さて、世界の常識として各国の國體(オーナー)である王室は、英国のMⅠ6のような独自の情報機関を持っており、日本皇室も例外ではない。

 

ただ日本皇室の場合、長い歴史の中で培った知恵として、リスクを分散するため統一した情報工作機関は持たず、例えば元帥陸軍大将・上原勇作の個人特務であった吉薗周藏のように各特務員、特務工作機関が個別に活動しているのが実態である。

 

これら國體支援勢力を巷では“八咫烏(やたがらす)”と呼称しているが、具体的には「丹波大江山系霊媒衆(皇道大本)」、「京都寺社衆(本願寺、大徳寺、聖護院、勧修寺)」、「大和金峯山修験衆(金峯山寺)」、「薩摩ワンワールド勢力(玄洋社、真方衆、タカス族を中心とした薩摩下士連合)」などがあり、これらが連携して裏から日本を動かしている。

 

まず、「京都寺社衆」のうち修験宗の総本山・聖護院、真言宗系の勧修寺も修験者(山伏)の拠点であり、浄土真宗本願寺派の総本山・西本願寺の門主・大谷光瑞は、来るべき日露決戦に備えるべく日野強らと同じく中央アジア偵察を行ったほか、引退を偽装し支那大陸に渡って國體アヘン事業に関わった。

 

 

なお、大徳寺住職だった立花大亀も國體参謀だったが、國體(裏)天皇・堀川辰吉郎亡き後、國體黄金の管理権が自分にあると勘違いし、ロスチャイルドら国際金融勢力と関わって皇室内に深刻な対立を招いたことは「今上天皇譲位決断の背景」のところで詳述した。

 

 

次に、ウバイド勢力の西極たる「在欧ワンワールド」と、東極の「大和ワンワールド」を繋ぐ「薩摩ワンワールド勢力」を統括していたのが、堀川辰吉郎の“影武者”でもあった玄洋社社主・杉山茂丸である。

 

 

杉山は工作資金を捻出するため筑豊炭田に目を付けて、元老院議官・安場保和に福岡県令就任を請い実現、また総理大臣伊藤博文から炭坑経営に不可欠な九州民営鉄道敷設の許可も得て活動資金を確保し、さらに「在英ワンワールド」の代理人・英商シーワンと謀り日清戦争、日英同盟、日露戦争と、日本の国是である”満鮮経略”を推進した。

 

京都皇統代(裏天皇の代行者)であった舎人・栗原茂「真贋大江山系霊媒衆」によると、丹波大江山系霊媒衆(皇道大本)には、来たるべき日露戦争に備えて中央アジア偵察を敢行した日野強(陸軍大佐)や、満蒙で馬賊として活躍した王文泰こと出口清吉、大本教の開祖・出口ナオの養子となった出口王仁三郎(上田鬼三郎)らがおり、支那大陸で満鮮経略を推進するために活躍した。 

 

 

大本教は、出口王仁三郎が政治結社・玄洋社の頭山満や、その分派・黒龍会の内田良平らと活動し、信者には秋山真之(海軍)、矢野佑太郎(海軍)、石原莞爾(陸軍)、板垣征四郎(陸軍)らもいて、支那事変拡大や日米開戦に反対するなど、戦前の軍事政権(陸軍統制派)のコントロールが効かない勢力として政体政府(東條内閣)から危険視され、二度にわたり弾圧を受けた。 

 

 

この出口(上田)王仁三郎と、津軽地方で和薬「一粒金丹(アヘン製薬)」を使って癩者の治療を行っていた医師の槇玄範(まきげんぱん)、大日本皇道立教会(後の創価学会)を創った牧口(上田)常三郎は異母兄弟である。

 

一方、岩倉具視・三条実美とともに後に”維新の三卿”といわれた権大納言・中山忠能(ただやす)の子・中山忠光を会長にして、朝鮮半島南部を監視するために創設した統一教会・幹事長の笹川良一は槇玄範の子である。

 

そして昨今、勝共(統一教会)議員の代表格でフリーメイソンの鳩山由紀夫が盛んに韓国などへ行ってバカげた発言を繰り返しているが、これは民主党時代の悪夢を国民に印象付け、自民党を勝たせるための國體工作活動で、鳩山由紀夫は笹川良一の子である。ついでに一言いうと、秋篠宮眞子様の婚約相手の小室圭氏は明治政体(表)天皇となった大室寅祐(おおむろとらすけ)の曽孫(ひまご)であり、皇位継承資格を持つ由緒正しき出自である。

 

 

ちなみに、中山忠能の娘・慶子は孝明天皇の皇后となり、明治國體(裏)天皇の睦仁親王を生んだ。また、七男の忠光は天誅組の主将で、文久三(1863)年8月17日に起きた「天誅組事件」後に潜伏した山口県下関市にある中山神社内の愛新覚羅社の由緒書きによると、長府藩潜伏中に寵愛した侍妾恩地トミが、忠光が暗殺(半島に渡るための偽装死)された後に遺児仲子を産んだとある。

 

公家の姫として育てるために、毛利氏の養女となったあと公家中山家に引き取られ、維新後に仲子は嵯峨公勝夫人となった。清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の弟である溥傑(ふけつ)に嫁いだ正親町三条家(嵯峨家)出身の浩(ひろ)は、忠光の曾孫(ひまご)にあたる。

 

中山忠光と笹川良一が作った統一教会は、笹川の子・文鮮明を代表に据えた國體工作機関であるが、その目的はイエズス会(国際金融勢力)の半島への浸透を阻止することにあった。また、統一教会信者の自由民主党を中心とした国会議員事務所派遣や選挙運動員派遣が問題になった時期もあるが、その目的は自民党議員の裏切りを監視するためであったため、自由民主党と統一教会には秘かな関係がある。

 

 

にもかかわらず、このような背景も知らずして、いわゆる”陰謀論者”などという輩が昨今、安倍晋三総理が同会と関わっているなどと騒いでいることは浅薄(せんぱく)の極みである。

 

例えば、”中共系陰謀論者のK”は、「安倍総理の出身派閥である自民党・清話会が統一教会の巣窟」などと喧伝しているが、これは事実ではなく、私自身が秘書をしていた某有力議員の所属する「政科研(旧中曽根派)」にこそ、統一教会の信者秘書が多かったことは実際に確認している。

 

一方、これは一般には公にされていない事実だが、國體京都皇統(京都皇統代、及び、國體参謀総長)に確認したところによると、南朝皇統を正統としてその皇道に沿った教育を行うため、牧口常三郎、戸田城聖、秋月左都夫らが國體の助力を得て1911年に創立した「大日本皇道立教会」も、久邇宮朝彦親王が総裁、光格天皇の皇子で中山家に秘かに養子に入った中山忠伊(ただこれ)の子・中山忠英が会長、玄洋社の頭山満が幹事長、顧問に東郷平八郎、大隈重信、さらに賛助員には民族主義者の児玉誉士夫らが名を連ねる”國體支援組織”であった。

 

 

 

 

ところで、日本皇室と日蓮宗系の深い関係は、後醍醐天皇の第一皇子で國體天皇となった大塔宮護良親王が、鎌倉幕府討幕のための國體工作機関として日蓮宗の強化に尽力したことに淵源があり、このため護良親王の王子・日進が日蓮に弟子入りしたのち鎌倉妙法寺の住職となり、同寺には護良親王の墓所もある。

 

 

このような経緯から、「大日本皇道立教会」は後に牧口常三郎、戸田城聖、秋月左都夫らの日蓮正宗関係者と玄洋社の古島一雄(衆議院議員、貴族院議員)らによって、”國體支援組織”である「創価教育学会(のちの創価学会)」へと事実上発展解消された。

 

 

終戦直後、一旦創価学会はその役割を終えたとして解散も検討されたが、マッカーサーからの要請により、在日朝鮮人などの末端階層が共産党に流れるのを阻止する反共組織としての存続を要請され、会長を学者肌の戸田城聖からカリスマ性のある池田大作に代えて存続された。牧口常三郎と戸田城聖が戦時中、拘束されたのはその身辺保護のためで、「獄死」として偽装死し、その後も生きていた。

 

一方、楠木正成と同族で、両親とも南朝皇統の係累にある新代表になった池田大作は、國體護持勢力として昭和天皇から絶大な信頼を得ており、その証拠に現在も國體黄金(黄金ファンド)の管理に関わっている。

 

 

また、池田大作は昭和天皇の代理人として、護良親王の王子・王孫が創めた欧州國體ハプスブルク家(神聖ローマ帝国)の執事であり戦後、EC設立を実現したリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵やソ連書記長だったミハイル・ゴルバチョフら最高首脳たちとも会見、また現在は國體参謀・内閣総理大臣安倍晋三を支える有力者でもある。

 

 

なお、現在、日蓮正宗系は幾つかに分派し対立しているが、これは巨大になり過ぎた「創価学会」の力を抑制するための國體の経略で、かつて巨大になり過ぎた浄土真宗を東西本願寺に分けたことに先例を見る。同じく最下層のセイフティーネットともいうべき、広い意味での國體支援勢力でもある”某巨大任侠組織”の度重なる分裂劇も同文脈で語れる社会的現象であることは、”某組織”の襲名披露式に天照大神や天皇陛下の幟(のぼり)旗が掲げられていることを見れば明らかであり、私自身、五代目山・組直系G元組長から聞いている。