日米交渉が暗礁に乗り上げて対英米開戦が現実味を帯びてきたこの時期、さらに対米戦に自信のない陸軍参謀本部と首相で陸相の東条英機、そして昭和天皇に開戦の決断を促すため近衛は一計を講じる。

 

すなわち、陸軍内に中野学校創設者で有名な軍務局軍務課長の岩畔豪雄(いわくらひでお)大佐と陸軍経理学校卒業後、東大経済学部で三年間マルクス経済学を学んだ秋丸次朗中佐に「陸軍省戦争経済研究班(以下、秋丸機関)」を作らせ、治安維持法違反で大内兵衛とともに検挙され、保釈中だったマルクス経済学者の東大経済学部助教授・有沢広已を英米班主査に据え、経済的観点から対英米戦の分析を行わせる。

 

なお、統制経済に造詣が深い有沢は戦後、首相吉田茂のブレーンとして石炭と鉄鋼の増産をてこに経済復興を進める「傾斜生産方式」を企画、推進したほか、“中国侵略への贖罪”として蔵書二万点を対日諜報工作の拠点「中国社会科学院日本研究所」に寄贈、「日本は永遠に中国に謝り続け、永遠に米国に感謝し続けなければならない」を持論として徐勲一等授瑞宝章、授旭日大綬章を受けている。

 

ともあれ、「秋丸機関」では、以下のような対英米戦のシュミレーションが行なわれた。すなわち、第二次世界大戦では第一次世界大戦の二倍の規模の戦闘を想定し、ます英国の場合、年間戦費四十億ポンドの軍需物資が必要となるが、これをすべて英国だけで賄うことは不可能で、不足分十一億五千万ポンド(五十七億五千万ドル)の不足が生まれる(日本の国家予算の八倍相当)とする。

 

一方、米国の場合、年間戦費二百億ドルを賄ったうえで、さらに百三十八億ドル分の軍需物資供給余力が残り、英国に五十七億五千万ドルの援助を行ったうえで、さらに他国に約八十億ドルの援助が可能となる。ただし、資本主義国の米国の場合、民間生産に委ねられるため一年から一年半の生産期間が必要となる。

 

最大の問題は米国から英国への物資輸送で、英国の不足額十一億五千万ポンド(五十七億五千万ドル)分の物資輸送に必要な貨物トン数は三千八百九万トン、船腹にして総三百六十二万トンとなる。

 

そして、これを船腹に余裕のない米国を除いて英国一国で担ったとしても、海運王国の英国には二千五百二十八万トン、船腹換算で二百四十万トンの余裕があった。

 

ところが、今次大戦におけるドイツUボートによる攻撃によって、一九四一年五月末時点で約一千万トンの遠洋適格船を失い、拿捕も含めた獲得分八百十三万総トンを差し引くと、約百九十万総トンの純減となり、余力は五十万総トンになっていた。

 

 

これに一九四三年時点での英米の新規造船能力の月五十万総トンを加算してみても、枢軸国側が月五十万総トン以上撃沈すれば、米国からの援助は徐々に先細り、英国は行き詰まることとなる。

 

実際、ドイツ海軍は最大三百七十五隻のUボートを使って、一九四一年から一九四二年にかけて月約三十六万総トンから六十五万総トン、多い月で七十万総トンから八十万総トンの英国商船を撃沈していた。

 

このようなシュミレーションの結果、米国が本格的な工業生産力を発揮し始める、その参戦から一年ないし一年半までの間に枢軸国側が英国を叩けば、第二次世界大戦での枢軸国側の勝利も可能との結論に至ったのである。

 

(次回に続く…)