーシック・インカム(最低所得給付制度)」ですが、問題はその財源論で、これは金融制度と深く関わるテーマです。

 

(2)通貨と金融制度の仕組

 

ところで、貨幣が生まれる前の人類は食糧をはじめ生活に必要なものは自ら調達するしかありませんでしたが、やがて他の集落との間で物々交換を始めます。

 

しかし、相互に欲しいものをもっていなかったり、交換するものの間に著しい価値の差がある場合には交換が進まないので、このような不便を解消するため考えられたのが貨幣(原始貨幣)です。

 

当初は貝や鼈甲(べっこう)などが用いられましたが、価値の安定性や長期の保存を可能にするものとしてやがて金、銀、銅などが用いられるようになり、それも取引の度に地金(じがね)を秤量(ひょうりょう)することが煩雑なため、金、銀、銅を一定の形、大きさ、重量に鋳造して用いるようになります(秤量通貨)。

 

このような金や銀の価値と同等の表記額面を持つものを「正貨」と呼びますが、取引規模が拡大すると金や銀が不足し、また流通に伴って摩耗するため、この正貨、ないしは銀行に保管された金や銀(地金)などとの交換(兌換…だかん)が保証された債務証書の意味を持つ「通貨(本位貨幣)」が生まれます。

 

通貨にはしばらく金属が用いられましたが(鋳造貨幣)、やがて金、銀をまったく用いず、さらに軽くて薄いうえ、いくらでも表記金額を作り出せる「紙幣」が誕生します。

 

この背景は17世紀の英国で金細工を生業にしていたゴールドスミスという職業人がいて、彼らは黄金を扱う関係で頑丈な金庫を持っていたため、金(黄金)の保管を委託されるようになります。その際、「ゴールドスミス・ノート」という預かり証を発行し、それが徐々に価値を帯び、今日の紙幣になりました。

 

さらにゴールドスミスは、金の委託とは関係なしにゴールドスミス・ノートを貸し出すようになり、これが預貸業務を基盤とする「近代銀行業」すなわち「金融システム」の始まりと言われています。

 

しかし、19世紀に入って国際決済が活発になると現物の金(黄金)のやり取りが増え、20世紀に入ると世界の中央銀行が米国ニューヨークに集中した結果、金の過剰な米国集中を原因とするインフレや金融危機が頻発し、1931年に金が枯渇した英国が金本位制から離脱したことをきっかけに各国もこれに続き、1971年には米国もドルと金との交換を停止、世界は「金本位制」から、中央銀行が金の保有量に関係なく物価、雇用、国際収支の安定を目指して通貨発行量(マネーサプライ)をコントロールする今日の「管理通貨制度」に移行しました。

 

したがって、現在の通貨には金や銀などの地金と同等の価値はもちろん、地金との兌換の保証もない、発行国の経済力、軍事力、政治力を背景とする曖昧な「信用」が価値の裏付となっている”軍票”に過ぎません。

 

 

この結果、世界の金融資本市場には、各国の思惑で大量の通貨(不換紙幣)が出回り(過剰流動性)、世界経済を不安定化させているのは周知のとおりです。

 

例えば、世界の1日の総生産額は約20兆円ですが(2012年、1ドル=100円換算)、金融取引の代表例である外国為替取引の1日の取引額は667兆円(2013年、1ドル=100円換算)で、これに金融派生商品のデリバティブを加えると1日の取引額は1000兆円を越えるといわれています。

 

今後、後述するような新しい通貨、金融制度に移行するにあたって、世界の金融資本市場に出回ったこのような過剰流動性(ドル)を回収するために、米国は高金利と、タイミングを見計らったインフレ政策を通じてドルの回収(廃棄)を進めることが予想され、同時にそれに伴ったリーマン級の激震が再来すると囁かれています。

 

(3)貨幣発行権益とベーシック・インカムの財源

 

ところで、私は長い間、冒頭に述べたように、社会主義(共産主義)と違って、理論上は効率的で公平な社会を実現するはずの資本主義自由競争経済が、なぜピケティのいうような巨大な経済格差を生み出しているのか、その論理的な根拠を見出すことができませんでした。

 

しかし、既にみてきた経緯から、貨幣には、❶価値の尺度、❷物との交換手段、❸価値の蓄蔵手段、という機能がありますが、管理通貨制度に移行することで、金や銀の裏付けのない大量の紙幣が流通するようになって、貨幣には、❹国家の信用を担保とした支払い手段、としての機能が付加されました。

 

この結果、以上のような金融制度(管理通貨制度)の下、中央銀行とその傘下の金融機関が、「通貨」という名のただの“紙切れ(あるいは帳簿上、口座上の数字)”を大量に発行、流通させ、“潜在的財貨収奪権”ともいうべき莫大な「貨幣発行権益(シニョレッジ)」を獲得して世界を牛耳ってきたことに気づいたのです。これらのことは経済学の教科書ではなぜか明示的には触れられておらず、また公然と論ずるエコノミストもいません。

 

この「貨幣発行権益」が“潜在的財貨収奪権”といえる所以は、「銀行の債務証書」だった通貨が、いつのまにか「銀行の債権証書」に変わり、金融機関の傘下に入れて利子を徴収し、滞ると不動産などの資産を召し上げ、果ては銀行自体を破綻させ、預金者の資産を損失補填に使うことを指しています。

 

そして、世界金融の司令塔たる米国連邦準備制度理事会(FRB)は、形式的には米国連邦議会の下にある政府機関ですが、予算の割当や人事の干渉を受けず、その下にある各連邦準備銀行は純然たる株式会社であるという事実です。

 

ちなみに、日本銀行の場合には、特別法により株式の51%は政府保有と定められ(残りは國體が保有)、株主に議決権は認められていません。総裁人事に関しても、良くも悪くも政府の意向が事実上反映される形で選任されています。

 

 

ここで話を「ベーシック・インカム論」にもどしますが、その財源を政府が発行する国債を日銀に引き受けさせることにより確保することで、先に挙げた「企業が金を借りない」という、従来型の金融政策が十分その成果を発揮し得ない問題をクリアできます。

 

また、金融機関による「貨幣発行権益(シニョレッジ)」という富の収奪を不可能にさせます。なぜなら、ベーシック・インカムによって給付される貨幣は金融機関を通じた間接金融でも、投資家からの直接金融でもなく、利子支払や返済の必要のない政府からの直接給付だからです。

 

なお、国債の日銀引き受けに関しては戦前、高橋是清が断行した先例があり、これがインフレを引き起こしたなどと言う批判があります。が、今後予想されるのは巨大な需給ギャップによるデフレであり、インフレ懸念は全くの的外れです。

 

また、相変わらずの国債発行残高1000兆円を引き合いに出す反対論もありますが、同時に政府資産は600兆円あり、残りの400兆円も現在、「買いオペ」などの結果、日銀が保有しており、国内消化に過ぎないどころか日銀も“統合政府”と見たら政府内での貸し借りに過ぎず、さらに言えば対外債務ではなく“国内消化”であるという事実に鑑みれば、とりたてて問題にする必要もないといえます。

 

貨幣発行権益を通じて蓄積された富の偏在が、本来あるべき市場の健全性を大きく歪めてきたわけですが、その原因は、通貨制度を「金融システム」とみることから生じており、次項に述べるような新しい通貨を利用した「決済システム」として再構築すれば、“ゼロ成長”のなかでの安定が確保できるはずです。

 

(次回に続く…)