戦後の我が国の歴史学会は極端なまでの"自虐史観"に走り、日本人の歴史観を極度に歪んだものにしてきました。この背景について説明します(参照:「天皇と黄金ファンド」落合莞爾)。
1、欠史八代不在説がまかり通った史学会の背景
戦後日本の史学会が、記紀に記述がない第二代綏靖から第九代開化までの「欠史八代」は存在していないとか、神武天皇は実在していないとか、日本人や天皇家のルーツは朝鮮半島にあり、朝鮮半島から文化を学んだなどという説がまかり通った背景には、
1)占領米軍が、原爆投下や東京裁判の開廷など、自らの戦争犯罪を正当化するため「日本性悪史観」を日本政府に認めさせた事
2)敗戦日本の保守政体が、占領米軍に迎合するために、「戦前否定史観」による歴史教育を推進した事
3)国際共産主義の指導と政治的支援を受けた革新派学者が浸透を図った「マルクス史観」が「戦前否定史観」と合流した事
4)学校教育の現場を支配下に置いた日教組が、間接的に占領米軍の指示を受けて、過去の日本を先験的に悪とする「自虐史観」を学童、生徒に刷り込んだ事、などがあります
特に4)は世間に全く知られていませんが、大戦の終盤で日本と連合国を天秤にかけたソ連の外交術策にまんまと嵌った米国が、ソ連との秘密協定により、北海道と東北の占領を望むソ連を諦めさせる代わりに、思想、報道、教育などの文化面に置ける日本社会の共産主義化を許した事から発したものです。
アメリカ軍の占領とそれに続く保守政体の下で、日本社会党と支持母体の日教組、官公労などの労働者団体、および朝日新聞、NHK、岩波書店など言論機関は、世界的基準に照らせばそれ自体立派な共産主義勢力なのに、なぜか漠然と革新勢力とみなされて公然と活動を許されたばかりか、間接的な公的支援さえ受けてきたのは、今思うとまことに不可解な現象ですが、その原因は、実にここにあるのです。だからこそ、「政治、経済は親米保守」なのに「文化、教育は隠れ共産主義」という奇怪な二本立ての社会構造、ずなわち「日本の戦後体制」が我が国にできたのです。
更に言えば、この体制が日本国民によって是正されぬまま平成時代に至った原因は、以下の三点です。
1)米国が日本を思想的に弱化させるため、日本社会に敗戦思想を強要したこと。具体的には「「政治、経済は親米保守」なのに「文化、教育は親共産主義」という二本立て構造を押し付けた事
2)米国が日本を収奪する貿易利権構造を造り、永久化した事。具体的には、輸出代金の一部を米国債で強制的に受け取らされ、自由に処分できない事
3)米ソ二極構造を前提として、占領憲法で日本を非武装化した事。具体的には、日本を軍事的対米従属に追い込んだ事
2、吉田清治、家長三郎、朝日新聞の罪
以上の背景の下、戦後史学会は皇国史観からマルクス史観に転向しました。例えば教科書編纂に携わった家長三郎は、日本共産党の末端分子・吉田清治が、営内接客婦(従軍慰安婦)の済州島での強制連行を虚証した著書「私の戦争犯罪…朝鮮人強制連行」の記事を自著「戦争責任(岩波書店)」に転載し、「太平洋戦争(岩波書店)」でも引用しています。虚証が明らかになった後、幾つかのメディアによる熱心な調査でも、ついに正体が不明に終わったとされる吉田清治が、実は日本共産党に関係していたことが判明しています。
一般人でも荒唐無稽に感じる吉田著書の内容を、無批判に受け入れて自著に転載した家長は、もはやとうてい史家といえる立場にはなく、マルクス史観を喧伝するだけのアジテイターだったのです。
今日、吉田証言と悪意に基づきこれを世界に発信した朝日新聞の卑劣な行動が批判の矢面に立たされていますが、家長の場合には公金を食らいながら売国活動 を行ってきただけに、朝日新聞と同罪どころかもっと始末が悪いのに、家長を批判していたのが秦郁彦だけとは誠に情けない体たらくの史学会です
3、占領米軍による神社古文書の強奪
一方、占領米軍、そしてその奥の院の一部勢力は、世界史の秘密に関わる重要な情報が、日本各地の神社に「古文書」として残されている事を知っていて、世界史の秘密を独占するために行なったのが神社古文書の強奪でした。
占領米軍が、刀剣など隠匿武器の摘発を名目に全国の神社に立ち入り、おびただしい古文書を押収して米国に持ち帰ったのは、やがて敗戦ショックから覚めたときに始まる日本人の歴史研究を妨害する目的のもとに行なわれたとみるしかありません。
これは連合国指導層に潜んでいた「真の世界史」を知る者が、「真の世界史」が日本から世界に発信される事態を畏れたためと聞きます。「真の世界史」とは「旧約聖書」の真偽、つまり、「世界で一番古い国は日本」であることだったのです。